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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第4章 対立編

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第80話 小さな光

 翌日、源田屋に行った。


 寝た気がしなかった。


 目を閉じると、B2の天井に薄く残っていた青緑の光が浮かんだ。


 目を開けると、台所のカウンターにピコがいなかった。


 その二つを何度も行き来したまま朝になった。


 引き戸を開けると、ゲン爺は棚の前にいた。


 俺の顔を見て、眉だけを動かした。


「座れ」


 それだけ言って、湯を沸かし始めた。


 茶の缶を棚から出す。


 茶碗を温める。


 いつもの所作だった。


 何も聞かずに準備を始めることで、ここで話していいと言っていた。


 俺はカウンターに座った。


 湯気が細く上がる。


 茶の匂いが、昨日のB2の冷たさを少しだけ押し戻した。


* * *


「ピコがいなくなった」


 言葉にすると、胸の中の空白が少し重くなった。


 ゲン爺は茶碗を置いた。


「いつからだ」


「昨日、B4から戻ったあとです。部屋のどこにもいなくて、夜にB2まで確認に行きました」


「B2まで、だな」


「はい。夜間許可の範囲はB2までだったので、そこで止まりました。入場ログも帰還報告も残してあります」


 ゲン爺は小さく頷いた。


「なら、まずはそれでいい」


「よくはないです」


「分かってる。だが、奥へ勝手に行かなかった。そこは間違えるな」


 茶碗を握る手に力が入った。


 指先が熱い。


「青緑の熱が、許可範囲の先へ続いている感じがありました。でも、ピコの理由は分かりません。採取Sは、そこまでは教えてくれませんでした」


「教えない方がいい」


 ゲン爺は低く言った。


「道具が人の代わりに全部決め始めたら、そいつはもう道具じゃない」


「……はい」


「それで、JAGLにはどう言った」


「B2入口側のみ、採取なし、異常なし、とだけ。ピコのことは、どう扱えばいいか判断できませんでした。魔物紛失なのか、未知の小さな生き物の相談なのか、自分では分からなくて」


「それでワシのところに来た」


「はい。必要なら、このあとJAGLにも相談します」


 ゲン爺は腕を組んだ。


 しばらく、茶の湯気だけが動いた。


「坊主。ピコみたいな青緑の小さい光の話は、昔の記録にもある」


「本当ですか」


「本当かどうかも含めて、古い話だ。第一世代の採取屋の聞き書きに、何度か出てくる。小さな光。食い物の匂いに寄る。最浅層の古い場所でだけ姿を見せる」


 俺は茶碗を置いた。


 音が思ったより大きかった。


「ピコは、何なんですか」


「分からん」


 即答だった。


 期待していた答えではなかった。


 でも、嘘ではなかった。


「分からんが、敵として記録されたものではない。持ち主の言うことを聞く道具としても記録されていない。近づく相手は、だいたい決まっている」


「採取Sですか」


「採取が異様に高い人間だ。昔の記録は今のランク表記と違うが、そう読める」


 ゲン爺は俺を見た。


「だからといって、戻るとは言えん」


「……はい」


「だが、失くしたと決めるのも早い。ああいうものは、人間の都合ではなく、場所の都合で動くことがある」


 場所の都合。


 B2の許可範囲の先。


 昨日、手帳に書いた文字が頭に浮かんだ。


 追わない。


 追えない。


 勝手に深追いしない。


 その文字が、今も手を止めていた。


* * *


「ゲン爺。もう一つ聞いていいですか」


「何だ」


「父は、何を守ろうとしていたんですか」


 ゲン爺は答えなかった。


 店の奥で古い時計が鳴った。


 一回だけ。


 昼にはまだ早い時間だった。


 棚には、擦り減ったロープと、古い採取袋が並んでいる。


 その間に、俺の父がいた時間も残っているように見えた。


「採取データの独占に反対していた文書は見ました。父の名前も、槇原太郎の名前も」


「見たか」


「でも、父が守りたかったものがデータだけだったとは思えません」


「データも大事だ」


 ゲン爺は言った。


「だが、健次郎が一番嫌っていたのは、最浅層を数字だけにされることだった」


「数字だけ」


「採れる量。売れる値段。成分表。独占できる権利。そういうものだけで、最浅層を見ることだ」


 茶が冷めていく。


 俺はまだ飲めなかった。


「最浅層には、誰も見向きもしないものがある。食べたら不味いと言われたもの。使い道がないと言われたもの。採る価値がないと言われたもの」


「グリーンモスみたいに」


「そうだ」


 ゲン爺は目を細めた。


「健次郎は言っていた。誰かがいつか、それを美味いと言う日が来る。美味いと言って、記録して、また食べる人間が来る。そいつが来たら、最浅層はただの低階層じゃなくなる、と」


