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『蝶は灰国に沈む』~二人で一人の旅路~  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第二章 アウス・エーヴィスを目指して⑥

 隣には、アストが座っていた。

「ルマーダお兄ちゃん……」

 心配そうな声が耳をつつく。

 セルマは、ゆっくりと息を吐いた。

「……無理だ」

 白い天井を見上げる。

「レヴニールは、人知を超えた姿になって死んだ。人の力じゃどうにもならない。だから――」

 視線が、遠くへ向く。

「神か、悪魔か……そういう存在じゃないと、無理なんだ」

「それでアウス・エーヴィスなんだね」

 セルマは一度、口を引き締めた。頷く。

「オレは信じてる。絶対に見つけて、救ってやる」

 その赤い瞳は、異様なほどにまっすぐで、少しだけ潤んでいた。

 アストは少しだけ不安そうに目を伏せる。

「……僕も、手伝うよ」

 小さく言った。

(ダメだよ。アストくん。ノクーヴェに手を貸しちゃ)

「ありがとう」

 セルマはレインに抵抗するように笑った。

 その声の奥で、巻き込めない、と、そう、強く思っていた。


 同日、小さい月だけが雲に隠れた夜。大陸北東部、ライエール帝国。

 壊れた石造りの街並みが広がる、明かりの少ない首都中央部。

 その中心部、二枚の昆虫の羽根が描かれた国旗が立つ、横に広い旧議会議事堂がある。それは現宰相府であった。

 宰相府、国務大臣室から会話が聞こえてくる。

「結局のところ、我々帝国は崩壊、ノクーヴェは全滅ですか」

 落ち着いた女性の声だ。

 室内の大臣席には、人間となんら変わらぬ妙齢の女性が座っている。黒髪のロングで顔立ちは端整、お淑やかという言葉が非常によく似合う人である。名をフローラ・フォン・ヴァルシュタイン。

 ヴァルシュタイン家は、東部の海沿いに土地を持っていた元貴族で、古くから存在し、身分制度時代、産業革命時代に伯爵の地位を維持し続けていた。

 民主共和制時代になって貴族という地位と領地を国に没収されたが、新政府との裏取引を成功させ、民間出身の閣僚という立場に就いた。

 独裁大統領時代には国防長官となり、ノクーヴェが登場すると、情勢を見極め、言葉巧みに双方を誘導し、いわゆる無血開城を実現させ、国をノクーヴェに譲った。

 手腕の評価は高かったが、日和見主義で佞臣である、と言われるようにもなった。

 今回もフローラの父がオルトロスと取引し、帝城を焼き払い、ノクーヴェ皇帝に自害を迫り、逃げた残りの皇族をノクーヴェ討伐隊と連携して殲滅し、現在の地位を得た。

 だが、オルトロスは、裏切る者はまた裏切る、とフローラの父を殺害し、辺境に隠れていた何も知らぬ娘、フローラを二十歳という若さで暫定政権トップ、国務大臣兼宰相という立場に就かせた。

「どうされます、お嬢さま」

 向かい側に立つ男性は、スーツを着た秘書官、というよりはボディーガードという言葉の方が合っている、体躯のよい、強面で額に皺の寄った、短い白髪の老人である。

「四〇〇年前に、フェングニス建国の父、カラヤント・アルトゥーゼがやったことと同じなのですがね」

「確かに、カラヤントは自国の領土と皇帝を売り払い、自治領として内政権を確保しました。でもそれは自国民の大多数の賛成があったからです」

「分かっています」

「それにオルトロスの目的は、我々の滅亡です」

 フローラは目を細める。

「……表向きは媚び諂いますが、心まで捧げるつもりはありません。オルトロスはいつか始末します。我々は好きでノクーヴェになったわけではありません」

 フローラは顔に怒りを表さず、淡々と言った。

「やはり一刻も早く取引材料を探し出して、共存、内政自治権の確保をせねばなりませんな。踏み込まれないためにも」

「あれは、見抜かれている、ということでしょうか」

「いいえ。お二人の偽装死体は完璧です。おまけに崖へと転落させましたので調べようがありません。この秘密は絶対に守られます」

「……」

 フローラは視線を逸らして下を向く。

 指先が僅かに動いた。下唇を噛んで過去という言葉を飲み込んだ。

「お嬢さま、皇族の討伐は、首都に住むノクーヴェを襲わない条件として受け入れたものです。忠誠を誓っても次の条件が出てきます。我々にとってフルクスソードは弱点です。小さな傷ひとつ許されません。必ず、最後には無理難題か滅亡かの要求を突き付けられます」

