三度目は
バカンスから帰り、静かに高等部の教室に入ってくる同い年の子供を見ながら、少年は老婆の言葉を思い出していた。
「どうやら、別の種が芽吹いたようだよ」
「別の種?」
「ああ。だけど、ずいぶん時間がかかったね。それに、どうも、おかしな芽だ。私たちの邪魔になるかもしれないね。まだ力が開花していないお前には分からないかい?」
「分かんないよ。ねえ、そういえば、その種って、どのくらい蒔いたのさ」
「お前たちの分で最後だよ。種は私の命を削ってできてる。前に話しただろう? 私はこんななりしているが、本当はもっとずうっと若いんだ。これで駄目なら諦めるしかなかったから、お前に会えて本当に嬉しいよ」
「……っ。そう。ね、ねえ。芽っていうけど、人なんでしょ? どんな奴なのか分からないの? 邪魔ってどういうことさ?」
「同族のはずだが、どうも嫌な感じもするんだよ。私が今まで気付かなかったのもおかしいしね。他の種は全部駄目になっちまってたのは間違いないから、おそらく最後の種……お前と同じ年頃の子供だよ。お前を見つけた時と一緒で、気配は分かるが、どの子供なのかまでは分からないんだ。ただ、まあ……」
「なんだよ?」
「その子供も、お前と同じように特別な子のはず。小さな町だ。これだけ芽が出ていれば、ちょっとうろつけば分かるだろうさ」
「ふうん。で、どうするの?」
「決まっているだろう? いずれ私たちの邪魔になるような芽なら、小さなうちに間引くのさ」
にたり、とわらった老婆の顔はふつうの子供なら恐怖するものだったが、少年は何とも思わなかった。
しばらくして老婆が見つけ出したのが、今は学校で少年の隣の席に座る、いつも無表情の子供だった。
老婆は見つけたばかりの時は様子を見ていたようだが、やはり邪魔になると判断すると、噂を流して母親の孤独を煽り、子供の芽を摘み取るように仕向けて半ば遊んでいた。結局、失敗するのだが。
その頃少年は、力を開花させていた。
きっかけは、両親の死、だった。
老婆が遊んでいる間に、少年は学校に通う事になり。両親に、このままずっと家に閉じ込められると思っていた少年は、両親の関心がまだ自分にあると思い、喜びを感じてしまった。
すると独りで眠る夜の闇が、より一層濃くなった。
少年は、自分を愛さない両親の事を考えた。
考えないようにしていたけれど、本当は、とてもとても寂しい。
老婆は愛していると言ってくれる。けれど今は、もう一人の知らない種に目を向けている。老婆が愛しているのは、結局、少年ではなく、種――老婆自身なのではないか。少年はそう思うようになっていた。
苦しい。どうして、独りきりなんだろう。頬を冷たい雫がいくつもすべり落ちていった。
少年は、愛してくれない両親など、消えてしまえばいい、と思った。
そして翌朝。
何かに呼ばれるように少年が訪れた部屋で、両親は、天井からゆらゆらと揺れていた。
心に闇を抱えた両親は、あっさりと、少年の望み通りに、自分の首に縄をかけた。その顏は醜く歪んでいたが、しかし少年には、二人とも、安堵するようにわらっているかに見えた。少年も、わらった。
少年に、親類はいない。
老婆がいたから、表向きは祖母ということにして、家を離れることにはならずにすんだ。
学校に入って初めて子供に対面した時、少年の心が一瞬、大きく跳ねた。
同じ種から生まれたはずなのに、無表情ながらも、眩しく輝いている少女。少年の心の奥底で、憧れてやまない光を。自分が決して得られないものをもっている。
少女がとても羨ましくて、憎い。
温かい家がありながら、何の気無しに、親や兄弟たちの愚痴をこぼす同級生たちが憎い。
憎しみは殺意となって、あの男を教室へ呼び寄せた。
少年は楽しみながらも、心の奥では泣いていた。だから、強い光を持つ少女だけは傷一つ付けられなかった。既に傷を負いながらも二人を守ろうとした教師を、守ってしまった。――あの時は、誰も殺す事などできなかった。
「おはよう」
振り払うように、少女に声をかけた。
――みんな、ボクのように、苦しめばいいんだ。こいつは、どうしたら堕ちる? 芽を刈り取るのは、それからでもいい。
そんな事を考えながら。しかし。
「おはよう」
「……っ!」
挨拶を返した少女の顔を見て、少年は一瞬、思考を停止させた。
目の前にいるのは誰だ? いつもの冷たい、無表情を浮かべているはずの子供はどこだ、と。
思わず、まばたきを繰り返す。
相変わらず隣の席に座っているのは、美しく可憐な、少女。
ふだんの無表情などは崩され、ふわり、と心をとかすような、温かい笑みを浮かべている。
その笑顔に、昏く淀んだ心を照らす光を感じた少年は、きっ、と睨みつけて言い放った。
「へ、へんな顔して笑うな!」
「……? 笑う? ボク、笑っていた?」
不思議そうに首を傾げ。しばらくして少女は「良かった。もう、笑えてるんだ」と呟くと、またにっこり、微笑んだ。
少年は、その笑顔に、どうしようもなく強く惹かれてしまった。
おかしい。
奈落に落とすつもりが、ボクが落とされてる?
ああ、でも。ここは、温かい光が差し込んでくる。
こんなに温かいのは、いつ以来だろう? ずっとずっと前、おとうさんとおかあさんが抱きしめてくれていた時の――。
その後、老婆がどんなに訴えようと、激怒しようと、少年は、少女には手を出せなかった。老婆にも、手を出させなかった。力を使えば簡単だった。
少女が笑顔を向けてくれると、心が温かく癒されていく。
いつしか少年は、再び、生まれ直したのだった。今度こそ、欲しかった光に照らされて。
それは、少女が開花させた、種のもうひとつの力。心に闇を持った人間を照らし、癒す力だった。
老婆が少女に気付いた時、それは少年と同じ力を持とうとしていた時だった。サラの苦悩を感じ、少女もまた苦しむ、心の闇があったからだ。
けれど、はじめ老婆が少女に気付けなかった時のように、何の疑いもなく愛情を注ぐマークが傍に戻った事で、サラも少女への素直な愛情を取戻し、少女は心を晴らした。そして、その力を開花させた。
悪魔と天使は表裏一体。
注ぐ水――愛情の違いで、開花する力が変わる事に、老婆は気付いていなかったのだ。
やがて老婆は、少年のもとから姿を消した。
事故で子供を宿せない体になった時、神などいないと思った。悪魔に魂を売って、種の作り方を聞き出した。悪魔のように、強い子供が欲しかった。
少年は、悪魔の心を持ちながらも、少女に癒され、強くやさしく成長していった。そんな少年を見る内に、少しだけ魂を取戻し、離れる事を選んだのだった。醜さなど全くなく、晴れ晴れとした顏で。
数年後、この町で評判の美しい夫婦に、子供が生まれた。
すやすやと眠る子供を見ながら、かつての少年と少女は微笑んだ。
「カーマエル。私、幸せよ」
「僕もだよ、アスタロッテ」
ふたりは子供を温かい愛情でいっぱいに、大切に育てたのだった。
これで本当に完結です。読んで下さった方、ありがとうございました!