表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/141

第107話「愛娘誕生!悲報?決意?」


 ――オギャア、オギャアッ!!


 か細くも、しかし力強い産声が、血の匂いと汗に塗れた寝室の中に響き渡った。

 それは、新しい命がこの残酷な世界に確かに誕生したことを告げる、希望の凱歌であった。


「……っ、はぁ……っ、はぁ……」


 私はベッドの上で、荒い呼吸を繰り返し、冷や汗でぐっしょりと濡れたシーツを握りしめていた。

 全身の骨が軋み、筋肉が引き千切れるような、経験したことのない激痛。

 だがそれ以上に私を苦しめていたのは、胸の奥で今にも破裂しそうなほどに激しく、そして不規則な脈打ちを続けている己の心臓だった。


 視界は白く明滅し、耳鳴りが鳴りやまない。

 私の持つ『アンホーリー(反神聖)属性』のせいで、産後のダメージを癒やすための高位神官による回復魔法も、高価なポーションも一切効果がないのだ。

 すべては、私のこのポンコツな身体自身の自然治癒力に頼るしかないという、文字通りの死線であった。


 だが。


「パルスエット……!

 パルスエット、頑張りましたね……!

 女の子です、元気な……私たちの娘です!」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔のマルチトールが、温かいお湯で清められた小さな命を、そっと私の胸元へと運んできてくれた。

 まだ赤く皺だらけで、目を固く閉じたまま泣き叫んでいる、小さな小さな命。

 その温もりが私の胸に触れた瞬間、激しい痛みが遠のいていくような錯覚を覚えた。


「……私と、マルチトールの……」


 私は震える指先で、その柔らかな頬にそっと触れた。

 温かい。

 間違いなく、私がこの世界に生きた証であり、愛する彼との結晶だ。


「……名前、どうしようかしらね」


「パルスイート……というのはいかがでしょう」


 マルチトールが、私の汗で張り付いた前髪を優しく撫でながら言った。


「あなたの名であるパルスエット。

 そこに『甘く愛らしい』響きを加えた名前を、ずっと考えていたのです」


「パルスイート……。

 ええ、いい名前だわ。

 私たちの……パルスイート」


 愛娘の名前を口にした瞬間、私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 幸せだった。

 命を懸けて、この子を産んで本当によかったと、心の底から思えた。


(……よくやった。

 本当によく耐え抜いたな、パルスエット。

 お前は、強い母になったのだな)


 虚空から、私と魂を繋ぐ絶対防御のインテリジェンスウェポン、アスラムテイルの思念が優しく降り注ぐ。

 彼の声も、微かに震えているように感じられた。

 だが。


「……う、ぐっ……!」


 その幸福な時間は、容赦のない発作によって無残に断ち切られた。

 胸の奥をギリリと締め付けられるような、かつてないほどの鋭い痛み。

 限界を迎えていた心臓が、ついに悲鳴を上げたのだ。


「パルスエット!?

 しっかりしてください!

 先生!

 先生!!」


 マルチトールがパルスイートを慌てて乳母に預け、私の肩を抱きとめる。

 お抱えの老医師が駆け寄り、顔面を蒼白にしながら私の脈を取り、聴診器を当てた。


「……いけません。

 出産によるダメージが、想像以上に心臓に負担をかけております。

 回復魔法が効かない以上、これ以上の延命は……」


 老医師の言葉は、最後まで紡がれなかった。

 だが、その絶望的な表情が、私の命の限界がすぐそこまで来ていることを如実に物語っていた。


 私は、重い瞼を無理やりに開け、マルチトールに向かって弱々しく微笑んだ。


「……泣かないでよ、マルチトール。

 ……パルスイートのこと……よろしくね……」


「何を言っているのですか!

 あなたも一緒に、この子の成長を見守るのですよ!

