赤面してるんだよね
ほぼ直線の一本道である洞窟を駆け抜けて外へ脱出すると、オレンジ色の空は漆黒に染まっていた。
月明かりのおかげでかろうじて視界は大丈夫だ──と、そんな事を考えている場合ではない。
死に物狂いで逃げたにもかかわらず、俺たちの後ろには全長三メートルはあるゴーレムが今も張り付いている。
「くっそぅ……!」
悪態をつき、限界まで速く飛ぶ。
そしてほんの一瞬距離を離せた、そう思った瞬間だった。
まるで全力でフルスイングしたバットに殴られたかの様な衝撃が、後頭部に響き渡った。
「がぁっ!」
口から呻き声が漏れた俺は、トリデウスを抱えたまま前方に吹っ飛び、木に叩きつけられた。
その衝撃で俺は地に倒れ伏し、抱えていた彼もゴロゴロと地面に放り投げられてしまう。
透過が間に合わない速度で吹き飛ばされてしまったため、モロに衝撃を受けてしまった後頭部と木にぶつかった左肩がズキズキと痛んだ。
幽霊に外的損傷を与えるゴーレム、控えめに言って恐ろしすぎる……。
『#$%$%#!』
「……ハっ!」
痛む頭を押さえていて、接近するゴーレムへの反応が遅れてしまったことに気がつく。
先程のようなあの剛腕によるパンチをまともに受ければ、再起不能もあり得る。
回避する為にすぐに浮遊しようとした瞬間、肩に鋭い痛みが走り、その場で棒立ちをしてしまった。
その隙に、ゴーレムが岩石のような拳を繰り出す。
「やば───」
「危ないッ!」
まさにゴーレムの拳が直撃する一瞬前に、飛び込んできたトリデウスが俺を突き飛ばした。
そして俺が地面に尻餅をつく頃、助けてくれた彼の横腹には、すでにゴーレムの剛腕が深くめり込んでいた。
ゴーレムがパンチを振り抜き、まともに攻撃を受けてしまったトリデウスは地面に叩きつけられた。
だんっ! と鈍い音が響く。
俺を庇ってくれた元魔王軍幹部の老人は、うつ伏せのまま沈黙してしまった。
「トリデウス!」
すぐさま体勢を立て直して飛び、ゴーレムの手に掴まれる寸前だったトリデウスを抱きかかえて回避した。
浮遊ではなく一時的な飛行であったため、すぐに地面に落下してしまったが、俺自身の体を下にすることで彼のクッションになりながら地面に不時着する。
そしてトリデウスを地面に仰向けに寝かせ、数回ほど彼の頬を叩いた。
「おいっ! おいしっかりしろ!」
「………ぅ」
叫びながら同時に身体も揺らしてやると、僅かだが少年は声を発した。攻撃による衝撃で気絶をしてしまっているが、息はまだあるので即死は免れたらしい。
しかし安心はできない。振り返ればそこには此方へゆっくりと歩を進めるゴーレムと、微笑を浮かべながら木の上で高みの見物を決め込んでいる邪悪な少女が存在した。
……くっそ、どうすりゃいんだ。明らかに詰んでるだろ、この状況。
俺の目的はユノアの解呪だ。そのためには呪いの短剣が必要で、さらにそれを手に入れるにはトリデウス自身が必要ときた。
つまりこの眠りこけてるショタを生きてこの場から連れ出さないと、目的は達成されない。
魔王の口ぶりから察するに、俺だけで逃げるのも無理だろう。捕まえる……だとか呟いていたし、仮にトリデウスを見捨ててこの場を離脱しようとしても、あのゴーレムで追いかけてくるに違いない。
一応、俺自身が生き残る道はある。……死人だけど。
とりあえず「魔王軍に入りまーす!」と言えば、俺自身の身の安全は保障されるだろう。
この場が俺一人であれば、一時的に軍門に下ってから、隙を見て逃げる──なんてことも選択肢に上がるのだが。
仮にそうしたとしても、結局トリデウスは殺されてしまう。俺の勧誘と彼の始末は話が別だからだ。
トリデウスの身の安全を保障すれば、魔王軍に入ってやる……なんてのも意味はないだろう。魔王が交換条件に従う理由がない。
やっぱり、ゴーレムを倒すしかないか。めちゃくちゃ都合のいいように考えれば、俺がこの身一つでゴーレムを倒せば「なかなか面白い、見逃してやろう」みたいなことを魔王が言うかもしれない。……多分ないな。
