第72話 ニュースサイトに広がる火
翌朝、前夜に通知で見た記事が検索上位に出ていた。
黒葉レンの動画は二十一万再生を超えている。
俺のコメント欄だけで燃えていた火が、外のサイトに移っていた。
「最浅層料理動画、食品安全に懸念の声、JAGL未記載素材を日常的に調理・試食か」
見出しの時点で、胃の奥が固くなった。
使われていた画像は、三色モス採取回の切り抜きだった。
ピンセットで持ち上げたゴールドモス。
その横に、別動画のグリーンモス炒めのサムネイルが並べられている。
俺はゴールドモスを食べていない。
未記載素材として分け、概要欄にも食べないと書いた。
でも、記事の並べ方だと、金色の苔を料理したように見える。
本文には「登録者約三万九千人の料理チャンネルが、未記載素材を安全であるかのように扱っている」とあった。
安全であるかのように。
その言葉が、指の先に残った。
俺は昨日、概要欄と固定コメントを直した。
それでも、記事には反映されていない。
スクリーンショットは、修正前のものだった。
コメント欄には、記事から来た人が混じり始めていた。
「これ知らなかった。危ないじゃん」
「切り抜きだけ見たら食べてるように見える」
「黒葉が言ってたのこれか」
「いや、本人は食べてないって追記してるぞ」
「追記が必要な時点で怖い」
火は、少しずつ形を変えていた。
批判だけではない。
誤解を解こうとする人もいる。
でも、流れの速さは俺の手より速かった。
昼前には、同じ見出しを引用したまとめ記事が二つ増えた。
片方は「最浅層ごはん、未記載素材疑惑」と短くまとめていた。
もう片方は、俺の固定コメントの追記を最後の方に小さく載せていた。
それでも、見出しだけが先に流れていく。
「未記載って毒ってこと?」
「いや、未記載と危険は別だろ」
「じゃあなんで食材動画に映したの」
言葉が、別の場所で別の形に削られていく。
俺が書いた線引きは、読んでくれる人には届く。
読まない人には、届かない。
* * *
昼前、カナメが来た。
玄関を開けると、コンビニの袋と紙袋を持って立っていた。
「ユウ、入っていい?」
「うん」
カナメはテーブルに袋を置き、スマホを出した。
「記事の運営会社を見た。東和系列の広告会社が出資してる」
「証明になる?」
「ならない」
カナメは即答した。
「出資してるから指示した、とは言えない。そこは無理。でも、黒葉の動画が伸びた翌朝に、同じ切り抜きで記事が出た。偶然と言い切るには綺麗すぎる」
「……そうだな」
「だから、怒るより記録して。記事のURL、スクショ、時刻。昨日の概要欄修正時刻も」
俺は頷いた。
カナメはおにぎりを一つ渡してきた。
「食べな」
「食べた」
「嘘。顔が朝飯抜き」
「顔で分かるのか」
「分かる」
ピコが袋の端を見ていた。
『ぴこ』
「ほら、ピコもそう言ってる」
「それは袋を見てるだけだろ」
おにぎりを受け取った。
塩気がちょうどよかった。
胃が受けつけるか不安だったが、一口入ると体が少し戻った。
カナメはコーヒーをいれながら言った。
「今、一番しんどいのは何」
「コメントじゃない」
「うん」
「記事でもない」
「うん」
「見てくれている人の顔が浮かぶことだと思う。tanuki_yamaさんとか、最初から来てくれている人が、不安になってる」
カナメはしばらく黙った。
「そっか」
それだけだった。
でも、十分だった。
* * *
午後、葉山食品から正式なメールが来た。
件名は「動画説明欄の監修表記に関する一時対応のお願い」。
本文には、現在の報道と問い合わせ状況を踏まえ、過去動画を含む葉山食品監修表記を一時的に非表示にしてほしい、と書かれていた。
理由は、視聴者が葉山食品による安全性保証と誤認する可能性があるため。
監修業務の終了ではない。
安全性を否定するものでもない。
ただし、公表できる範囲が整理されるまで、一時的に表示を外す。
文章は丁寧だった。