 置いていかないでください……どうか……!」


 マルチトールの悲痛な叫び声が、遠く、水底から聞こえるようにくぐもっていく。

 私は意識の混濁の中で、ただひたすらに、愛娘の寝顔を脳裏に焼き付けていた。


     ◇


 私が出産という死線を彷徨ってから、数日が経過した。


 マルチトールが付きっ切りで看病し、特製の薬草を煎じ続けてくれたおかげで、私はなんとか意識を取り戻し、ベッドの上で会話ができる程度には回復していた。

 だが、それはあくまで「殆ど起き上がれない状態での安定」に過ぎない。

 少し体を動かすだけで激しい動悸が襲い、呼吸が苦しくなる。

 文字通り、ベッドから一歩も動けない満身創痍の体になってしまっていた。


「……パルスイート、よく眠っているわね」


 ベッドの傍らに置かれたベビーベッド。

 その中で、規則正しい寝息を立てる自分と同じピンク髪の赤ん坊を見つめ、私はそっと頬を緩めた。


「ええ。

 とても大人しくて、手のかからない子です。

 きっと、パルスエットを気遣ってくれているのでしょう」


 マルチトールが、私の冷たい手を両手で包み込みながら優しく微笑む。

 平和で、静かな時間。

 このまま、私の命の灯火が消えるその瞬間まで、こうして穏やかに過ごせれば。

 そう願わずにはいられなかった。


 だが、運命はどこまでも残酷だった。


 教国との国境付近が、数日前から突然として臭くなり始めていたのである。


 産後で動けない私に代わり防衛の任に就くため、お父様が当主代理として執事のソルビトールを連れて急遽出兵していたのである。


『孫の顔を見たら、無性に守りたくなってな。

 前回、私の代わりに戦ってくれた娘に代わり、今度は私がこの領地を守ってくる』


 と、お父様はいつになく勇ましい顔で出立していったのだった。


 バァンッ!!


 突如として、自室の扉が乱暴に開け放たれた。

 飛び込んできたのは、執事のソルビトールだった。


 彼の出で立ちは戦装束のまま。

 その服と鎧は泥と大量の血に汚れ、顔色は死人のように蒼白だった。

 普段の冷静沈着で理知的な彼からは、想像もできないほどの取り乱した姿。

 肩で激しく息をし、足元はおぼつかない。


「……ソルビトール、戻ってたの?

