11 リーラ
「ああ!リーラ!無事で本当に良かった!二週間以上心配で食事も喉も通らなかったのよ!」
「怪我は大丈夫か?熱を出した上に、切り傷や打ち身、打撲があると聞いていたんだぞ!」
「お母様、ご心配おかけいたしましたわ。私はこのとおり大丈夫です。お父様、エリカさんが親身になって治療と看病してくださったおかげで、傷跡などもなく綺麗なままですよ」
学院に通うため単身王都屋敷に住んでいたので、両親とは半年ぶりの再会。
本来なら今の時期は長期休暇で領地に戻り、両親と共にいるはずだった。
それが何の運命のいたずらか、一方的な婚約破棄の末領地に戻る途中に事故に遭ってしまった。
両親からしてみれば、婚約破棄は寝耳に水の上に、当事者の一人娘が行方不明という最悪が重なり心配でならなかったのだろう。
よく見れば、父の目にはクマがあり、母も顔色が悪く少し痩せてしまっている。
リーラは申し訳なく思いながら、抱きしめている母の胸元に顔を埋めた。
「旦那様、奥様。長い旅でお嬢様はお疲れでございます。積もる話は屋敷の中でされてくださいませ」
「ああ、そうだな!いやそれよりも、まずは食事だ!可哀想に痩せてしまっているじゃないか!」
「いいえ、まずはお風呂ですわ!こんなに薄汚れてしまって……っ」
執事の進言に頷きながらも、リーラを離さない子爵夫人と、「栄養のある物を!」と騒ぐ子爵にリーラは少し笑ってしまった。
エリカと過ごした一週間は楽しかったし、知らないことを知るいい機会だった。
それでも家族の元に戻ってきたことで、知らず気を張っていたらしく体の力を抜いていく。
結局しばらく玄関先で騒いだ後、リーラはなんとか両親を屋敷の中に入れたのだった。
「ふぅ……」
帰って来てから怒涛の勢いで、入浴と食事を終えリーラは深く息を吐き出す。
今は侍女も引き上げさせているので、ひとり部屋で今日のことを思い返していた。
あちらでは浴槽自体なく、湯を張った桶にタオルを浸し身を清めるくらいだった。
平民は基本こういうふうに清めているのだとエリカに教わり、驚いたことを思いだし少し笑ってしまう。
食事も初めての見た黒いパンとその固さに驚き、普通の平民は黒パンが主食で、柔らかいものは裕福な商人たちが食べるのだと教わった。
着る服も人の手を借りない簡単な作りの物で、常にコルセットとドレスで窮屈そうにしている貴族と全く違っていた。それも慣れてしまえば、こちらの方が楽だと思ってしまった。
何もかもが初めてのことで、何もかもら知らなかったことだった。
クロエ子爵家の一人娘であり、次期女子爵として様々な知識を学んできていたし、それに恥じない自信があると自負してきたがとんでもなかった。
自分は何も知らなかった。勉強ばかりで住まう人々のことは何も知らなかった。知った気でいたのだと恥じてしまった。
国を回すのは貴族だが、国民の大多数は平民。その人々の暮らしを知らず、領地を民を守ることなどできない。
今回のことは良い勉強になったと思い、これを機に反省し、父に恥じない領主になろうと心に誓う。
「エリカさんには、どんなに感謝の言葉を連ねても足りない程ですわ」
瞳を閉じるとすぐに思い浮かぶ。綺麗な黒髪を靡かせ、琥珀色の優しい眼差しをした綺麗な女性。
女性にしては背が高く、細身ながらしなやかな体つきをしていた。
昔怪我をして声が出せなくなってしまったというが、それにも挫けず針子として頑張っている努力家。
そして針子の腕も一級品。長い指から作られる刺繍は王都でも中々見かけない程の出来栄えで、なぜ小さな町の衣装店に勤めているのか不思議なほどだった。
それに……とおもむろに自分の髪を一房掴む。侍女たち以外で触れられたことのなかったリーラの髪を優しく梳き頭を撫でてくれた。
頭を撫でられるなど幼いころ以来で、最初は身体が固まってしまったが、それでも何気ない様子で撫でてきた彼女に他意はないと止めることはしなかった。
それに優しく宥めるような手は、とても心地よくて安心もしていたのだと思う。
彼女の秘密偶然知ったこともあった。
家の後ろに生い茂るのは紛れもなく森。森は魔物を生み出す場所とも知られている所だ。
そんな所に家があるなどと誰が思うだろう。知った時は気が遠くなりそうだった。
彼女曰く、退魔魔法石を使い簡易結界が張られているので、安全だと言っていたが、初めのころは恐ろしく夜も眠れなかった。
あそこは確かに簡易結界で安全だったのだろう。森と言っても小規模で、魔物も兎が変質した程度だというのだから。
それでも光魔法で結界を張ってくれたのは、リーラの身の安全を最優先にしてくれたということだ。
きっと知られず結界を張りたかったのだと思う。振り返った彼女の表情が僅かに歪んでいた。
だから言葉を濁すのを受け入れた。誰にだって知られたくないことはあるだろう。
ただ一つ疑問がある。光属性は国に届け出る決まりがある。それにも関わらず、彼女は属性を秘密にしていた。捕まるわけでも、強制的に使役されるわけでもないなにだ。
そこまで思い出し、リーラは「不思議な人」と小さく呟く。
美人で手先が器用で、少しだけ人と距離がある、けれどどこか人懐っこい不思議な人。
そういえば、彼女は手も大きかったと、髪から手を放し自分の手を見つめる。
貴族令嬢らしく一切の荒れもない自分の手。それに比べ彼女は少しだけカサつき、指先が固くなっていた。
それでもあの手に包まれると安心すると同時に、なぜか気恥ずかしくなり顔が熱くなってしまう自分がいた。
なんとなく右手を左手で包み込んでみるが、当然あの安心感は得られず、リーラはそっと瞼を伏せた。
「もう会えないのですね……」