シェムリと鋼主 ロングバージョン (約2900字)
※時系列的には、シェムリと鋼主が出会い、仲を深めていくときのエピソードです。(第三章 47話 恋 のあとあたりです)
「じゃあいくよ」
寝台の上で、私は剣を握りしめた。
「あぁ、シェムリ。頼む」
最近聞きなれた、体に響く、低い心地よい声。
少しだけ緊張しながら、彼の引き締まったむき出しの腹にそっと剣を滑らせた。
皮膚にじわっと赤い血が滲む。
「……よし。それでいい」
彼はその傷を強いまなざしで見つめている。
「痛くないの? せめて手当てをさせてよ」
そう言うと、平坦な声が返ってきた。
「これでいい。痛みがなければ、生きる意味を見失ってしまう」
「あなたの生きる意味ってなんなの?」
剣を寝台の脇の小さい机に置き、身を寄せると、痛々しい、荒れた手が私の肩を抱きよせた。
「西ノ帝国を滅ぼす」
いつもと同じ無表情。瞼は閉じている。
きっと今、過去を見ているのだろう。
「……そう」
鍛え上げられた体に寄りかかり、彼が作り続けた無数の傷跡をそっとなぞっていった。
最初にそれを発見した時は驚いた。
毎日、剣で傷を作って、復讐心を忘れないようにしているのだという。
「じゃあ代わりに私がやる」と言ったのだ。
彼はしばらくあっけにとられたようにしていたが、私が自分の意思を曲げないことを悟ると、好きなようにさせた。
「私はあなたの生きる意味にならないかな?」
上目づかいに尋ねると、「……ならないな」と素っ気ない答えが返ってきた。
「残念だなぁ。もっと惚れさせないとか」
冗談めかして言うと、彼の固く引き結んだ口もとが緩んだ。
「いつもそうやって笑っててよ」
たまらず、その唇に口づけをした。
唇を離す時、少しだけ彼の唇を噛んだ。血色のない、荒れた唇に血が滲む。
何か言われるかと思ったが、彼は微笑んでその血をなめた。
「……分かったよ。この痛みでお前を思いだそう。――もう朝だな。行け」
「うわっ、嬉しい……」
その背にぎゅっと抱きつく。「変わっているな、お前」という飽きれたような声に、「あなたもだよ」と言い返しながら、私は高揚した気分で鋼主の部屋をでた。
◇
「シェムリ。お疲れ。私ももうすぐここを出ることにしたよ」
”奥”の部屋に戻ると、隣の部屋の娘がそう言いにきた。”奥”にいるだけあって、なかなか見目もよく、肝も座っているこの娘は、ここでの暮らし方を教えてくれたりと、何かと世話を焼いてくれた。
私の顔を見て、お、と娘が眉をあげる。
「なんか嬉しそうじゃん。いいことでもあったの?」
「それがね……!」 私が話すと、どんどん娘の表情は凍りついていった。
「あなた、毎日鋼主様のお腹に剣を突き立ててるの……?」
「でも彼が自分でやるよりはいいとは思わない?」
「……まあ確かに。いや、そうなのか?」
娘はあれこれと自問自答し始める。
「それにね! 私が唇につけた傷が痛んだら、私を思いだしてくれるって! けっこう痛いと思うんだよ、あれ。だから今頃きっと鋼主様は私のことを想ってくれてるよ」
「う――ん」
娘は激しく眉根を寄せた。
「シェムリ。……みんなのために鋼主様に気に入られようとしてくれて本当にありがとね。でも、無理しなくていいんだよ」
「いや、ぜんぜん無理してないわ。これは、私に初めて訪れた”恋”よ!」
目を輝かせて堂々と言うシェムリに、娘はしばし呆然としてからボソッとつぶやいた。「……これは応援していいやつなのか?」
◇
「ミレナが明日出発するって」
シェムリの言葉に、シェムリの柔らかな金髪を撫でていた鋼主は、その手を一瞬止めた。
「……誰のことだ?」