 早かったのね。

 どうしたの、そんなに慌てて……。

 お父様は?」


 嫌な予感が、胸の奥で渦を巻く。

 ソルビトールは、その場に膝から崩れ落ち、震える声で絞り出すように言った。


「……申し上げます。

 国境付近にて、ソーヴィニオン王国側が、教国との一時休戦協定を一方的に破棄。

 別部隊が大規模な奇襲攻撃を仕掛けました。

 ……戦争が、再開されました」


「……ッ!!」


 私とマルチトールは、同時に息を呑んだ。


「……戦況は?」


 私が問うと、ソルビトールはギリリと奥歯を噛み締め、血の滲むような声で答えた。


「……大敗、です。

 相手もこうなることを読んでいたのでしょう…

 騙し討ちによる奇襲を受けた敵軍は、先日の戦いで重傷を負って退いたはずの『聖女』を即時戦線に投入してきました。

 その回復魔法は以前にも増して強大になっており、教国軍は文字通りの『不死身の軍団』と化しています。

 その後、王国軍は総崩れとなり、防衛線は次々と突破され……」


 ソルビトールは、言葉を区切り、深く、深く頭を下げた。


「王国の主戦力として前線に立っておられた、ズルチン侯爵閣下が……。

 敵の聖女が放つ強大な聖属性との『相克』により、頼みの綱である魔槍ズールティンの力が完全に無力化されてしまい……

 防壁を破り切れぬまま教国軍の波状攻撃を受け、壮絶な戦死を遂げられました」


「……嘘でしょ」


 私は、自分の耳を疑った。

 ズルチン侯爵。

 広域殲滅兵器である四大至宝『魔槍ズールティン』の使い手であり、王国軍最強の武人と呼ばれた男が。

 あの聖女の放つ光の前に、魔槍の瘴気すらも封殺され、敗れ去ったというのか。


「主を失った『魔槍ズールティン』のみが、血まみれの状態で自力飛行し、ズルチン家へと戻ってきたとのことです。

 現場の混乱と絶望は、筆舌に尽くしがたいものでした……」


 ソルビトールの言葉が、真実の重みを持って私にのしかかる。

 主を失い、単独で飛来した血まみれの魔槍。

 それは、王国軍の崩壊を象徴する、あまりにもおぞましい凶報だった。


「さらに……

 さらに、最悪の報せがございます……」


 ソルビトールの肩が、激しく震え始める。

 彼がこれほどまでに感情を露わにするのは、彼が仕えてきた主に対する、底知れぬ絶望があったからだ。

 顔を上げた彼の瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れ出していた。


「……当主様に代わり、アスパルテーム軍を率いて防衛戦の殿しんがりを務めておられた……。

 前伯爵閣下が……旦那様が……」


 ソルビトールの言葉が、涙に詰まる。

 言われなくても、その先の言葉は痛いほどに理解できた。


「……防衛線を維持するため、自ら盾となり、我々部下たちを逃がした後……。

 教国の刃に幾重にも貫かれ、帰らぬ人となりました。

 私は……私は、旦那様をお守りすることもできず、こうして逃げ帰ることしかできなかった……!」


「…………あ」


 頭の中が、真っ白になった。

 心臓が、痛い。

 ドクン、ドクンと、悲鳴を上げるように脈打っている。


「お父、様が……?

 私の代わりに……戦って……」


 私の妊娠を知り、私の命を第一に考えて、自ら危険な前線へと赴いてくれた、あの過保護で、優しくて、胃痛持ちのお父様が。

 私と、生まれたばかりの孫の顔を、もう二度と見ることなく。

 冷たい戦場で、泥と血にまみれて死んだ。


「……う、あぁぁぁぁぁぁっ……!!」


 私はベッドの上で、獣のような絶叫を上げた。

 悲しみと、悔しさと、自責の念が、濁流となって全身を駆け巡る。


「パルスエット!

 落ち着いてください!

 心臓が持ちません!」


 マルチトールが必死に私を抱きしめるが、私の涙は止まらなかった。


 ズルチン侯爵が討たれ。

 お父様が戦死した。

 防衛線は崩壊し、教国軍の侵攻はすぐそこまで迫っている。


「さらに……王家より、当家に対して『招聘(王命)』が下っております」


 ソルビトールが、震える手で懐から王家の封蝋が押された書状を取り出した。


「『ソーヴィニオン王家の名において、絶鎧アスラムテイルの契約者、パルスエット・アスパルテーム伯爵に命ずる。

 直ちに前線へ赴き、教国の聖女を討ち、防衛線を死守せよ』……と」


 静寂が、部屋を支配した。

 ベビーベッドの中で、パルスイートが小さな寝息を立てている音だけが聞こえる。


「……ふざけるな」


 マルチトールが、地を這うような低い声で呟いた。

 その顔は、かつてないほどの激しい怒りに歪んでいる。


「ふざけるな!!

 パルスエットは、つい数日前に命懸けで出産を終えたばかりだぞ!

 ベッドから起き上がることもままならない、満身創痍の体だ!

 それを知っていて、前線へ出ろと!?

 王家は、彼女に死ねと言っているのか!!」


 マルチトールの怒声が、部屋に響き渡る。


 ソルビトールも、ギリリと唇を噛み締め、床を睨みつけている。

 彼らも分かっているのだ。

 王家は、私の体調などどうでもいい。

 ただ、教国の聖女の回復魔法を無効化できる『アンホーリー属性』と、絶対防御の『絶鎧』という手駒を、都合よく使い潰そうとしているだけだと。


(……パルスエット)


 脳内で、アスラムテイルの重く、悲痛な思念が響いた。


(絶対に、行くな。

 今の体で私を纏えば、外の攻撃は防げても、お前の心臓が確実に耐え切れない。

 戦場に辿り着く前に、お前は死ぬぞ)


 夫と、執事と、相棒。

 私を大切に想ってくれる彼らは、皆、私に「行くな」と言ってくれている。

 行かなくていい正当な理由も、いくらでもある。


 だが。


「……マルチトール。

 ソルビトール」


 私は、マルチトールの腕から静かに抜け出し、ベッドの上に半身を起こした。

 息は上がり、胸は激しく痛む。

 それでも、私の目から涙は消え、静かな、けれど決して揺らぐことのない『覚悟の炎』が宿っていた。


「……行くわ」


「なっ!?

