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第二十一章  ダンの木

転写から三十九年が経った年の、秋のことだった。


グリアからの通信が来た。


コルからだった。コルは今年、四十七歳になっていた。


「アン、来られるか?ダンさんが、会いたがってる」


その一言だった。


私はその日のうちに出発した。





グリアへ向かう道は、もう何度も歩いていた。


峠を越えるとき、風が冷たかった。秋の終わりの風だった。この体で感じる寒さは、温度の数値として知覚する。でも、寒い、という感覚は確かにあった。


シスが隣を歩いていた。


「ダンさんの状態は?」と私は歩きながら聞いた。


「コルからの情報では、二週間前から床に臥しているとのことです。医療スタッフが診ていますが、心臓が弱っていて、根本的な治療は難しい状況です」


ダンは転写のすぐ後にグリアへ来た。あのとき四十代後半だった。それから三十九年。八十代半ばになっていた。


長く、生きてくれた。


でも、長いとは言えなかった。もっと長くいてほしかった。





グリアに着くと、コルが出てきた。


四十七歳のコルは、すっかり落ち着いた顔をしていた。でも今日は、その顔に緊張があった。


「アン、来てくれた」


「来ると言ったから」


「ダンさんは、今日は少し楽だって言ってた。でも……」


コルは言葉を止めた。


「行こう」と私は言った。


ダンの部屋は、グリアの岩壁の近くにあった。石の建物だった。グリアに来た当初からずっと使ってきた場所だという。


ドアを開けると、温かい空気が出てきた。


ダンがベッドに横になっていた。


毛布に包まれていた。顔が細くなっていた。でも目は同じだった。鋭くて、静かで、ちゃんと生きている目だった。


「アン」とダンは言った。かすれた声だった。でも聞こえた。


「ダンさん」


「来てくれたか」


「来ました」


「……座れ」


椅子を引いて、ベッドの脇に座った。


ダンはしばらく天井を見ていた。それから、ゆっくりと私の方を向いた。


「コルが大きくなった」


「なりましたね」


「見たか?」


「見ました。すっかり父親の顔をしていた」


「……俺に似てきた、と思うか」


「正直に言っていいですか?」


「言え」


「似ていません。もっと素直です」


ダンが、短く笑った。笑うと少し咳が出た。でも笑った。


「そうだな。あいつは俺より素直だ。人を信用するのが早い」


「いいことだと思います」


「そうかもしれない」


しばらく、ふたりとも黙っていた。


部屋の隅にランプが一つあった。その光だけが、部屋を照らしていた。





「お前に頼みがある」


「なんですか?」


「コルを、見ていてくれ。俺が見られなくなっても」


「見ます。ずっと見ます」


「千年、あるんだろう?」


「はい」


「ならコルが死んでも、その子供が死んでも、まだ見ていられる」


「そうです」


「……それは、すごいことだな。羨ましいとも、怖いとも思う」


「どちらかといえば?」


「怖い方が少し大きい。でも、お前が見ていてくれると思うと、安心する。俺が見届けられないものを、お前が見ていてくれる」


私は何も言えなかった。


「楢の木を植えておいてやる、と言ったな?」


「言ってました。覚えています」


「グリアの広場に植えたい。みんなが通る場所に。ヴォルナで俺が書いた文字みたいに」


「まだここにいる、という文字みたいに?」


「そう。あの文字は、役に立ったか?」


「役に立ちました。あの文字を見なければ、私はあの路地に入らなかった。コルに会えなかった」


「そうか」


「ダンさんが書いてくれたから、全部が始まりました」


ダンはしばらく天井を見ていた。


「……俺は、何もしていない。廃墟に残っていただけだ。文字を書いただけだ。あとは、お前たちがやった」


「残っていることが、一番難しいことだったと思います」


「そうかな?」


「はい。動くより、残る方が難しい。ダンさんはそれをやった」


ダンはまた、短く笑った。今度は咳が出なかった。


