第167話「番外編『エピローグ』:法人進化!期待?栄転?」
かつての喧騒が嘘のように、静かな朝だった。
迷宮都市メレンゲ。
この街を象徴する巨大な石造りの建造物――かつての「冒険者ギルド・メレンゲ支部」の正面には、朝日を浴びて鈍く輝く真新しい看板が掲げられている。
『冒険者法人メンバーサービス メレンゲ本社』
多数あった冒険者ギルドの組織変更に伴い、この地は独立した法人として再始動することとなった。
かつての野蛮な「荒くれ者の溜まり場」は、今や洗練された「営利企業」へとその姿を変えている。
私は、社長室となった最上階の執務机で、パプリカ領から定期便で届く高級な磁器のカップに、熱いコーヒーを注いだ。
かつての「ギルド長」という私の呼び名は、今や「代表取締役社長」という、いささか事務的な肩書きに変わっていた。
窓の外を見下ろせば、パプリカ領直伝の滑らかなコンクリートで舗装された街路を、整然とした制服に身を包んだ職員たちが、足早に出勤していく姿が見える。
かつてのように、朝から酒の匂いを漂わせた冒険者が広場で殴り合いを始めるような光景は、もうどこにもない。
あの大規模な内乱を経て、パルスイート女王陛下が即位されてから数ヶ月。
彼女がもたらした「合理的経営」という名の嵐は、この辺境の迷宮都市さえも完全に塗り替えてしまった。
伝統ある冒険者ギルドを解体し、人材派遣を主軸とした「法人」へと再編する。
最初は誰もが正気を疑ったその計画も、蓋を開けてみれば、食い詰めていた若手冒険者たちに「安定した賃金」と「安全な労働」という、これまでにない希望をもたらした。
そして、そのシステムの中心であるこの「本社」からは、かつての仲間たちが去り、それぞれの新しい人生を歩み始めている。
私はふと、デスクの隅に置かれた、二通の近況報告書へと視線を向けた。
一通目は、かつて経理を担当していた、あのプラチナブロンドの美人スカウト……今は財務管理部長として、別の落ち着いた拠点で執務にあたっている彼女からのものだ。
彼女の近況は、かつてロザリオ……当時グレースと名乗っていた少女の銀髪を愛でることに全てを懸けていた、あの狂気的な姿からは想像もつかないほど、穏やかなものだった。
彼女は、他支部から転属してきた誠実で仕事のできるイケメン職員と、実にあっさりと結婚したのである。
『社長、お元気でしょうか。
こちらは毎日、とても穏やかな時間が流れております。
私は今、身重の体ということもあり、現場を離れて事務作業に専念させていただいておりますが、夫がとても細やかに気を配ってくれますので、何の不安もなく過ごしております』
彼女の筆致は、以前のような鋭い毒舌を潜め、慈愛に満ちた丁寧な言葉で綴られていた。
『最近の楽しみは、生まれてくるこの子のために服を選ぶことです。
先日、陛下から特別に賜った「芋虫ルク」製のベビー服……
デッドリーポイズンバタフライの幼虫から作ったという素材名を聞いた時は、さすがに陛下らしいネーミングセンスだと驚きましたが、その肌触りはまさに至高でした。
専属鍛冶師件デザイナーのスティナさんが監修されたらしく、フリルがとても可愛らしくて、今から着せるのが待ち遠しくて仕方がありませんわ』
私は彼女の幸せそうな報告に、思わず目を細めた。
かつての「リボン症候群」は、今や「我が子への深い愛情」へと美しく昇華されたようだ。
私は二通目の報告書へと手を伸ばした。
送り主は、かつて倉庫番兼戦闘教官を務めていた、あの筋肉だるまの巨漢だ。
彼は現在、メレンゲから遠く離れた他領、市街地に近く治安も良好な「別支部」の支部長へと栄転している。
一組織の長としての自覚からか、その筆致にはどこか紳士的な落ち着きさえ感じられた。
『社長、ご無沙汰しております。
新天地での業務もようやく軌道に乗りました。
ここはメレンゲとは違い、夜も静かで街並みも非常に清潔です。