「取引材料……」

「そうです。例の物です」

 一瞬の間があった。

「シュルスに頼んだ件、ですか」

「そうです。お嬢さま。シュルスはアイタスの歓楽街に入り込んで捜索を続けていますが、我々も捜索の範囲を広げ、フェングニス王家より先に見つけることです」

「分かりました」

「それと、国境の村が壊滅した件はどうなさいますか。噂が本当なら……」

「無視しなさい」

「それでは体裁が」

「恨まれる覚悟はあります」

 秘書官が口を閉じ、頭を下げて去っていく。

 フローラは、窓に向かい、星の瞬く夜空を眺めた。

「私も、何も知らないほうが幸せでした」 

 二つの月は完全に雲に隠れた。


      *    *   *


数日後。六月十一日、フォースタスクデー。

 もうすぐ日付が変わろうとする夜の十一時。

 そこは窓の無いどこかの研究施設。民家のひと部屋がすっぽり収まりそうな巨大な水槽が二つあり、そこに黄色の濁った液体が入っていた。

 施設の隅でオルトロスと、緑の作業着を着た白縁眼鏡の老人が会話をしている。

「グナタス教授、新しいブリューが完成したと聞いたが」

 老人、グナタス教授が、黄色い液体の入った試験管をオルトロスに見せた。

「こちらでございます。殿下。今度こそ、ご期待に添える結果になるかと」

「人々はあまりノクーヴェを恐れなくなったからな」

 試験管に触れようとしたオルトロスだが、端末が鳴り、チェックする。近衛隊長エポニーヌからだ。

〈ギャンダル殿下をお連れしました〉

「教授、またあとで顔を出す」

 オルトロスは研究室を出ると、煙に溶けるように姿を消した。

 その後、オルトロスは一分足らずでエパルノーマ城の三階、西側、奥から三番目の部屋にやってきた。

 入口には『執務室』と書かれている。

 オルトロスは小さく溜め息を吐いてから扉を押し開けた。直後、鼻をつまんで眉間に皺を寄せた。室内に、煙が滞留していた。

「おお、我が愛しの弟よ」

 左手のソファに、茶髪のおかっぱ頭の男が、足を組んで座っている。タバコを咥え、片手を広げる仕草は、この部屋の主であるかのような横柄さを孕んでいた。

 ギャンダルだ。

 右隅に控えていたエポニーヌが、静かに一礼して退室する。

 オルトロスは視線を向けない。窓際へ歩み寄り、夜景を一瞥してから窓を開けた。冷たい外気が流れ込み、煙をゆっくりと押し流していく。

 数秒の沈黙後、机に戻り、腰を下ろす。

 引き出しから一枚の書類を取り出した。

 表題――孤児管理計画。

「ギャンダル、この前の件、証拠が集まった。お前の処分を伝える」

 淡々とした声で言うと、ギャンダルが肩を竦めて笑った。

「おいおい。〝お兄さま〟にお前はないだろう。小さい頃はよく遊んでやったのを忘れたのか」

 オルトロスは、反対側を向いて書類を眺めながら答える。

「……だからここに呼び寄せた。寛大な処置をする」

「たかが民間人への暴力だろ。また誤魔化せよ。国が今、一つに纏まろうとしているんだ。小さな火種には蓋をして消えるのを待つのが正確なんだぜ」

 ミーファディルの演説後、犯罪件数は急激に減った。国民は、王家に絶対的権力を与え、一丸となってノクーヴェと戦い、善政を敷いてもらおう、と士気が高まりデモが各地で行われている。

「勘違いするなよ。謀反の企てだ」

 空気が変わり、ギャンダルの笑みが消えた。

 立ち上がり、机に歩み寄ってくる。

「ふざけるな」

 タバコが机に落ち、ギャンダルが拾おうとしたが、オルトロスはコップの水をかけた。火が消え、煙が上がる。

「その民間人を襲ったナイフに疑問があってな。調べたところヴァウカーダが会長を務める刃物店で作った物だった。それもヴァウカーダの許可がなければ作らないもの。そこで、さらに調査したところ、このような文章が出てきた」

 オルトロスは懐から一枚の手紙を取り出した。

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