第84話 市場の散策
テランカナの市場では、初めて見る香辛料が通りを様々な香りで染めていた。
あちこち覗き込みながら、ジアはのんびりと品物を見物しているところだ。
傍らではニコニコと、ルセテリが平和に辺りをキョロキョロと見回している最中だった。
「それで……ルッ様。この辺りで本当に合ってるの?」
「たぶんな?」
ルセテリのしらばっくれた答えに、ジアはもう一度両目にマナを集中させてみた。
間違ってはいないというように、マナの痕跡が先ほどよりも濃くなっていた。
二人は今、カイランを探してくると言って城の外へ出て、テランカナの市内を歩き回っていた。
アークが心配そうにルセテリに助けが必要か尋ねたが、ご親切にもルセテリはきっぱりと断って出てきたところだった。
なんだか、その時のアークの顔には凄まじい尊敬の念が湧き起こっているようだった。
実際はただの簡単な目印のようなもので、難しいことなど一つもないというのに。
ジアは無駄に嘘をついているようで気が咎めたが、ルセテテリは意に介さず、あちこち覗き込んでは浮かれていた。
「こんなに遊んでていいんですか……」
「大丈夫だ。どうせカイランがどんな風に逃げるのか、一度確かめてみたいところでもあったしな」
「あんな風に子供のプライドを抉ってまで、そうしなきゃいけなかったんですか?」
珍しい材料を売っている店に目を輝かせて入ろうとするルセテリを、ジアが引き止めた。
「なんで? お前もからかってただろ。今更?」
「それでもちょっとやりすぎじゃなかったですか?」
「最後はお前のせいだろ。あいつを泣かせながら飛び降りさせたのは」
そう言われると返す言葉もないが……。
ジアは苦い顔をして口を閉ざした。
「間違ったことは言ってないがな。いつかあの立派なプライドを一度へし折ってやる必要はあったんだ」
「はぁ、それが今日だったと?」
「最初から少しへし折っておかないと後が楽じゃないからな。そうじゃないと見込みがない」
そう言いながら、ルセテリは赤色の木の根を乾燥させたようなものを手に取り、あちこち観察し始めた。
ジアもまた、初めて見る不思議な植物に目を輝かせていた。
「お客さん、こいつは手に入れるのも難しい貴重な品なんだが、お目が高いね」
「これは何ですか?」
「こいつは遥か遠くの東北地域で採れるジンセン(※高麗人参)っていう植物で、これが栄養の塊なんだ。元気回復にはもってこいの植物の根っこさ」
「根っこなのに赤いですね。元々こういうものなんですか、それとも何か別に処理をしたんですか?」
「どうしても遠くから来るもんだから、何度か蒸して乾かすとそうやって赤く変わるそうだよ。それでも薬効には何の支障もない。これほどの滋養強壮剤は他にないからね」
店主の流暢な説明に、ルセテリはもちろんジアの目もそのジンセンという品物から離れなかった。
今回の機会を逃せばいつまた機会が来るか分からないというような、店主の華麗な話術に、二人はどんどん引き込まれていた。
「これは疲労回復にもいいが、体内に熱気が足りない時に熱気を補充してくれて、悪い気をスッキリ追い出してくれる霊薬中の霊薬だよ。今回の機会を逃せば、次いつお目にかかれるか保証できないね」
店主の言葉は、ルセテリの購買意欲に決定打を打ち込んだ。
なぜだかそういうことがあるじゃないか。
限定販売、見切り品、最後のチャンス。
こういう言葉に惑わされて財布の紐を緩め、カモになるような経験のことだ。
「残ってるの全部ください」
「ここにあるの全部かい?」
今度は店主が驚いて目を丸くした。
「これ一本でいくらか分かって言ってるのかい?」
「いくらなんですか?」
「なんと金貨30枚だよ」
「それで?」
300万ペラに匹敵する値段を聞いてもルセテリが特に反応を示さないように見えたため、むしろ店主の方が慌て始めた。
「ここにあるジンセンの根を全部買うなら、少なくとも金貨300枚は必要になるはずだが?」
「え……10本が全部ってことですか? 残念だな……」
残念だなんて……。
3000万ペラがどこかの家の子犬の名前じゃあるまいし。
ジアが静かにルセテリの服の裾を引っ張った。
「ルッ様。これ、すごく高いんだよ」
「買えないこともないだろ」
「私たちみたいな『平民』が買うには高いんだってば」
わざとジアは平民という単語に力を込めた。
あのジンセンという品物にすっかり魂を奪われてしまったルセテリの前では、これくらいしなければ正気に戻すのは難しそうだったからだ。
「俺、それくらいのお金はあるぞ」
ああ、失敗だ。
額に手を当てたジアは、やれやれと首を横に振った。
これで、人の多いこの市場で泥棒の標的になるのは時間の問題だった。
[誰がお金の問題だって言いました? この辺りの視線を全部集めてるじゃないですか!]
[大丈夫、大丈夫。盗めるもんなら盗んでみろってんだ]
もちろん泥棒に入られるようなことなどないだろうが、四方八方でギラついている視線はどうするんだってば!