だから余計に、重かった。
対象動画の一覧も添付されていた。
グリーンモス炒め。
B4ホタルトンボ出汁。
葉山食品と一緒に確認した素材を使った回。
全部で十七本。
その横に「一時非表示」と並んでいる。
終了ではない。
撤退でもない。
それでも、一覧で見ると、いままで積んできたものに薄い紙を一枚かぶせられたようだった。
メールを読み終えた直後、有希さんから電話が来た。
「ユウトさん、メールの件、読みましたか」
「読みました」
「会社としては、あの文面が正式な連絡です。私は個人として、公開資料の確認は続けます」
「分かりました」
「ごめんなさい。支えたい気持ちと、会社として出せる線がずれています」
「有希さんが謝ることじゃないです」
少し間があった。
「続けます」
自分で言ってから、声が少し低いことに気づいた。
有希さんは小さく息を吸った。
「はい。私も、できる範囲で続けます」
電話が切れた。
机の上に、葉山食品のメールが開いたまま残っていた。
* * *
夕方、動画の説明欄を編集した。
過去動画を一つずつ開く。
葉山食品監修。
その文字にカーソルを合わせた。
削除キーを押す。
一文字ずつ、消えていく。
四か月以上、そこにあった文字だった。
北条さんとグリーンモスの粘度を計った夜を思い出した。
有希さんが公開資料を何度も確認してくれたことを思い出した。
それが消えるわけではない。
でも、画面からは消える。
白い空白が、そこにできた。
俺は各動画の末尾に追記した。
「葉山食品による過去監修表記は、報道状況を受けて一時的に非表示にしています。素材区分と安全表示については、固定コメントと概要欄の追記を確認してください」
保存ボタンを押す。
ひとつ。
また、ひとつ。
数が多いほど、空白も増えた。
コメント欄を開く。
「監修消えた?」
「やっぱりまずいの?」
「一時非表示って書いてある。落ち着いて読もう」
「安全の件、ちゃんと説明してくれるなら待つ」
「tanuki_yamaより:追記読みました。待っています」
待っています。
その言葉が、今日いちばん重かった。
新しい告知動画の下書きも開いた。
昨日はタイトルだけだった。
今日は本文メモを三行だけ足した。
未記載素材は食べていないこと。
食用登録と監修レシピは別であること。
葉山食品の監修表記は一時非表示で、確認が取れた範囲から説明すること。
公開ボタンには触らなかった。
確認前に出した言葉が、また別の火種になるのは避けたかった。
* * *
夜、台所に立った。
動画は投稿しない。
でも、何も食べないままでは眠れない。
冷蔵庫からB1スライムゼリーを出した。
透明な通常部位だけを器に盛る。
ソースには、昨日残したグリーンモスを少しだけ使った。
B2グリーンモス。
JAGL食用登録済み。
加熱用。
未記載素材なし。
フライパンにバターを落とし、細かく刻んだグリーンモスを入れる。
じゅっと音がした。
青い匂いが立つ。
その匂いは昨日と変わらない。
記事の見出しも、監修表記の空白も、この匂いまでは変えられない。
でも、外へ出す言葉は変えなければいけない。
俺はゼリーに温かいソースをかけた。
ピコがカウンターに上がる。
『ぴこ?』
「今日は、これだけ」
少し冷まして分けた。
『ぴこぴこぴこ』
三声。
俺も食べた。
うまかった。
うまいことだけでは足りない。
でも、うまいことを手放したら、俺の言葉はもっと弱くなる。
食べ終えてから、カメラのバッテリーを充電器に挿した。
明日はB2へ行く。
採取するためだけではない。
自分がどの素材を、どの条件で扱っているのかを撮るために。
記事のURL、修正時刻、固定コメント、葉山食品の一時非表示。
全部、メモに並べた。
怒りで返すのではなく、記録で返す。
登録者:三万九千八百十二人。
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