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曹操は簒奪者ではない――一族生存を懸けた「覇府」創設と、三国志最大の誤算  作者: えいの
第三章 統治構造の崩壊――未完の覇業と次代への致命的欠陥

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第一節 易姓革命の壁と体制の破綻 前編

 建安二十五年(二二〇年)春正月、一代の英傑たる魏王曹操が洛陽にて病没した。その絶大なる軍事的威信と卓越した政治力によって築き上げられた「許昌の漢朝」と「鄴の魏国」という二重統治機構は、その創設者の死によって最大の試練を迎えることとなる。世子たる曹丕が魏王の位と丞相の印綬を直ちに継承し、表面上は父の遺した覇府の体制が平穏に引き継がれたかに見えた。しかし、曹操という稀代の特異点が消滅した直後から、この二重体制が内包していた致命的な思想的・構造的矛盾が一気に噴出することとなるのである。

 曹操が長年の歳月を費やして構想し、具現化した「実権なき天子を権威として擁護し、実務の全権を独自の覇府が掌握し続ける」という統治形態は、なぜ彼の死後、恒久的な制度として定着し得なかったのか。その根本的な要因は、中国という広大な空間を支配する唯一絶対の政治哲学、「天命思想」および「易姓革命」という分厚い思想的障壁に他ならない。東の海に浮かぶ島国に見られるような、君主の血統そのものが神聖不可侵の絶対的価値を持ち、いかに実権を喪失しようとも君主としての地位が永続する「万世一系」の思想的土壌とは異なり、中華の大地においては、君主の血脈や地位は決して不変のものではない。

 『尚書』や『孟子』が明確に説くように、天は有徳の者を世に遣わして万民を治めさせる。天子とは即ち「天の命を受けた者」という役割の代行者に過ぎず、その血統が永遠の正統性を担保するわけではない。帝王の徳が衰え、民を安んずる実力を喪失したならば、天命は改まり、別の有徳の者に天下の統治権が移譲される。これがいわゆる易姓(姓が代わる)革命(天命が革まる)の厳酷なる理法である。この政治的思想の枠組みの中では、「実権を持たない皇帝」が長期間にわたって天子として君臨し続けることは、哲学的に極めて不自然な状態、すなわち「天の意志に反する異常事態」と見なされるのである。

 さらに、儒教の根本理念の一つである「正名思想」がこの矛盾に拍車をかけた。孔子は『論語』子路篇において「必ずや名を正さんか」と説き、名(地位・称号)と実(実態・能力)が一致しなければ、言葉は順当にならず、物事は成就しないと断じた。天子の権威とは、天下を鎮撫する強大な武力と、万民を潤す行政能力(実権)とが不可分に結びついて初めて成立するものである。曹操が鄴に構築した魏国が、すでに天下の十の州を実効支配し、百万の軍勢を擁し、精緻な百官の官僚機構を運用している以上、実質的な天命はすでに漢の劉氏から魏の曹氏へと完全に移行していると解釈するのが、当時の士大夫層における共通認識であった。献帝はもはや天と交信する資格を喪失した祭祀の抜け殻であり、真に天命を受けた者(曹氏)がその名実を一致させないことは、かえって天下の礼教秩序を根本から乱す要因となるのである。

 曹操の存命中は、彼自身が強烈な意志と圧倒的な属人的威信をもって、この易姓革命への圧力を独力で抑え込んでいた。彼は旧秩序の完全なる破壊者という汚名を着ることを拒み、あくまで「漢の忠臣たる覇者(周の文王)」としての自己の美学を貫徹した。しかし、彼の死によってその重しが外された瞬間、鄴の魏国政府を構成する官僚や将軍たちの間に鬱積していた「新国家の正規の建国功臣となり、己の功績に相応しい確固たる栄達と特権を得たい」という強烈な野心が、易姓革命という正当な大義名分を得て爆発的に噴出したのである。華歆、賈詡、王朗をはじめとする魏国の重臣たちは、名実の不一致を解消し、速やかに曹氏が帝位に就くべきであるという上奏を連日のように曹丕へと突きつけた。

 後を継いだ曹丕の置かれた立場は、父とは決定的に異なっていた。彼には、中原を己の才覚のみで平定した曹操ほどの絶対的な軍事的功績も、百戦錬磨の宿将たちを無言のうちに服従させるだけの個人的威信も持ち合わせていなかったのである。彼が自らの足元を固め、魏国の内部における求心力を早急に確立するためには、もはや「漢の魏王」という曖昧で矛盾に満ちた臣下の地位に留まることは許されなかった。もし曹丕が父の遺した二重体制の維持に固執すれば、新時代を渇望する魏の官僚機構からの支持を失い、求心力は急激に低下する。さらに、南方の孫権や西方の劉備といった強力な外敵に対して、「魏国」という新興勢力の完全なる正統性と独立性を示すことができず、陣営の内部崩壊を招く危険性が極めて高かったのである。

 かくして、曹操が己の寿命と引き換えに苦心惨憺して構築した「権威と実権の分離」という絶妙な均衡状態は、彼個人の属人的力量の喪失と、中国固有の天命思想の巨大な重圧によって、脆くも崩れ去る運命にあった。鄴の覇府を中心とする二重統治機構は、恒久的な制度として定着することはなく、単なる王朝交替への「過渡期」、すなわち簒奪のための準備段階としての役割しか果たし得なかったのである。

 既存の枠組みを維持できなくなった曹丕が、自らの権力基盤を絶対的なものとし、曹氏一族の未来を確固たるものとするために打つべき次の一手は、もはや歴史の必然として一つしか残されていなかった。次編においては、この体制の崩壊がどのような手続を経て「禅譲」という名の簒奪へと至ったのか、そしてそれが魏王朝の権力構造にいかなる決定的な脆弱性を植え付けたのかについて、論を展開していくこととする。


【引用文献・史料】

・陳寿『三国志』魏書 第二 文帝紀

・司馬光『資治通鑑』巻六十九 魏紀

・孔子『論語』子路篇

・孟軻『孟子』万章上

・尚書(書経)泰誓上

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