実は、以前は私の職務の物騒さを嫌って距離を置いていた娘と妻が、この転勤を機に、以前とは見違えるほど私を頼ってくれるようになりました。
特に娘は、今の職場環境をとても気に入ってくれているようです』
報告書には、仕事の内容よりも、家族との関係修復についての喜びが切々と綴られていた。
『昨日の休日は、一日中娘の買い物に付き合わされました。
ハルバードを振るうよりも重い買い物袋を両手に下げて歩くのは、正直に申し上げれば少々堪えますが、娘のあのような笑顔を見せられては、父親として断る術を持ち合わせておりません。
妻も隣で「パパ、鼻の下が伸びていて見苦しいですよ」と呆れておりますが、それもまた、一つの幸せの形であると噛み締めております』
私は脳内で、デレデレの笑顔でショッピングバッグを抱える巨漢の姿を想像し、鼻で笑った。
メレンゲという、常に死と隣り合わせだった環境から解放され、彼はようやく一人の男として、そして父親としての平穏を掴み取ったのだ。
かつての仲間たちが、それぞれの場所で、戦う以外の「人間らしい幸せ」を見つけている。
それは、パルスイート女王が不労所得を追求した副産物として構築した、この合理的で「甘くない」システムがもたらした、一つの帰結と言えた。
その時。
執務室のドアが控えめにノックされ、秘書が書類を持って入ってきた。
「社長。
王都より、陛下のご署名が入った親書が届きました」
「……陛下からか。
また厄介な案件でなければいいが」
私は苦笑いしながら、最高級の羊皮紙に包まれた封筒を受け取った。
中を確認すると、そこにはパルスイート女王の美麗な直筆署名があったが、本文は官職の人間が書いたと思われる、極めて事務的で堅苦しい文言が並んでいた。
『――貴社に対し、国家プロジェクトの一環として、次世代型魔導重機のオペレーターおよび、特殊技能を持つ人材の養成を正式に依頼する』
内容は、新たな人材養成の依頼書だった。
以前の「冒険者ギルド」時代であれば、このような大掛かりな依頼が来れば、私は即座に頭を抱え、現場の調整や予算の工面に奔走し、深夜まで一人で頭を悩ませていたことだろう。
しかし。
私はその書類を一読すると、迷うことなくデスクの上の呼び鈴を鳴らした。
「はい、社長。
お呼びでしょうか」
「王都から人材養成の依頼が来た。
教育研修部と、人材管理部の部長を呼んでくれ。
この案件は彼らに委任する。
詳細な計画策定の後、最終案は私が確認しよう」
「畏まりました。
直ちに手配いたします」
秘書が書類を持って足早に退出していく。
私は背もたれに深く体を預け、大きく息を吐き出した。
やるべきことは部下に任せ、自分は決裁と責任を取ることに集中する。
「……ふふ。
やっぱり縦割り…いや、法人体制ってのは、こうじゃないとなぁ」
かつて、全ての業務を背負い込み、現場のトラブルに胃を痛めていた日々が、遠い昔のことのように思える。
適材適所に人を配し、組織として機能を分担する。
その結果、かつての荒くれ者たちさえもが、それぞれの幸せを追求できる時間が生まれたのだ。
不労所得のために、他人をこれでもかと働かせる女王様。
だが。
その理不尽な無茶振りの先に、人々の安定した生活と、穏やかな日常が繋がっている。
ならば、この法人という名の巨大な歯車を回し続けることも、そう悪いものではない。
私は満足げに頷くと、デスクのカレンダーに目をやった。
「さて、ゴルフとかいう新スポーツのコンペ?だったか。
週末さっそく支部長連中と試してくるか」
窓の外、メレンゲの街は、今日も活気と欲望、そしてかつてよりもずっと「甘い」幸福に満ち溢れながら、新しい一日を刻んでいた。
法人進化。
そこに生きる人々の「期待」と「栄転」を乗せて。
メンバーサービスという名の巨大な組織は、今日も力強く、そして「甘くない」音を立てて回り続けている。