とにかく抵抗しなければ速攻で終わってしまう。
ウダウダ考えてる暇なんてない。
『##”$$%』
ゴーレムが近づいてくる中、俺は落ち着いて周囲を見渡す。
流石に俺の体だけじゃ何もできない。何か武器になるものは───
「ッ!」
ソレを見つけた瞬間、俺は飛んでゴーレムの横を通り抜けた。
そして無造作に地面に転がっていた『トリデウスの杖』を拾い上げる。意外にも重いソレに一瞬動揺したが、両手で持ち上げることで杖を武器として扱うことに決めた。
岩石で構成されているゴーレムの表皮は、とてもこの杖の打撃では効果などないだろう。
唯一狙えるとすれば、それは腹部にある小さな魔石だ。
あの魔石はゴーレムの核であり、常に魔石が直接大気を帯びていないとゴーレムの体内の魔力を循環させられない性質上、必ず体外にむき出しになっている。
あれをこの杖の尖った先端部分で突くことが出来れば、魔石を破壊してゴーレムを無力化できる。
残る魔王に関しては……後で考えよう。あんまり頭脳派には見えないし、言葉でなんとかできるでしょ(適当)
『&&&%%%%ッ!!!』
「わっ!」
冷静に観察していたと思ったら、突然ゴーレムが殴りかかってきた。
咄嗟に杖を横にしたが、魔王幹部の武器とはいえ、こんな棒切れじゃ叩き折られて終わるぅ!
ビビりながらも最後まで目を逸らさず、しっかりと向かってくる拳に杖を構えた。少しでも衝撃を和らげることが出来れば僥倖──
『#$!?』
「──っ! ………ぁ、あれ?」
怖すぎて直撃の瞬間は目を閉じてしまったが、予想していた衝撃が俺の体に飛んでくることはなかった。
恐る恐る目を開けると、そこにはしっかりとゴーレムの拳を受け止めている杖の姿が。
ゴーレムのパンチすら折れることなく受け止められる杖。
……どうやら、俺が思っている以上に魔王幹部の武器は凄かったらしい。棒切れなんて言ってすみません! 杖先輩さすがッス!
「ははは……。どっ、どうだゴーレ──ウガァッ!?」
『#####ッ!!』
瞬間、ゴーレムのデカい足が振り上げられ、そのキックは俺の横顔に直撃した。
早すぎる攻撃に反応できるはずもなく、俺は無抵抗に吹っ飛ばされて地面に転がった。
「いぃ゛っ、いでで……!」
岩石の脚による蹴りがめり込んだこめかみが痛い。めちゃくちゃ痛い。実はちょっと泣いてる。
頭を抑えつつ、なんとか立ち上がった。
しかしその瞬間、何かが気管に入った時のように、急に噎せ返ってしまった。
「げほっ! ゴホごほッ!!」
思い切り咳をしたことで頭が眩み、その場にへたり込んで膝をつく。
すると、目の先にある地面に謎の液体が零れ落ちている事に気がついた。
いつのまにか、俺の口から青白い液体が漏れ出ている。それはまるで吐血のようで、喉と口の中に不快感が広がっていった。
いままで経験したことの無い状況に狼狽していると、前方から魔王の声が聞こえてきた。
「あちゃー、幽液出ちゃってる。ラルちゃん大丈夫?」
「ゆっ、ゆう……えき……?」
繰り返す様に俺が呟くと、魔王は「知らないの?」と言って木の枝から降り立った。
しかしそのまま近づくわけではなく、ゴーレムの後ろにいつの間にか用意した、木製の椅子に座って笑顔のまま俺を眺めている。
「幽液っていうのは、ゴーストが幽体として活動するために必要なエネルギーのことだよ。わかりやすく言えば血液だね。でも血と違って新たに生成することはできないし、体外から摂取するのも無理」
「………なんじゃ、そりゃ……」
「あはは。死人なのにこんな生物学的な存在が発生するの、かなり変だよね。でも幽霊は『そういうもの』だし、消えたくなかったら───ラルちゃん、口を閉じて無理してでも幽液を飲み込んだ方がいいよ~」
そう言いながらいつの間に用意したティーカップに口をつける魔王。余裕かましすぎだろお前!
