カレイラの考え
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カレイラがしていたことが、学校教育に反することで、水面下で埋まったしまったことが、綺麗な詩を作ったことと関係しているというのも、アイロニカルなことかもしれないと思われる様子。
そこが、際になって、実際にTV番組、ラジオ放送、また現代的な虚構世界構築のための、糧となっているとも、誰も不思議とも思わなくなった影たちの存在が、それらを不自然ではなくさせている。
目が合う。そして視線をそらす。
そういう人の中に入った時、カレイラは敢えてそうしているのか?
人々の暗澹たる内面をおもんばかることを辞めた。
世の中が不景気を脱却できずに、いつもいじめられていく人々が変わらずに、いつまででも、その立場が変化しない。
そういった工夫を持たない被害者意識の情勢が、被害者の間
でも伺い知られている。
そんな時に縋りつきたいし、定められたい持宝の、Mind値があると思われる。
それは、いつもふいに、下り坂にもなれば、急に上り調子にもなる、飛び魚のごとく。
ああする、こうする
兎に角、如何にものごとをするか?
そうした時、誰かがきっと助けてくれるだろう
これは、全く甘い考えではなくって、そういうものだということが、
経験則から知られているということだ。
そのためには、涙をも流すし、人の臨終の接することに、気もそぞろの、私に関する事項以外、なんの関与もできないという実在がおわします。
それらが、他国との外交までも含む東アジア情勢なのだろうとも思われる、緊張状態が回復して欲しいと願う心があるのは、政治学を学んでいれば少しうかがい知れることだろう。
もしこのことが、本当のことだとすると、どこにいても、例えば、しゃべり続け、一見、頭では何も考えていないということもないだろうし。
それに、同時代として、何か同じ人物、同一の考えを共有していて、何かに向けて努力を怠らないあの人たちを見て、何も感じないというとすれば、それも問題だろうし。
もう一度、夢を‐壊れかけた夢‐追い求めることができるならと、失ったはずの、ん?をもう求めなくなった、ん?を探そうとカレイラは考えなくもなかった。