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保護から約一週間が過ぎた。予定では今日か明日あたり迎えが来るはずだ。
一応町長が案内役をしてくれるという話なので、ここまで来るのに迷うことはないだろう。それまではいつも通りで大丈夫なはずだ。
あの日からリーラは日々刺繍の練習をしている。日を置いて、また気分転換に外出をしてはどうかと聞いてみたが、練習していたいと断られてしまっていた。
あの日確かに楽しんでいたはずなのに、帰宅してからまた何かを考えることが多くなり、刺繍練習に力を入れ始めてしまっていた。
外出がイヤというわけではないらしいが、少しでも上達して帰りたいと言われてしまえば、こちらは何も言えない。
とりあえず、彼女の練習の様子を見つつ、時々庭先に連れ出すようにしていた。
何が彼女を駆り立てているのか分からず、エリカは困惑仕切りでどうすることもできないと己の不甲斐なさに項垂れていた。
「――できましたわ!」
静かな室内にリーラの声が響く。
彼女の手には先ほどまで刺していた布切れ。それを掲げ満足気にエリカにさし出す。
戸惑いながらも受け取ったエリカは、目を瞬かせ思わず口を開けてしまった。
差し出されたそれは、歪ながらもタンポポに見える。図案にはなかったはずの綿毛まで追加されているのにも驚いた。こっそり自分で図案を追加したのだろうか。
「どうでしょうか?少しは上達いたしましたか?」
褒めてと言わんばかりに聞いてくるリーラに、「スゴイ」と言いかけ慌てて頷き返した。この一週間の努力をムダに出来ない。最早意地の境地になっていることにエリカは気づいていなかった。
仕上がりはお世辞にも綺麗とはいえないが、図案通りに刺し、配色も個性を出して黄色以外にオレンジなども使われているのが見て取れ、満足げに笑顔でOKサインを出す。
リーラはパチンと手を合わせ「初めてやりきりました!うれしいです!」とはしゃぎながら、どこが難しかったやこのやり方で合っていたのか分からないなど、ひたすら話し出してくる。
それが親や兄妹に勉強の成果を自慢したい子供のように見え、なんだか微笑ましい。
刺繍は貴族としての教養の一つとして教えられていたと聞いていたが、やはり彼女は初期で挫折しただけあり、基本的な刺し方しか知らなかった。
それが今やこの出来栄え。その手助けを自分がしたと思うと、なぜだか胸が熱くなってくる。
リーラの疑問に答えるように、別のハギレに疑問点や刺し方、応用などエリカは快く教えていく。
彼女もどん欲に知識を吸収しようと食い入るようにみてくるので、教えがいがあると、さらに教えに熱が入ってしまった。
どれくらい講義をしていたのか、玄関扉からノック音が聞こえ、二人はハッと顔を上げ互いに顔を見合わせた。
『迎えが来たのかもしれませんね。少し席を外します』
軽く服を叩き糸くずを叩い落すと、扉に手をかける。太陽の強い日差しを背に、中年の男性――現町長が立っていた。一瞬身が竦む。どうしてもこの瞬間には慣れない。
「ああ、こんにちはエリカ。クロエ子爵令嬢はいるかな?」
『はい。奥に。お迎えですね』
町長を招き入れようとしたエリカに、町長は「護衛もいいか」と聞いてきたので、少し考え「どうぞ」と頷き返す。
護衛は三人らしく、誰もが屈強な男たちだった。子爵家がリーラの迎えに寄こしたと思えば怖がる必要はない。
しかし、昔受けたトラウマは消えることはなく、違うと分かっていても見知らぬ人、しかも自分よりも体格の良い男たちに体の震えが止まらなかった。
「やっぱり外で待っていてもらうか?」
この人は自分の過去をある程度知っているので、幼少期のころ受けた暴力のことも知っている。純粋に心配してくる町長に慌てて首を振り、ぎこちない動きで護衛も招き入れた。
狭い家に男四人が入ると、さらに狭さを感じる。どうにも息苦しく、トラウマからくる緊張と圧迫感もくるのをどうにかしようと、窓を開け放った。そのままリーラがいる隣の部屋に案内する。
薄い扉一枚隔てた南向きの隣室は作業部屋でもある。四人を招き入れると座る場所もないほどだった。
「やはりお客様でし……まあ!レイモン!貴方が迎えに来たのですか?」
「まあ、ではありません!お嬢様!この一週間どれ程心配したことか!旦那様たちも心配で仕事が手につかない程だったんですよ!?」