「はあ、その……太っ腹な旦那だね? お金は確実にあるんだろうな?」
店主は疑わしそうにルセテリとジアを上から下までジロジロと見た。
どう見てもそれほどのお金を持っているような身なりではなかったため、簡単には信じがたいようだった。
「騙されてばかり生きてきたのか?……ほら、ここ金貨3000枚」
どこから出したのか、突然目の前にずっしりと重そうな袋が現れた。
咄嗟に袋を受け取り、中を確認してみた店主は、ポカンと口を開けるしかなかった。
一目見ただけでも、尋常ではない数の金貨が輝いていたからだ。
「その……確認してみます」
ペコリと頭を下げた主人が、袋を持って奥へそそくさと消えようとした。
「待て。それをどうして奥へ持っていく?」
「え? それは、数を確認するには奥に入って……」
「奥へ入ったら? 奥へ入って数が合わない、足りないと言い出したら?」
「え? そ、そんなわけないでしょう。すべて信用で成り立っている商売なのに……」
「なら、俺の目の前で確認しても構わないよな?」
青白い刃のようなルセテリの眼差しに、店主はたじろぎながら手で袋をぎゅっと握りしめ、しきりにどこかへ視線を送っていた。
「今どこを見ているんだ?」
ルセテリが大股で店主の前に近づき、彼を壁へと追い詰めた。
並の根性ならこの辺りで引き下がりそうなものだが、店主は意外と肝が据わっているのか、それとも命知らずなのか、全く動く気がないようだった。
むしろ、
「やっちまえ!」
命令の一言で、四方から覆面を被った男たちが飛び出し、ルセテリとジアを包囲した。
「金持ちの帝国の貴族様が、庶民体験にでもいらっしゃったようだな。手厚くもてなしてやれ、お前ら」
店主がニヤリと笑い、金貨がいっぱいに入った袋を持って身を翻した瞬間だった。
短剣が一本、主人の後ろから飛んできて頬をかすめ、壁にドスッと刺さった。
主人のもじゃもじゃの髭の上に、真っ赤な線があっという間に引かれた。
「ヒイッ!」
袋を胸にぎゅっと抱きしめた主人は、そのままその場にへたり込むかと思いきや、続いて短剣が立て続けに飛んできて、店主の太った体の周囲の壁に突き刺さり、一歩も動けないように鋭い刃を立てて釘付けにした。
「な、何やってるんだ! 早く片付けないか!」
身動き一つできない店主が必死に目を転がしながら男たちに命令を下したが、奇妙なほど周囲が静まり返っていた。
おかしいと思い、首だけをようやく横に向けた主人の目の前には、奇妙な光景が広がっていた。
「ちゃんと膝をつけ!」
ほんの一瞬目を逸らしただけだったのに、店主が命令を下した男たちは皆、ルセテリの前に覆面を剥がされたまま膝をついて座っていた。
どういうわけか、手は後ろで縛り上げられたように身動き一つできない状態で結ばれており、その前にはシェイクの一人息子であるカイランが半月刀を肩に担いで立ち、彼らに向かって怒鳴りつけていた。
「どうも最近大人しいと思ったら。俺がこんな風に商売するなって言ったよな!」
「カ、カイラン様! いつお戻りに?」
「いつ戻っただと! 俺がいない時はこんなことしてもいいってのか?」
「いいえ」
特に一番前でカイランに膝をついている男が、しどろもどろになっていた。
「俺がこんな風に人を騙すようなマネすんじゃねえって言ったよな!」
肩に担いでいた半月刀がガンッ! と激しく床に突き刺さった。
「仕方がなかったんです。ここの店主がやれと言う通りにするしか」
男は何度も頭を下げるあまり、額が土の地面につくほど深くひれ伏した。
店主の立場からすれば、もどかしい状況展開だった。
「こいつ! 俺からいくら金を受け取ったと思ってるんだ!」
「あんなはした金、また吐き出せばいいだろ」
「なんだと? なら利子まで合わせて、かなり払ってもらうことになるぞ」
主人は男を怒鳴りつけて脅そうとしたが、男には全く通用しない言葉だった。
おこがましくもカイランを前にして高利貸しの話をしようとするなんて……。
恐怖に満ちた目をした男は、そっと顔を上げた。
案の定、カイランは怒りでメラメラと燃え上がっていた。
「あ? 高利貸し? 高利?」
「ヒイイッ!」
怒りに満ちたカイランが店主に向かって一歩一歩ドンドンと踏み出すたびに、地面が深く抉れた。
「よくもこのテランカナで高利貸しをやろうとしたな?」
カイランの怒りは、ルセテリの予想を遥かに超えるものだった。
思いがけず激しい反応に、戸惑ったのはルセテリの方だった。
[あいつ、なんであんななんだ?]
[私が知るもんですか。分かるわけないでしょ]
店主に向かって無差別に蹴りを食らわせるカイランを見物しながら、ルセテリは亜空間からポン菓子をそっと取り出した。
この間もらったメイズの残りで、乾燥メイズを炒って揚げたもので、ルセテリは仲良くジアと一袋を分け合って食べ始めた。
ボリボリ、サクッ! と噛む食感がふわっとしており、外見とは違って口の中では雲のようにフワッと溶け、香ばしいメイズの味が口いっぱいに広がった。
口寂しい時に食べるのにぴったりの、良いおやつだった。