「んもう、ちゃんと覚えてるくせに」
シェムリは口を尖らせた。「鋼主様の一番のお気に入りで、何回か熱い夜を過ごした子だよ。あ、ちなみに私は嫉妬とかしないよ? 心の広い女だから」
シェムリはいたずらっぽく笑ってから鋼主に聞いた。
「何か一言、言ってあげてよ。私が伝えるからさ」
鋼主はしばらく黙ってからぽつりと言った。
「幸せになれ、と伝えよ」
「あなたのそういうところ、大好きだよ」
抱きつくシェムリに、鋼主は少しだけ迷惑そうな顔をしながらも、シェムリを払いのけようとはしなかった。
◇
鋼主は寝台の上でシェムリの豊かな金髪を撫でながら言った。
「近いうちに西ノ帝国にたつ。これから、しばらく会えなくなる」
「……寂しくなるなぁ。じゃあ今のうちに目に焼き付けておこう」
シェムリは少し体を起こした。
鋼主は今、覆面をしていない。次第にシェムリと会う時だけには覆面を外すようになった。
居心地が悪そうに視線をそらした鋼主に、シェムリは続けた。
「私、あなたがいないとダメなの。絶対、死なないでね」
真剣な口調のシェムリに、鋼主はしずかに微笑んだ。
長い睫毛をふせて、シェムリは言った。
「それにしても、ずいぶんと急な出立なのね」
「……早めることにした。こちらの情報が西ノ帝国に漏れているような気がする。出立日も直前まで秘匿にする」
鋼主はシェムリの金髪を撫で続けている。
しばらくの沈黙のあと、シェムリが鋼主を見上げた。
「”お前が漏らしているんじゃないか”って私に聞かないの?」
鋼主は口の端をあげた。
「聞かないな。もとより俺は誰かを信用するのを辞めた。……西ノ帝国時代の教訓だ。他者は裏切る。常にその想定で動く方がいい」
「え、じゃあ私も裏切ると思ってるの?」
シェムリは形の良い眉をあげた。
「その想定でいる。お前だけじゃない。軍の他の者たちもそうだ」
鋼主は平坦な声で答えた。
「むむ」シェムリは頬を膨らませた。「じゃあなんであなたは私と今こうして一緒にいるの?」
鋼主は少し考えた。
「……さあ」
「んもう」シェムリはぎゅっと鋼主の体に抱きついた。「……私はずっとあなたと一緒にいたい。裏切るなんて、しないよ」
鋼主は口の端だけで、ふっと笑った。寂しそうな微笑みだった。それを見とがめてシェムリは不満げな声を漏らした。
「あ、ファクトル。信じてないでしょ。ひどいなぁ。せっかくの好意を無駄にするの? こんなにいい女、他にいないよ」
「自分で言うか」
鋼主――ファクトルは今度は楽しそうに笑った。「まあ、しばらくお前に会えなくなるのは残念だ」
そういって、シェムリの体にそっと手を回して抱きしめた。
「ねぇ。どうして戦争をするの? 西ノ帝国が憎いから?」
鋼主の腕の中でまどろみながら、シェムリが聞いた。
「お前が知らなくていいことだ」
鋼主が答えると、シェムリは「そう……」と呟き、まぶたを閉じた。すぐに小さな寝息が聞こえだす。
シェムリが完全に寝入ったあと、鋼主はシェムリの艶やかな金髪を撫でながらつぶやいた。
「……お前には知られたくないんだ。こんな醜い気持ちなど」
********
※作者つぶやき
これを全部本編に入れると、鋼主とシェムリだけでかなりの尺を使ってしまいます。そのため、不要なところは削り、いい感じになるように各エピソードを統合したりして本編に含めています。「お、ここは本編で読んだぞ」と分かったら、あなたは「ぬるもん」マスターといっていいでしょう。
ちなみに、「ぬるもん」は「紋様の民と鉄の時代」の公式略称です^^
(別サイトで読者さんよりコメントいただいて嬉しかったのでこちらを採用させていただきます(笑))