「それはごめんなさい。長雨でぬかるんでいる所を通るなんて思わなくて……。私は川に投げ出され、こちらの方に救われたのですが……侍女と馭者の方は」
「それは報告で知っています。……はぁ、本当に無事でよかった」
疲れがでたのかレイモンと呼ばれた男は、そのまま肩を落としてしまった。そんな彼の肩を、労うように違う護衛が叩く。
「リーラ様、外に馬車を用意しております。早く旦那様たちに無事な姿をお見せくださいませ」
「ええ、わかっています。ですが今日までエリカさんには随分とお世話になってしまっておりましたので、少しだけ時間を頂けますか?」
「わかりました」
レイモンとは別の護衛の許可を貰い、リーラはゆっくりとした動作で立ち上がるとエリカの前まで歩いていく。
一週間という短い時間だったのに、長く時間を共にしたような奇妙な感覚を二人は感じていた。常に二人で行動していたせいなのだろうか。
「エリカさん、あの時助けて下さりありがとうございました。こうして無事、屋敷に帰れるのは全てあなた様のおかげです。心よりお礼申し上げます」
リーラはその妖精のような愛らしい顔を和らげ、正式な貴族令嬢の礼――カーテシーをした。それは、今まで世話になったことへの彼女なりの最上級のお礼。
エリカもまた貴族令嬢の作法とは違う、深くお辞儀をし平民なりの礼儀でもって応える。
声を出さずともリーラに伝わったのだろう。お互いそれ以上は何も言わず、エリカはリーラが通りやすいよう、扉から離れる。
「では、行きましょう」
リーラが歩き出した後を、戸惑い気味の護衛達も続く。もっと何かあると思っていたのだろうが、期待に添えられそうにない。
この一週間は身分などあまり気にせず生活していたが、迎えが来た時点で、彼女と自分との間には貴族と平民という身分の差が見える形でできた。
ならば今まで通りではいけないとお互い分かっているのだ。引き際は潔いほうがいい。その方が良い思い出としてお互いの記憶に残る。
エリカは少しの寂しさを感じながら、リーラたちの後姿を見送ると、自室に向かった。
簡素な部屋の机の上に置かれてある紙袋を掴むと玄関に向かう。
途中、先ほどまで二人でいた作業部屋を通り過ぎようとし、刺繍道具が置かれてあるテーブルが目にはいった。
そこに置かれている一際目立つタンポポのハギレ。彼女が一生懸命になり仕上げたものだ。エリカはそれを手に取ると、抱えていた紙袋の中に入れ足早に玄関へと歩き出した。
迎えの馬車は玄関より先にあった。リーラの姿はすでになく馬車の中なのだろう。護衛三人の内二人の姿もすでに馬上にある。
砂利ばかりで悪路の道を馬車を率いてやってきた護衛達に感心しつつ、エリカはレイモンと呼ばれていた護衛の袖を軽くひっぱり呼び止める。
レイモンは驚きながらも足を止めてくれた。声がでないということを、事前に聞かされていたのか、それとも村長とのやり取りで察せられたのか、どちらでもいい。
エリカはレイモンにあらかじめ書いていた紙を差し出し、次に抱えていた紙袋を渡した。
紙袋の中身はあの時着ていたドレスだ。泥で汚れ所々破れていたので、洗濯し繕っておいていた。ついでに繕いを隠すため、彼女をイメージした花と植物の刺繍を施してある。
きっとボロボロになってしまったドレスなど捨ててしまうのだろう。それでも彼女に返そうと内緒で寝る前に刺していたのだ。
「これは律儀にありがとうございます。いまお嬢様にもお声をおかけいたしますね」
馬車に向かうレイモンの腕を慌てて掴み引き止める。これは自己満足でやったことなので、そんなこと報告しないでほしい。
それに正直、綺麗な別れ方をしたのに台無しにはしたくない。いや、ぶっちゃけ恥ずかしいのでやめてもらいたい。
あまりにも必死に止めるエリカに、レイモンはプッと笑い出し「わかりました。後ほどお嬢様にお渡しいたします」と言ってくれた。
「では、この度当家のご令嬢をお救い下さりありがとうございました。このお礼は、後日何かしらの形でさせていただくと仰せつかっておりますゆえ、今日の所はこれで失礼します」
手を胸に当て僅かに腰を曲げる。きっとこれが騎士の礼なのだろう。エリカと村長も慌ててお辞儀をした。
レイモンが馬に乗ったことを確認した馬車が動き出す。二人は悪路をものともしない馬車に感嘆のため息をもって見送ったのだった。
こうして、偶然助けた貴族令嬢との一週間という短い共同生活は終わり、エリカの心の中に僅かな隙間風が吹きながら、再びいつもの日常へと戻った。




