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第133話「打開模索!出発?魔狼?」


 王都からの凶報を携えた早馬が飛び込んできてから、パプリカ領の中心地ピメントの領主館は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


 エリスからの手紙が告げた真実。


 アーリー王子の中身が得体の知れない異常者に入れ替わっていること。

 本物のチクロが身代わりとなって自我を封印し、感情のない戦闘マシーンと化してしまったこと。

 そして、その一騎当千の怪物が、鳩派の粛清という名目でこのパプリカ領へ差し向けられる可能性が高いこと。

 

 もはや、防壁を高くした程度で防げるような相手ではない。

 私は手紙を読み終えた直後、即座に迷宮都市メレンゲのビアンコ男爵のもとへ直接出向く準備を整えさせていた。

 元S級冒険者であり『戦場の魔狼』の異名を持つ彼ならば、この理不尽な武力に対抗するための知恵、あるいは上位の戦い方を知っているかもしれないからだ。

 

 護衛には、当家の最高戦力であるサッカリン。

 そして、王家の暗部構成員であり情報屋でもあるサラヤを同行させることにした。

 防衛準備はソルビトールを中心に、補佐として残った者たちに一任する。

 

 慌ただしく荷物が積み込まれる中、私はエントランスホールを抜け、正面玄関に停められた馬車へと向かった。

 そこには、見送りのために老執事ソルビトールが静かに控えていた。

 彼の背筋はピンと伸び、片眼鏡モノクルの奥の瞳は、いつも通り感情を読み取らせない静謐さを保っている。

 

「留守は頼んだわよ、ソルビトール」

 

「承知いたしました。

 お嬢様も、道中お気をつけて」

 

 いつもの事務的なやり取り。

 だが、これから直面するかもしれない理不尽な暴力と、それに伴う『戦争』の気配が、私に少しだけ口を滑らせた。

 

「あ~、戦争か…

 縁起でもないけど、言い残すことあったら今のうちに聞いておこうかしらね!」

 

 私はわざと明るく、いつものように憎まれ口を叩くような調子で言った。

 すると、ソルビトールは涼しい顔で、さらりと切り返してきた。

 

「お嬢様が先に残された方が良いのでは?」

 

「…ほんと禄でもないことばっか言うのね」

 

 私は呆れたように溜息をついた。

 この期に及んで主人に嫌味を言うとは、本当に可愛げのない執事だ。

 だが、ソルビトールは静かに一礼し、さらに言葉を続けた。

 

「いえいえ、お嬢様程では…

 では私が先立ちましたあかつきには、息子に嫁とは仲良くやるように、子供との時間を大切にするようにお伝えください」

 

「はぁ?

 ソルビットに?

 そんなの自分でいいなさいよ!」

 

 私は眉をひそめて言い返した。

 ステビアと上手くやっている息子への小言なら、直接言えばいいじゃないか。

 なぜ私に伝言を頼むのか。

 

 私の苛立ったような返しを聞いて、ソルビトールは微かに目を伏せ、そして、普段通りの無表情に戻った。

 

「それもそうですね。

 では忘れてください」

 

「……全く。

 変なところで冗談言うんだから」

 

 私は呆れつつ、サッカリンにエスコートされて馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まり、車輪が回り始める。

 窓から振り返ると、ソルビトールが深く頭を下げたまま、遠ざかっていくのが見えた。


     ◇


 馬車は、ピメントの街を抜け、迷宮都市メレンゲへと続く道をひた走る。

 車内には、私とサッカリン、そしてサラヤの三人が乗っていた。


「……お嬢」


 向かいの席に座るサッカリンが、腕を組みながら重苦しい声で切り出した。


「チクロの嬢ちゃんが敵に回るってのは、確定なのか?」


「ええ。

 エリスの手紙によれば、偽アーリーは彼女の肉体を使い、鳩派の粛清に動く可能性が極めて高いそうよ。

 ……標的は、間違いなくこのパプリカ領も含まれるわ」


 私が答えると、サッカリンは忌々しげに舌打ちをし、頭をガシガシと掻きむしった。


「冗談キツいぜ。

 俺なんかじゃ束になっても、あの嬢ちゃん相手じゃ赤子扱いだ。

 魔槍ズールティンがなくたって、あいつの肉体そのものが化け物だ。

 まともにやり合えば、防衛線を敷いてもただの肉片にされるだけだぞ」

 