……ぐぬぬ、魔王の言う通りにするのは癪だけど、出さない方がいいなら飲み込もう。
幽霊だし、気管に入って死ぬとか、そういう心配は無用なはずだ。むしろ内臓があるかすら怪しい。
「んっ……んくっ……けほっ、けほっ」
咳き込みはするものの、青白い液体が口から出ることはなくなった。
でも垂れた幽液は口元や顎に付着したままだし、傍から見れば吐血した人間なのは明らかだ。
魔王を睨みつけながら、ゆっくりと立ち上がる。
その瞬間、脳が揺れるように眩んだ気がして、再び膝をついてしまった。なっ、なんだ……!?
「頭痛がするッ、は……吐き気もだ……くっ、ぐぅ……な、なんてことだ、このラルが気分が悪いだと……!? このラルがあのゴーレムに頭を蹴られて、立つことができないだとッ!?」
「わざわざ声に出さなくてもよくない?」
「誰のせいで痛くなってると思ってんだよ!」
くぅ、冗談抜きで立てない……。ゴーレムのキックが効いたのもあるけど、幽液とやらを吐き出したのもまずかったか。
「もういいや。ラルちゃんが消えない内に、さっさと捕まえちゃって」
『#%$#&』
魔王の命令を受けた瞬間、ゴーレムが俺に向かって歩き始めた。
その重い足が地面を踏みしめる度に、危機感と恐怖が少しずつ湧き出てくる。
人間として当然のその感情は、逃げなければいけない俺の身体を拘束してしまった。
動けない。ゴーレムが近づいてくる。動けない。ゴーレムが……。
うぅっ、ここまでか。やっぱり幽霊なんかじゃ、女の子ひとり救うことも出来ないのか。
頭の中で後悔を繰り返しているうちに、大きな影が俺を覆う。
既に目の前にはゴーレムがいた。そしてその手は開かれ、腕を此方に伸ばしている。どうやら俺を握って連れ帰るらしい。
脳内を駆け巡るのは、懺悔をしたい気持ちだった。これでまた、俺はアルトの前から姿を消す。
ユノアを見捨てることになる。啖呵を切って出ていった幽霊が連れ去られたとなれば、笑い話のひとつにでもなるだろうか。
───あぁ、もう、目の前に手が。
「セイッ!!」
『%%&ッ!?』
「………ぇ?」
──あまりにも、一瞬の出来事。
迫っていたはずのゴーレムの手は、いつの間にか切断されて地面に落ちて。
動けなかった俺は、誰かに抱えられて数歩後ろに下がっていて。
醜悪な笑みを浮かべていたはずの魔王は、目を見開いて驚愕していて。
「……大丈夫か?」
「えっ。きっ、きみは──」
お姫様抱っこのような状態になっている俺が顔を上げると、見計らったかのように、その人物の顔を銀色の月明かりが照らした。
凛とした目つき。
靡く漆黒の長髪。
銀色の胸当てや腰に収まっている長剣。
そしてなにより、気品を感じる佇まい。
まさに、その姿は『騎士』そのものだった。
「ゆっ、ユノア?」
俺が呟いた瞬間、彼女はフッと優しく微笑み、ゆっくりと俺をおろした。
そしてマジマジと俺の全身を見回すと、ユノアはそっと片手で俺の頬に触れた。
「私の為に、こんなに……ボロボロになって」
少しやるせなそうに言い、触れていた手の親指で俺の唇の端を軽く擦った。その親指には青白い液体が付着しており、その行動が俺の幽液を拭うことなのだとすぐに理解できた。
助けるはずだった女性に、助けられてしまった。
目の前の状況が理解しきれず、あわあわとその場に立ち尽くす俺に、彼女は背を向ける。
そして首を少しだけ振り向かせ、安心するような優しい声音で一言告げた。
「私の後ろに隠れていろ」
「はっ、はい」
やだっ、かっこいい……。
トゥンク…




