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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第4章 対立編

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第79話 ピコがいない

 ピコを探した。


 玄関で名前を呼んだ。


 返事はなかった。


 窓の桟、台所のカウンター、冷蔵庫の上、押し入れ、ベッドの下。


 全部見た。


 小さな青緑の光はどこにもない。


 昨日の朝、スライムゼリーを分けた皿は洗ってある。


 カウンターの端には、ピコがいつも座っていた跡だけが残っている気がした。


 跡といっても、実際には何もない。


 木の色が少し明るく見えるだけだ。


 それでも、そこを見てしまう。


 採取Sは、部屋の中で何も拾わなかった。


 素材の熱も、苔の匂いも、青緑の細い反応もない。


 ただ、部屋が静かだった。


 俺は靴を履いた。


 外へ出た。


* * *


 アパートの廊下を見た。


 階段を降りた。


 玄関先の路地を見た。


 夜の街に、ピコの光はなかった。


 風が冷たかった。


 街灯の下に、薄い虫が一匹飛んでいる。


 ピコなら、あの虫を追ったかもしれない。


 でも、そういう遊びの気配ではなかった。


 採取Sに意識を向ける。


 ピコがどこにいるか、ではない。


 この場所に残った青緑の熱が、どちらへ薄く伸びているか。


 それだけを探した。


 返ってきた感覚は細かった。


 ダンジョンの方角。


 それ以上は分からない。


 B2なのか。


 B3なのか。


 それとも、もっと奥なのか。


 採取Sは答えをくれなかった。


 ただ、方角だけが指先に残った。


 俺はしばらく路地に立っていた。


 ピコが、自分でダンジョンへ向かったように思えた。


 そう考えるしかなかった。


* * *


 夜間の入場許可を確認した。


 今日の俺が入れるのはB2まで。


 B3以深へは行けない。


 B4はなおさらだ。


 JAGL晴海支部の夜間受付でカードを通し、入場ログを残した。


「B2まででお願いします」


 受付の職員が確認した。


「分かっています」


 俺は答えた。


 B1へ降りる。


 そこからB2への転移魔法陣を通った。


 夜のB2は静かだった。


 昼よりも壁の苔が目立つ。


 青緑の光が、岩の凹みに薄く溜まっていた。


 ピコの色に似ている。


 似すぎていて、目をそらしたくなった。


 でも、そらさなかった。


 入口側の岩棚に手を置く。


 採取Sが、苔の夜間反応を拾った。


 昼より水気が多い。


 発光が少し強い。


 葉の先に、細い甘さがある。


 素材の情報は返ってくる。


 でも、ピコの理由は返ってこない。


 それでいい。


 理由までスキルに聞いたら、たぶん俺は自分で考えなくなる。


* * *


 通路の奥へ行きかけて、足を止めた。


 B2の許可範囲の端だった。


 その先の階段は、今夜の俺の範囲ではない。


 指先には、まだ細い青緑の熱が残っている。


 奥へ続いている気がする。


 でも、気がするだけで越えていい理由にはならない。


 俺は壁に背中をつけ、座り込んだ。


 冷たい岩盤が背中に当たる。


 B2の苔が天井で薄く光っていた。


 いつもなら、ピコがその高さを飛んでいた。


 料理の匂いがすると、カウンターから鼻をひくつかせた。


 B2では、バッグの口から顔を出していた。


 帰り道は肩に乗った。


 それがいつものことだった。


 いつものことがない。


 それだけで、B2が広く見えた。


 カメラが壊れたときは、修理に出せば戻ると思えた。


 カナメとぶつかったことは、言葉を探せばいつか戻れるかもしれないと思えた。


 でも、ピコは違う。


 何をすれば戻るのか分からない。


 俺は膝に腕を乗せた。


 B2の冷たさが、服越しにゆっくり入ってくる。


 スマホを出しかけて、やめた。


 ピコがいないことを、誰に送るのか分からなかった。


 カナメにはまだ連絡できない。


 母に送れば心配させる。


 有希さんに送るには、説明できる情報が足りない。


 JAGLへ報告するにも、ピコが登録上どう扱われる存在なのか、自分でもまだ言葉にできない。


 俺はスマホをポケットに戻した。


 代わりに手帳を開いた。


 B2夜間。


 青緑の熱、許可範囲の先。


 ピコ不在。


 この三行だけを書く。


 書いても、ピコは戻らない。


 それでも、記録にしないと、今夜の感覚までなくなりそうだった。