 息が止まった。


 美味いと言って、記録して、また食べる。


 それは、俺がしてきたことだった。


 父が俺を知っていたわけではない。


 俺が動画を始めることも、ピコと出会うことも、グリーンモスをスープにすることも知らなかったはずだ。


 それでも、父の言葉が先に置かれていた。


 俺が歩いてきた道の、少し前に。


「父は、俺を待っていたんですか」


「違う」


 ゲン爺はきっぱり言った。


 その声で、胸がまた詰まった。


「健次郎は、まだ見ぬ誰かを待っていた。お前個人を予言したわけじゃない」


「……はい」


「だからこそ、重いんだ。たまたま息子だったから受け取るんじゃない。美味いと言って続けた人間だから、今ここに座っている」


 喉の奥が細くなった。


 言葉が出なかった。


 茶碗を持ち上げた。


 冷めかけた茶が舌に触れる。


 渋みがあった。


 その渋みで、ようやく息が戻った。


* * *


「坊主」


「はい」


「今日は奥へ行くな」


「行きません」


「御崎の子とのことも、ピコのことも、JAGLの相談もある。地図だけで動くな」


 その名前で、胸の奥が少し痛んだ。


 カナメには、まだ連絡できていない。


 でも、いつまでも避けていられる相手でもなかった。


「分かっています」


「本当に分かってるか」


「昨日、B2の端で止まりました」


 ゲン爺は俺の顔を見た。


 それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「なら、今日も止まれる」


 その言葉は、慰めではなかった。


 確認だった。


「帰ります。家で、父の地図をもう一度見ます」


「見てもいい。だが、決めるのは明日以降だ」


「はい」


「腹に何か入れろ。空っぽのまま地図を見ると、ろくなことを考えん」


「最浅層の助言っぽくないですね」


「腹が空いた人間は判断を間違える。ダンジョンでも地上でも同じだ」


 それは妙に納得できた。


 俺は茶を飲み干し、頭を下げた。


「ありがとうございました」


「また来い」


 引き戸を開ける前に、ゲン爺が言った。


「ピコのことは、ただの迷子にするな。だが、失った話にもするな」


 俺は振り返った。


「はい」


 それだけ答えた。


* * *


 帰宅した。


 部屋は静かだった。


 ピコはいない。


 それは昨日と同じだった。


 でも、昨日と違って、俺はまず台所に立った。


 鍋に残っていたグリーンモススープを温め直す。


 JAGL食用登録済み。


 加熱用。


 昨日、自分で確認したラベルをもう一度見た。


 火にかけると、昆布の匂いが先に立った。


 その後から、グリーンモスの青い香りがゆっくり戻ってくる。


 鍋底で小さな泡が揺れた。


 ことことという音が、台所に置かれる。


 ピコの声はない。


 でも、音はある。


 匂いもある。


 俺は器にスープを注いだ。


 昨日より少しだけ塩を足した。


 ひと口飲む。


 温度が喉を通り、胃の奥へ落ちる。


 青さの後に、昆布の旨みが残った。


「……美味い」


 声に出した。


 ピコはいない。


 でも、美味いと言うことはできた。


 その声が、台所に残った。


* * *


 引き出しから父の古地図を取り出した。


 父のザックに入っていた、読めない記号だらけの古地図だ。


 以前、源田屋でゲン爺に見てもらったことがある。


 紙は少しざらついている。


 角が丸い。


 父の筆跡ではない線と、父が後から足したらしい印が混じっていた。


 俺は地図をテーブルに広げた。


 採取Sを動かす。


 何を意味しているかを聞くためではない。


 どこへ行くべきかを決めさせるためでもない。


 紙の上に残る素材の反応を、指先で確かめるためだった。


 人差し指をゆっくり滑らせる。


 何もない記号は、ただ紙の冷たさだけを返した。


 △の印。


 丸で囲まれた点。


 斜めに伸びる線。


 その中の一つで、指先が止まった。


 冷たい紙の下に、細い熱があった。


 B2の苔の熱ではない。


 昨日、B4の岩壁で触れた熱とも少し違う。


 もっと古く、もっと奥に沈んだものの、残り火のような感覚だった。


 俺は指を離した。


 記号の縁が、青みがかった光を帯びて見えた。


 見間違いだと思った。


 目を閉じる。


 息を数える。


 もう一度開く。


 光はまだそこにあった。


 強い光ではない。


 台所の蛍光灯に負けそうな、細い光だった。


 でも、消えなかった。


「ここに、何かがある」


 採取Sが言ったのではない。


 俺が言った。


 指先の熱と、地図の光と、父の残した印を合わせて、そう思った。


 父が行こうとしていた場所かもしれない。


 ピコの青緑の熱と、つながっている場所かもしれない。


 まだ、どちらも断定できない。


 でも、見ないふりはできなかった。


 手帳を開いた。


 光る記号。


 青み。


 指先に古い熱。


 意味は未確定。


 ゲン爺へ再確認。


 必要ならJAGLへ相談。


 最後に、もう一行書いた。


 今日は行かない。


 書いてから、息を吐いた。


 小さな光は、まだ地図の上にあった。


 絶望の底に落ちたままではない。


 でも、救われたわけでもない。


 ただ、暗い台所のテーブルに、消えない点が一つある。


 それだけで、今夜は十分だった。


 登録者:三万六千七百四十三人。

ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

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