第二章 アウス・エーヴィスを目指して⑤
その後、接客はアストが担当し、セルマは洗い場を担当した。黙々と仕事をしていたが、客がテレビを点けるとニュースが流れ、ミーファディルの演説が繰り返し流れた。
(あのクソガキめ)
(え、アストくん?)
(違う。王女だ)
(よおし、ミーファディルを)
(冷静にしてるよッ)
セルマの周辺は水浸しになり、レインには溜め息を吐かれラーガには怒られた。
午後の六時半になり今日の営業が終わった。空は一日通して曇り空で、辺りはすでに暗く、やや蒸し暑い。
三人は隅のテーブル席で、夕食のナポリタンを頬張る。
開口一番、ラーガは外を眺めながら呟くように言う。
「あんたはクビだって言ってやりたいが、その態度、困ったもんだねぇ」
隣に座るアストもうんうんと頷いた。
「見た目や仕草はイイ感じがするのに台無しになっちゃうよ」
(くぷぷぷ。セルマ、女の子みたいで可愛いって)
もみ上げを耳に掛ける仕草をしつつパスタを食べようとしているセルマは焦って固まった。手を下ろし、頬杖をついてナポリタンを食べる。
(お前の笑いはいちいち癇に障る)
(くぷぷぷ)
「アストのためにも一生懸命働くんじゃないのかい?」
「わ、分かってるよ」
「あとで時間をやるから。そこで納得いくまでアウス・エーヴィスのことを調べたら、ちゃんと仕事をしなさい。あと、初めてのお仕事、お疲れさま」
夕食を終え、店内の掃除をし、セルマとアストは部屋に戻った。
ベッドに座ると腕を組んで今日を振り返る。接客業はともかく、ミーファディルの演説はテレビという物質を見るだけで思いだす。
――これが学校ならいじめだ。悪の始まりは勝手な解釈を広めることだ。
(あの女の顔、握り潰してやりたい)
(まだ考えて――あ)
「ルマーダお兄ちゃん、ごめんね。急にお腹痛くなっちゃって。僕のこと、怒っていいです」
沈んだ表情のアストが目の前にきていた。
セルマは非常に焦った。先ほどまで眉間に寄っていた皺が、遠く彼方へ消え去った。
「ど、どうしたんだ。急に」
今度はレインが焦った。
(ちょ、ちょっと。あのね、考え事をしてる君の顔が怖いんだよ。それを知らないアストくんが自分を責めたの。この鈍感セルマ)
「ご、ごめん。オレ、自分の失敗を悔やんでいただけなんだ。オレ、今すごく怖い顔してたよな。ごめんな」
アストの顔に安堵の笑顔が滲んだ。
「そ、そうだったんだ。勘違いしちゃった。でも、どうしてルマーダお兄ちゃん大人にケンカを売りたくなっちゃうの」
「それは大人が子どもを騙すからだ」
(セルマは子どもで、子どもを騙す)
「何か、嫌なことがあったの? 弟さんに関係してるとか」
アストの言葉が、過去の記憶を局所手に吹き荒れさせる。
「いや……」
否定して床に視線を落とすも、記憶は鮮明になってくる。
まず、数年前の冬のある日のこと。
セルマがアストくらいの年齢の時、薬を買いに隣の村にきていた。そこは村で唯一の薬屋だった。
値札の付いた薬を指さして購入を求めたが、
「ない。売り切れだ」
と、店主に断られた。仕方なく外に出ると、裕福な女性が薬屋に入っていった。気になって聞き耳を立てていると、女性はセルマと同じ薬を注文する。
「これならありますよ。よく効きますよ」
店主の明るい声が聞こえてきた。
次は、二年前の秋のある日のこと。
村の子どもたちとキノコ狩りの計画をしていたが、前日に帝国軍を名乗る男性が三名きていて、村長とセルマを交えて会議をしていた。
「いいかい。セルマちゃん。明日は山に行ってはダメなんだ。近くに来ている人間に奇襲をかける。だが奴らは対ノクーヴェの剣を持っている。戦場になるのは必至だ。子どもたちにも言って遠くに隠れているんだよ」
翌日、セルマは子どもたちに説明し、山を離れていたが、戦闘の気配はまったくなく、夕暮れ、勝手に抜けだした子どものあとを追って山に入ると、帝国軍を名乗った三人の男たちが高値で取引されるキノコをカゴいっぱいに抱えて山から下りていった。
「セルマお姉ちゃんの噓つきいいい。うわああああああん」
ようやく見つけた子どもが、セルマに小さな拳を何度もぶつけながら泣きだす。
そして、去年の春、ある日のこと。