* * *


 三十年前の文書が頭にあった。


 B4第三採石エリアの岩の熱が、指先にまだ残っていた。


 カナメのことも。


 有希さんのことも。


 全部が頭の中にある。


 でも、ピコがいないという事実だけは、ほかと違った。


 カメラが壊れた夜も、ピコはいた。


 カナメとぶつかった後も、ピコはいた。


 玄関で待っていた。


「ぴこぴこ」と言いながら。


 それだけで、何かが持ちこたえていた。


 今日は、その声がない。


 胸の中に、空白ができた。


 温かいものが抜けた後みたいな空白だった。


 採取Sが、奥へ流れる細い熱を拾っている。


 それは、ピコの目的を教えてくれるものではない。


 戻ってくる保証でもない。


 ただ、痕跡がある。


 その痕跡が、ダンジョンの奥へ向いている。


 分かるのは、それだけだった。


 俺はそれだけを手帳に書いた。


 青緑の熱。


 B2許可範囲の先。


 追わない。


 追えない。


 その下に、もう一行だけ足した。


 勝手に深追いしない。


 誰かに見せるためではない。


 自分の手を止めるための文字だった。


 書くと、少しだけ呼吸が戻った。


* * *


 B2を出た。


 地上に戻り、帰還報告を入れる。


 B2入口側のみ。


 採取なし。


 異常なし。


 ピコのことは報告欄には書かなかった。


 魔物紛失として届けるべきなのか、未知の小さな生き物の失踪として相談すべきなのか、判断できなかった。


 明日、ゲン爺に話す。


 そう決めた。


 源田屋なら、ピコのことをただの迷子として扱わない。


 古い最浅層のことも、父の地図のことも知っている。


 必要なら、そのあとJAGLにも相談する。


 俺一人で名前を呼び続けるより、明日、言葉にして渡す方がいい。


 そう思わないと、今夜また許可範囲の先へ足を出しそうだった。


 帰宅すると、台所のカウンターは空いていた。


 木の表面がいつもより冷たく見える。


 ピコが乗っていた場所を、指で触った。


 当然、何も残っていない。


 それでも触った。


 台所に立つ。


 グリーンモスを出した。


 袋のラベルを見る。


 B2グリーンモス。


 JAGL食用登録済み。


 加熱用。


 鍋に水を入れ、昆布を沈める。


 沸くまでの時間が長かった。


 いつもなら、ピコがカウンターの端で鍋を見ている。


 今日は、鍋の音だけだった。


 湯気が上がる前の水面は、黒く見えた。


 鍋底に小さな泡がつく。


 その泡が増えていくのを、ただ見ていた。


 ピコがいれば、羽を少し動かして、泡の数を追っていたはずだった。


 沸くまでの時間が、こんなに長いものだと初めて知った。


 ことことと音がし始めた頃、昆布を引き上げ、刻んだグリーンモスを入れた。


 苔の香りが立つ。


 B2の底にある、少し甘い空気に似た匂い。


 塩を少し入れて、器に注いだ。


 一人で食べた。


 昆布の旨みと苔の青みが、静かに舌へ広がる。


 喉を通る温度だけは、いつもと同じだった。


 胃の奥に落ちると、少しだけ体が戻ってくる。


 そこにピコの声が重ならない。


 味は同じなのに、食べる時間だけが違っていた。


 うまかった。


 でも、うまかっただけだった。


 ピコに分ける小皿を出しかけて、手を止める。


 小皿は棚に戻した。


 その音が、やけに大きかった。


* * *


 洗い物をした。


 水の音が台所に響く。


 ピコがいれば、その音にも反応していた。


「ぴこぴこ」と興味深そうに鳴いて、排水口をのぞこうとした。


 今日は水の音だけだった。


 それでも、水は温かかった。


 手が温まる。


 それだけが今夜の確かなものだった。


 スマホを確認した。


 短い更新動画に、新しいコメントが来ていた。


「またB2の様子を聞かせてください。待ってます」


 見ている人がいる。


 停滞していても、ここに残っている人がいる。


 ピコがいない夜でも、チャンネルは消えていない。


 俺は布巾を畳み、カウンターの端に置いた。


 ピコがいつも座っていた場所だった。


「明日、ゲン爺に話す」


 声に出した。


 返事はなかった。


 でも、言葉にしたことで少しだけ決まった。


 今日は追わない。


 追えない場所へは行かない。


 明日、分かる人に聞く。


 ピコの光がない台所で、俺はそう決めた。


 登録者:三万六千九百十八人。

ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

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