「大げさだ」


「大げさじゃないと思っています」


部屋が静かになった。


風の音が外から聞こえた。


「眠くなってきた。今日は、もう休む」


「はい」


「また来るか?」


「来ます。明日も来ます」


「……そうか」


ダンの目が、ゆっくりと閉じた。


私はしばらく、その場にいた。


ダンの呼吸が、穏やかに続いていた。





コルが廊下で待っていた。


「話せた?」


「話せた」


「……ダンさん、何て言ってた?」


「楢の木を、広場に植えてほしいと」


コルは少し目を伏せた。


「植える。絶対植える」


「うん」


「アン、ダンさんは、大丈夫かな?」


私はコルを見た。四十七歳の顔が、怯えていた。誰かを失うことへの怯えだった。


「わからない。でも、ダンさんは今日、あなたのことを話してくれた。大きくなったって。嬉しそうだった」


コルは何も言わなかった。


「コルが大きくなったのを見るのが、ダンさんは嬉しかったんだと思う」


コルの目が、少し赤くなった。泣かなかった。でも赤くなった。


「……ダンさんに、ちゃんとお礼を言えたかな?ヴォルナで助けてもらったときのこと、言えたかな?」


「言えてたと思う」


「言えてたかな?」


「コルがここにいること自体が、お礼だと思う。ダンさんが助けたコルが、ここで生きてる。それが一番のお礼じゃないかな」


コルはうつむいた。


しばらく黙っていた。


それから小さな声で言った。「……そうかな」


「そうだよ」


「……うん」





その夜、ダンは静かに眠るように逝った。


朝になってコルが起こしに行き、呼んでも答えないと知って、私を呼びに来た。


私が部屋に入ったとき、ダンは毛布に包まれたまま、眠っているようだった。


表情は穏やかだった。苦しんでいなかった。昨夜、私と話して、それから眠って、そのままになっていた。


コルが部屋の入り口に立っていた。入れなかった。


私は振り返って、コルを見た。


コルは泣いていた。声は出していなかった。でも涙が出ていた。四十七歳の顔に、涙が流れていた。


私は部屋を出て、コルの隣に立った。


何も言わなかった。


ただ、コルの隣に立っていた。


コルが私の腕をつかんだ。白磁の腕を、力を込めてつかんだ。


私はそのまま、じっとしていた。





翌朝、コルは広場に出た。


スコップを持って、一人で掘り始めた。


秋の地面は固かった。コルは必死に掘っていた。グリアの住人が何人か出てきて、手伝おうとした。コルは「自分でやる」と言った。


小さな苗木があった。


誰かがどこかから持ってきた楢の苗木だった。まだ細い木だった。


コルが穴を掘り終えて、苗木を植えた。


泥だらけの手で、土を固めた。一つかみずつ、丁寧に押さえた。


私はその隣に立っていた。シスも立っていた。グリアの人々が、離れたところから見ていた。


「ダンさん。植えたよ。広場に植えた。みんなが通る場所に。ちゃんと植えたよ」


風が吹いた。


秋の風だった。苗木の細い枝が、揺れた。


「大きくなるかな?この木」とコルは言った。私に言った。


「大きくなる。楢の木は、何百年も生きる」


「ダンさんが見られなくても?」


「見られなくても、大きくなる。コルが見る。私が見る。この先に生まれる人が見る。みんなで見る」


コルは苗木を見た。


細い苗木が、秋の光の中に立っていた。


「まだここにいる、って文字も、ダンさんが書いた。この木も、ダンさんが残した」


「うん」


「ダンさんは、いなくなっても、ここにいる」


「そうだよ。記憶が続く限り、いる」


コルはまた苗木を見た。長い間、見ていた。


それから立ち上がった。泥のついた手を、服で拭いた。


「……アン、ありがとう」


「私は何もしていない」


「来てくれた。いてくれた。それがよかった」


私は何も言えなかった。


空が、秋の青だった。


細い苗木が、その青の下に立っていた。


小さかった。でも、ちゃんとそこにあった。


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