コマツグミの鳴き声が聞こえる山奥。川辺で遊ぶ子どもたちの様子を遠くから眺めながら、セルマは木陰で読書をしていた。
『アウス・エーヴィス。世界を救える人物。なぜ、ここまで強いのかそれは――』
「よかったら、皆さんと一緒に遊びませんか?」
目の前には、金髪でコバルトブルーの瞳を持つ、温かそうな雰囲気の青年がいた。
「いえ。また怒られちゃうので」
セルマと青年は簡単な会話をしたあと、引き続き青年に、子どもたちの面倒をお願いした。
青年は川原で遊ぶ子どもたちのところに戻り、セルマも読書に戻った。
(ええっと、アウス・エーヴィスが最強なのは……)
川のせせらぎと子どもたちの遊ぶ声、のどかな雰囲気がセルマの瞼を重くさせる。
目を閉じ、睡魔の誘いを受け入れた。
やがて、子どもたちの遊ぶ声が遠ざかる。
一時間くらいして、セルマは目を覚ました。
「あれ、誰もいない」
直後、水辺を走る音が聞こえた。
(なんだ、あっちに移動したのか)
振り向くと、少年が一人走ってくる。
「セルマお姉ちゃん、大変なんだよっ」
「ん、どうした? ゼン。ああ、さては、また滝に飛び込んだな」
ゼンは真っ青だった。
「山で遊んでいたら、レヴニールが人間の兵士に見つかって連れて行かれたんだ」
「な、なんだって。どこだ?」
セルマは場所を聞き、追いかける。
森の開けたところで、三人の兵士と遭遇した。レヴニールが檻に入れられている。
「お姉ちゃんっ!」
三人の兵士の中には、青年の姿もあった。
「キサマあああっ、それが狙いだったか」
セルマは激怒し、兵士に突っ込んでいった。
最後に、去年の夏、ある日のこと。
帝国偵察兵から、村にノクーヴェ討伐隊が迫っているとの情報が入った。全員が逃げだすなか、セルマは、逃げ遅れたレヴニールを救出し、残っていた優しそうな女性偵察兵の案内で地下水道を逃げていた。しかし、外に出た直後、
「なっ」
目の前は断崖絶壁だった。ノクーヴェになって飛び降りてもレヴニールまで無事かどうかは保証できない。振り向くと女性偵察兵はノクーヴェになって戦う構えをしていた。
「あなたには、ここで死んでもらいますね」
「どうして」
「大人の事情なんて知らないほうが幸せです。あなたは、あたしだけを恨んでください」
戦闘になるも些細な攻撃で女性はわざと倒れた。
「どういうことなの」
セルマが焦っていると、女性は立ち上がり、
「くれぐれも、村の人以外に、自分の名を口になさらぬように。それが幸せに生きる方法です」
そう言って女性は谷底へ落ちていった。
目を細める。嫌な記憶が反芻される。
アストが横に座って、ようやく頭から過去の映像が消えた。
セルマは目を強く閉じて小刻みに首を振った。
「ルマーダお兄ちゃん、有名な医者なら教えてあげる? 弟さん、助けてあげられるかもよ」
(大丈夫。ノクーヴェは全滅する。助けても意味がない)
(助けて、遠くに逃げる)
大人は嫌いだが、それはライエール帝国とフェングニス王国だけかもしれない。国に帰っても消される可能性はある。その前に、ノクーヴェが全滅する。遠くに逃げるという点は最も理にかなっているのかもしれない。
セルマはベッドに倒れた。白い天井を見上げる。
「無理だ。人知を超えるような姿になってレヴニールは死んだんだ。あれは、あれは……、人の力なんかじゃない。神や悪魔の化身のような存在がいる。だから生き返らせるには、そのような力でないと無理なんだ」
「それでアウス・エーヴィスなんだね」
声の柔らかさに一瞬レインが喋ったのかと思ったが、深く考えると嘲笑にも聞こえてきて顔を赤くした。アストは物語の存在だと疑う余地もないのだ。
「オレは信じてる。きっと見つけだして、救ってやるんだ」
「僕も、何か手伝ってあげるよ」
セルマの意思は硬く、赤い瞳は遠くを見通す千里眼のように、一種の奇妙さを携えて潤んでいた。アストは不安だった。一人になりたくない。顔に書いてあると言えば大袈裟だが、寂しい表情だった。
(ダメだよ。アストくん。ノクーヴェに手を貸しちゃ。それにセルマは付いてくるなって)
「ありがとう」
セルマはレインに反抗するように笑って答えたが、目の奥では、アストを巻き込めないと肯定していた。




