第86話 バカな放蕩息子にもそれなりの信念はあるんです
第85話 バカな放蕩息子にもそれなりの信念はあるんです
案の定、警備兵の一人が店主の耳をちぎれんばかりに引っ張った。
「あのお方が、シェイク・ミルザ様のご子息であらせられるシェイク・カイラン様だ!」
言い終わるや否や、店主の顔は白紙のように真っ青になった。
不意に現れて商売の邪魔をするただのガキだとばかり思っていたのに、この街で一番有名な放蕩息子、シェイク・カイランだなんて……青天の霹靂に他ならなかった。
捕縄で縛られた状態だったが、主人はカイランの前に走り寄って跪き、遅すぎる許しを乞うた。
「も、申し訳ございませんでした。どうかお許しください! 私がこのプレシア公国の貴いご子息様を見分けられませんでした」
本当に後悔して涙を流しているのかは分からなかったが、大粒の涙をボロボロとこぼしながら深く頭を下げ、反省しているように見えた。
「食べていくのがあまりにも苦しくて、やむを得ず……」
[あれ、どう見ても演技だけど……?]
[でしょ? 演技が最高に上手いわね]
ボリボリ。
手いっぱいに掴んだポン菓子を口の中に放り込んだルセテリが、モグモグと噛みながら言った。
こういう時に食べると、まさに蜜の味だった。
何より、おこがましくも自分を騙そうとするなんて……店主の罪状には不敬罪がもう一つ追加されて然るべきなのに。
「……もうやめろ。気分がさらに悪くなりそうだから」
同情を買う作戦だったようだが、かえってカイランの怒りを増幅させるだけだった。うだるように暑いテランカナの気候とは対照的に、周囲が冷たく凍りついた。
「もういい。俺がこうして目を光らせているこのテランカナで、詐欺を働こうって考えたのか? おまけに何だって? 人の弱みを握ってそれを口実に脅迫まで? 無事に歩いて帰れるなんて考えは捨てておいた方が身のためだぜ」
ギリギリと歯を食いしばり、怒りで体を震わせているカイランの姿は、ジアにはひどく見慣れないものだった。
これまではただのバカな放蕩息子だったとしたら、今は冷血な放蕩息子になったというか?
「ほ、法に則ってやってくれ! 私は何も間違ったことはしていない! あのチョン族たちを連れてきて働かせてやっただけでも、感謝されてひれ伏されてもいいくらいだ!」
涙の演技が通用しないと見るや、店主は自暴自棄になって強気を装い、わあわあと大声で喚き散らした。
誰もそんな主人を止めようとしないことにさらに得意げになった店主は、顔に腐った笑みを浮かべてさらに声を張り上げた。
『やはりな。チョン族ごときが』
店主には自信があった。
根深い階級意識が残っているプレシアにおいて、チョン族とは人間ではないという意味だ。
人間ではない奴らをどう使おうが自分に罪はないのだから、今自分が連行されるのは明らかにカイランの権力乱用だった。
そう考えた主人は、堂々と頭を上げた。
「法、最近変わったんだけどな」
手のひらについた埃をパンパンと払い落としながら、カイランは無関心に答えた。
「知らなかったのか? 法律で階級を分けることを禁止してずいぶん経つぞ」
初めて聞く言葉だというように店主の口がポカンと開き、そのまま顎が外れたように閉じなかった。
「そ、え? 何ですって?」
「プレシア公国内のすべての身分制度を撤廃し、すべての公国の国民はシェイクの前に平等であることを宣言する」
理解できない店主の目が瞬きをした。
「一言で言えば、お前は罰を受けなきゃいけないってことだ」
「そんな法律が!」
「法に則ってやれって言ったろ。お前が好きな法律がそう言ってるぜ?」
カイランはぶっきらぼうに店主に向かって吐き捨てると、手招きで警備兵を呼び、店主を連れて行くよう合図を送った。
待ってましたとばかりに、警備兵たちがジタバタと暴れる店主の両腕を掴み、情け容赦なく外へと引きずり出していった。
意外な姿に、ジアはじっくりとカイランの行動を観察した。
間違いなく少し前まではやる気だけが空回りするバカな放蕩息子だったのに、今はほんの少し、ごくわずかだが能力のあるバカな放蕩息子に見え始めていた。
「へえ、なかなかやるじゃない?」
「あ、まあな」
照れくさいのか、カイランの顔が赤くなり、やけに頭を掻きむしっていた。
好きな女の子の前でカッコつけたいと思うのは万国共通のようだ。
ジアの視線を意識したカイランが、無駄にカッコつけているのがルセテリの目に留まった。
『あいつめ』
ルセテリはプッと吹き出しそうになった。
これまでずっと下降曲線を描いてきて、一度くらい上昇気流に乗ったとしても、依然として下落傾向であることに変わりはないだろうに。
少しでもよく見られようと必死なカイランの姿が、ルセテリの目にはかなり可愛らしく映った。
「やり方は間違ってたと思うけど……それなりに見どころはあったわ」
「え? 何? 間違ってた?」
虚を突くようにジアはカイランの肩をポンポンと叩き、店の外へ出た。