 パルスエット!

 ダメです!

 絶対にダメです!!

 今のあなたが行けば、確実に死にます!!」


 マルチトールが顔面を蒼白にして、私をベッドに押さえつけようとする。

 ソルビトールも「当主様! ご自愛ください!」と叫ぶ。


(パルスエット!

 お前は母親になったばかりだろう!

 子供を残して死ぬ気か!!)


 アスラムテイルの悲鳴のような思念波。


 私は、彼らの制止を振り切り、ベビーベッドの中を覗き込んだ。

 そこには、何も知らずに、無垢な寝顔を見せている愛娘、パルスイートの姿がある。


「……母親になったからこそ、よ」


 私は、そっと娘の小さな手に触れた。

 柔らかく、温かい、未来そのもの。


「この領地は戦線から王都への侵攻ルートにある。

 教国の報復を野放しにすれば、ここは確実に戦火に飲まれることになるのよ。

 この子に……パルスイートに、戦火と恐怖が満ちた未来を残して逝くわけにはいかないわ。

 お父様が命を懸けて守ろうとしたこの領地を、教国軍の蹂躙に任せるわけにはいかないのよ」


 私はゆっくりと顔を上げ、マルチトールとソルビトールを見据えた。

 そこに、かつてのお転婆で我儘な令嬢の姿はなかった。

 あるのは、愛する者を守るため、自らの命を燃やし尽くす覚悟を決めた、一人の『母』であり、アスパルテーム伯爵家の『当主』としての威厳だった。


「私のアンホーリー属性がなければ、あの聖女の回復魔法は止められない。

 お父様の無念は、私が晴らす。

 ……これが、私の最後の仕事よ」


「パルスエット……っ!!」


 マルチトールが、ボロボロと涙をこぼしながら私の手を強く握りしめた。

 彼は分かっていた。

 私が一度決めたら、誰の言葉にも耳を貸さない頑固者であることを。

 そして、私の瞳に宿る覚悟が、決して揺るがない本物であることを。


「……アスラムテイル」


 私が虚空に向かって呼びかけると、黄金色の鎧の幻影が、悲しげに揺らめきながら姿を現した。


(……本当に、どうしようもない主だ。

 お前のその頑固さは、やはり岩よりも硬い)


「ええ。

 だから、最後まで付き合ってちょうだい。

 私の外側を、完璧に守って」


(……承知した。

 我が半身。

 お前の命の炎が燃え尽きるその瞬間まで、私はお前と共にある)


 アスラムテイルの思念と共に、黄金色の光が私の体を包み込んだ。

 荘厳にして華麗な、絶対防御の鎧。

 『絶鎧アスラムテイル』が、私の体に顕現する。

 鎧が心臓への負担を少しだけ和らげてくれたのか、立ち上がるだけの力が湧いてきた。


 私は、壁に立てかけられていた愛用のモーニングスターを手に取り、肩に担ぐ。


「……マルチトール」


 私は、泣き崩れる夫の前に立ち、その頬にそっとキスを落とした。


「パルスイートのこと、頼んだわよ。

 貴方とこの子の未来は、私が絶対に守ってみせるから」


「……パルスエット……っ!!

 愛しています……!

 誰よりも、何よりも……っ!!」


 私は彼の悲痛な声に背を向け、静かに、しかし力強い足取りで部屋を後にした。


 外では、すでにアスパルテーム軍の残存兵力が、悲壮な決意を秘めて出陣の準備を整えて待っている。


 死を悟った戦い。

 だが、私の心に恐怖はなかった。


「さあ、行くわよアスラムテイル。

 私達の……最後の戦場へ」


 パルスエット・アスパルテーム。


 のちに『聖女殺し』として歴史にその名を刻み、そして散っていくことになる一人の母の、凄絶なる最後の行軍が始まったのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