 歴戦の傭兵であり、ゲーム内では『死神』と恐れられたサッカリン。

 彼をして「手も足も出ない」と言わしめるチクロの絶望的な戦闘力。

 私も、裏庭で彼女がサッカリンの大剣を指二本で止めた光景を鮮明に覚えている。

 至宝を持たない私たちが、正面からぶつかって勝てる相手ではないのだ。

 

「だからこそ、ビアンコ男爵の知恵を借りにいくのよ。

 数々の死線を潜り抜けてきた元S級冒険者の彼なら、理不尽な武力に対抗する何かしらの手立てを知っているかもしれないわ」

 

 私がそう言うと、サッカリンは少し躊躇うように視線を彷徨わせ、やがて一つの提案を口にした。

 

「……グレースはどうだ?

 俺の見立てじゃチクロの嬢ちゃんと戦闘力の面ではかなり拮抗してると思うんだが」

 

 グレース。

 かつて未踏破ダンジョンの最下層でアビスハーヴェスタを一撃で浄化した、規格外の格闘家にして、本物の聖女ロザリオ。

 チクロに対抗し得る武力という意味では、彼女以上の適任者はいないだろう。

 

 サッカリンの提案に、横に座っていたサラヤも眼鏡を光らせて同調した。

 

「私も同じように考えておりました。

 冒険者ギルドを通じて依頼してみるのは……」

 

「駄目よ」

 

 私は、二人の提案を即座に、そして語気を強めて却下した。

 

「あの子はもう一般人なのよ?

 どんなに強くったって、貴族の戦争に巻き込んでいいわけないじゃない!」

 

 私の強い言葉に、サッカリンとサラヤは押し黙った。

 グレースは、王家のドロドロとした陰謀や、政略結婚の道具とされる運命から逃れるために家出をし、ようやく自分自身の力で冒険者としての新しい人生を歩み始めたばかりなのだ。

 

 そんな彼女を、私たちの権力闘争や領地防衛の都合で、再び泥沼の戦争に引きずり込むような真似は、絶対に許されない。

 私は金には汚いが、真っ当に生きようとしている友人を自分の盾にするような外道にはなり下がりたくなかった。

 

「……それに、ビアンコ男爵だって、愛する娘を戦火に巻き込みたいなんて思っていないはずよ。

 私たちは大人として、自分たちの領地と命は、自分たちの手で守る方法を見つけなきゃいけないのよ」

 

 私がきっぱりと言い切ると、サッカリンは少しだけ目を丸くし、それからフッと口角を上げた。

 

「……へっ、違ぇねぇ。

 子供を盾にして生き延びたって、飯が不味くなるだけだ。

 お嬢のそういう筋の通ったところ、嫌いじゃねぇぜ。

 ま、俺からすればグレースと同じ歳のお嬢も子供だけどな」


「お褒めいただき光栄…って、最後のは余計よ!

 貴族の子女には矜持ってもんがあるのよ」


 私は扇子を広げ、馬車の窓の外へと視線を向けた。

 迫り来る理不尽な暴力に対し、決して子供の力は借りない。

 その矜持を胸に、私たちは迷宮都市メレンゲへと急いだ。


     ◇


 迷宮都市メレンゲ。

 ビアンコ男爵邸の重厚な応接室にて、私たちは極秘の面会を果たしていた。

 

「……なるほど。

 王都で、そのような恐ろしい事態が進行していたとは」

 

 私が王都の凶報――偽アーリーの存在、チクロの洗脳、そして彼女の肉体が鳩派粛清の刃としてパプリカ領へ差し向けられる可能性――を伝えると、ビアンコ男爵は顔を険しくして深く唸った。

 

 隣に座るメリア夫人も、信じられないものを見るように口元を手で覆っている。

 

「魂の入れ替わりに、禁忌の魔導具による洗脳……。

 王家は、もはや手段を選ばぬ狂気に支配されていると言っていいでしょう」

 