「何だよ? 俺が何を間違えたってんだよ?」
言葉に隠された意味を理解できなかったカイランは、慌ててジアが出て行った方向を追って店を出た。
おかげで主人を失った店内には、ルセテリと、ルセテリに飛びかかってきた四人の男たちだけがポツンと残されることになった。
「さっきの、カイランの母親であるエルパシャ様についての話をもう少し聞きたいんだが……」
ルセテリが男たちの方へ体を向けた。
カイランに一番先に跪いた男を穴が開くほどじっと見つめたが、四人は互いの顔色を窺うばかりで簡単には口を開こうとしなかった。
仕方なく、ルセテリはゴソゴソと先ほど確保しておいたジンセンを一本、男たちの目の前に差し出した。
「話の代金としては十分だろう?」
目の前に置かれたジンセン一本に、男たちの目の色が一瞬にして変わった。
カイランの前で一番先に頭を下げていた男は、今度はルセテリに向かって両膝をつき、両手を天に向かって高く掲げ、ルセテリを賛美するポーズであっという間に態度を一変させた。
「何でもお聞きください」
なんだか掲げられた両手の上にジンセンを置かなければならないような雰囲気だった。
そっとジンセンを両手の上に置くと、大切な宝物を賜った臣下のように、男は深く頭を下げたままゆっくりとジンセンを押し戴いた。
そして、持っていた一番綺麗な布で慎重にジンセンの根を包み、大切に懐にしまった。
「カイランのお母様であらせられるエルパシャ様のことですね?」
ルセテリは無言で頷き、答えの代わりとした。
「テランカナに住む者なら誰でも知っている話ではありますから……」
他の男たちも同意するように大きく頷いた。
「エルパシャ様が我々と同じチョン族の出身だということは先ほどお聞きになりましたね? ここでの我々の位置付けは、人間以下の家畜扱いを受ける存在だったのです」
男はゆっくりと言葉を続けた。
これまでプレシア公国でチョン族であるチャンダラは、階級の最下層で様々な汚い仕事をしてきた人々だった。
掃除や洗濯などの雑用をする単純労働から、泥棒、暗殺者、娼婦のような暗い仕事に従事していた。
チャンダラのほとんどは道端で生まれ道端で生涯を終えたが、中には親がいる場合もあった。
このような場合、親がいたとしても一度チャンダラである以上その階級から抜け出すことはできず、親の仕事をそのまま引き継ぐ場合がほとんどだった。
男の話によれば、エルパシャの場合も親はいたが、路上で生活する他のチャンダラの子供たちと何ら変わりはなかったという。
ただエルパシャの美貌が非常に優れていたため、彼女の両親が早々に彼女を娼街の元締め(ポン引き)に売り飛ばしたというのだ。
娘の器量が良ければよくあることだった。
「エルパシャ様は娼街の女たちの中でも一番美貌が際立っておられた」
「それだけでなく踊りの腕前も一流で、歌も上手かったですよ」
「そうそう。泥の中に埋もれた真珠のように、ここでも一際目を引く方だったな」
男たちはそれぞれ一言ずつ順番に話を付け加えた。
「そうしてシェイク・ミルザの目に留まり、城に入る機会を得られたのです」
偶然の機会にテランカナを視察に訪れたシェイク・ミルザと出くわしたエルパシャは、彼女の人生の中で最悪の瞬間だったという。
ある金持ちの老バイシャの目に留まったエルパシャを、元締めが割増金を受け取って彼女の初夜を売ったのだが、彼女が行かないと抵抗したため、無慈悲な暴力が彼女に振るわれた瞬間だったという。
通りすがりのシェイク・ミルザが見過ごすことなく、危機に陥った彼女を救い出して城へ連れて帰ったという、ありふれた話だった。
ただ、エルパシャの出身問題のため、ミルザの寵愛を受けていたとしても、ハーレムの中でも彼女はあまり良い扱いを受けていなかったようだ。
ことあるごとに侍女たちにいじめられるのが日常茶飯事であり、ただでさえチャンダラとしての生活が彼女の弱い体を蝕んでいた状態だったのに、カイランを身ごもったことで彼女の健康は一気に崩れ落ちたという。
出産後、ようやくシェイクの後継者を産んだという功績で彼女の境遇は少し良くなったが、それだけだった。
公式な妃にはなれなかったが、愛妾という身分に昇格した彼女は、相変わらず小さくみすぼらしいハーレムの片隅でカイランと共に暮らしていたという。
そんな生活は結局、一日一日エルパシャの体を蝕み、ついにはベッドから起き上がれないようにした。
カイランが5歳になる一日前。
あのように虚しく、まだこの世を去るには早すぎる年齢で、エルパシャは女神様の懐へと旅立った。
「……というのが、テランカナの人間なら誰でも知っている話です」
「そうしてエルパシャ様を失ったシェイクが大変怒られたという話は聞いていましたが……」
「まさか法律まで変えられてしまうとは思いませんでした」
どうやら彼らも、身分制度が法律で廃止されたことまでは知らなかったようだ。
愛のために法律まで変えてしまうとは、シェイク・ミルザ……あなたという人は本当に。