 男爵の顔には、かつて『戦場の魔狼』と呼ばれた猛者としての厳しい光が宿っていた。

 

「男爵様。

 至宝を持たず、正面から止められないあの規格外の武力を前に、私たちはどうすればいいのでしょうか。

 防壁を築いたところで、時間を稼ぐことすら困難です」

 

 私が素直に教えを請うと、男爵は腕を組み、静かに思考を巡らせた。

 圧倒的な武力に対する対抗策。

 だが、相手は感情を封じられた戦闘マシーン。

 交渉も、恫喝も通じない。

 

 沈黙が応接室を支配する中、男爵はゆっくりと顔を上げた。

 そして、その瞳に静かな、しかし確かな覚悟の炎を燃やして告げた。

 

「いざとなれば自分が行きましょう」

 

「……え?」

 

 私が驚いて声を上げると同時に、隣のメリア夫人が悲痛な声を上げた。

 

「あなた!

 何を仰っているのですか!

 今のあなたでは現役ほどの継戦能力はありません、あまり無茶は……!」

 

 夫人は夫の腕にすがりつき、必死に引き止めようとする。

 元S級冒険者とはいえ、男爵はすでに初老の身。

 全盛期の力を維持しているわけではない彼が、一騎当千の怪物と化したチクロの前に立てば、どうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 

 しかし、男爵は夫人の手を優しく、けれど力強く握り返した。

 

「それはわかっている。

 その時が訪れるとすれば、それはこの領地、至っては私達家族にとっても非常に危険な状態だということだ。

 覚悟はしておいた方がいい」

 

 男爵は真っ直ぐに私を見据えた。

 

「パルスイートお嬢様が、我が娘ロザリオを巻き込むまいと固く決意されていること、痛いほどに伝わっております。

 ならば、親として、そして大人として、私が矢面に立つのは当然の義務ですな」

 

 その言葉の重みに、私は息を呑んだ。

 老いてなお、いや、老いたからこそ持つ、次世代を守るための凄絶な覚悟。

 それは、私の領地に残してきたソルビトールの静かな決意と、どこか重なるものがあった。

 

「……男爵様。

 ご厚意、感謝いたしますわ。

 私たちも、最善を尽くして迎撃の準備を整えます」

 

 私は深く頭を下げた。

 大人の実力者が共に命を懸けてくれるという事実は、どれほど心強いか分からない。

 だが同時に、その重い責任を背負うことへのプレッシャーが両肩にのしかかるのを感じた。


     ◇


 面会を終え、私たちが急ぎピメントへと帰路についた後。

 ビアンコ男爵邸の執務室には、重苦しい静寂が漂っていた。

 

「……あなた。

 本当に、よろしいのですか」

 

 メリア夫人が、不安げに夫を見つめる。

 ウルファング・ビアンコは、窓の外の青空を見上げながら、静かに頷いた。

 

「ああ。

 パルスイートお嬢様は、ロザリオの恩人だ。

 彼女の領地が蹂躙されるのを、黙って見過ごすわけにはいかない」

 

 男爵はデスクに向かい、一枚の上質な羊皮紙を取り出した。

 そして、ペンにインクを浸し、迷いのない手つきで手紙をしたため始める。

 

「ですが……。

 もし、私たちの力が及ばなかった時は……」

 

「そのための、これは『保険』だ」

 

 男爵が書き上げた手紙。

 その宛先は、パプリカ領ピメントに設立されたばかりの、冒険者ギルド支部長宛となっていた。

 だが、その手紙が本当に読まれることを期待しているのは、そこにいるはずの愛娘――グレースに対してだ。

 

 男爵とメリア夫人は、手紙の末尾に夫婦連名でサインを記した。

 

『私達が力及ばずパルスイートお嬢様をお守りできないようであれば、力になってあげて欲しい』

 

 それは、誇り高き元冒険者の親が、自らの命を懸けてなお守りきれなかった最悪の事態を想定し、愛娘の強大な力に密かな願いを託した、切なくも重い手紙であった。

 

 戦火の足音は、もうすぐそこまで迫っている。

 それぞれの覚悟と願いが交錯する中、運命の防衛戦へのカウントダウンが静かに始まっていた。


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