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第10話 スライムゼリーパフェ

 月曜日の朝、五時半。


 九本目のタイトルは、もう、決まっていた。


 『スライムゼリーパフェ。父の図、十二年後の完成』


 タイトルに、はじめて、父の文字が入った。検索で引っかかるかどうかは、たぶん、関係ない。これは、俺の名前で出すべき、俺の動画だ。父のレシピ帳の最後のページ、二色のグラスの図。あの図を、俺の冷蔵庫と、俺のグラノーラと、母のベランダのミントで、現代に持ち上げる。


 * * *


 冷蔵庫を開けた。


 ピンクスライムゼリー、二袋。ブルースライムゼリー、二袋(うち一つは熟成済み、白い筋十二本)。熟成済みの方は、今日は使わない。生のブルーと、ピンクで、いく。父の図に、白い筋は、描いてなかった。父が知らない領域は、父の図とは、別の場所で、別に料理する。今日は、純粋に、父の図の通りに、組み上げる。


 台所のシンクで、両方のゼリーを、洗った。指先で触ると、ブルーは冷たく無味の弾力、ピンクは指の腹に薄く甘い香りが移る。それを、まな板の上で、五ミリ角の賽の目に切る。包丁を入れる音は、寒天より乾いて、葛切りより湿っている。九日間、毎日、ゼリーを切り続けた指が、サイズを覚えていた。


 切ったゼリーを、二色、二つの小皿に分けて並べると、台所の蛍光灯の下で、青と桜色が、互いの色を、薄く反射させていた。それだけで、もう、絵になっていた。


 手元カメラ、回す。


「『最浅層ごはん』、九本目。今日は、ブルースライムゼリーと、ピンクスライムゼリーを、二色で、パフェにします」


 声は、第七話の四回撮り直しの時より、自然に出た。撮ることを、たぶん、身体が覚えはじめている。


「下に、市販のグラノーラを敷きます。上に、母のミントを、一葉。撮影は、B1『青の岸辺』で」


 言いきった。撮影をB1で行うと、口に出して、自分で確定した。


 * * *


 B1へは、九時に着いた。クーラーバッグに、切ったゼリー、グラノーラ、ミントの葉、ガラスのパフェグラス、白い布、ミニ三脚。この一式、肩に下げると、それなりに重い。


 『青の岸辺』は、入口の魔法陣から、北側へ歩いて十五分。水深十センチほどの浅瀬が、岸辺に沿って広がっている場所だ。天井の苔が、そこだけ明るい。水面に、苔の光が、薄く反射する。岸辺に近づくと、水の音が、ぽたん、ぽたん、と、まばらに落ちる。B1の他のどこよりも、音が澄んでいる。


 料理を撮るには、世界のどこを探しても、たぶん、ここより綺麗な場所はない。F級が一人で来られる範囲で、これだけの絵が組めるのは、ほぼ反則と言っていい。


 俺は、平らな石を一つ選んで、その上に、白い布を敷いた。布は家から持ってきた、母の使わなくなったテーブルクロスの切れ端。ガラスのパフェグラスを、布の上に置く。これも、家のもの。父の家にも、たぶん、あったはずのもの。


 ミニ三脚を立てる。画角を確認。背景に、青の岸辺の浅瀬が、ぼんやり光る。グラスの透明度が、苔の光を、内側で受け止める。


 組み立て、開始。


 グラノーラを、グラスの底に、軽く、二センチ。市販のものに、刻んだナッツを少し足してある。父の図の「ザクザクするもの」の指示。


 ピンクのゼリー、賽の目を、層状に、五ミリ。


 ブルーのゼリー、賽の目を、層状に、五ミリ。


 また、ピンク。また、ブルー。三層。グラスの上の方、二センチ残す。


 最後に、ミントの葉を一枚、頂上に、立てる。


 完成。


 俺は、息を吐いた。父の図と、目の前のグラスが、ほぼ、同じ形になっていた。違うのは、グラノーラの色(父の時代より、明るい黄)と、ミントの葉の角度。それだけだ。


 * * *


 カメラの前に、グラスを、移動した。天井の苔のいちばん明るい一筋が、岸辺の浅瀬の上で、ちょうど、グラスの斜め上に落ちる時間帯がある。十五分くらい。今、その十五分の中だった。


 グラスの中で、二色のゼリーが、苔の光を吸って、発光している、ように、見えた。


 いや、見えた、ではない。発光、している。


 ブルーの層が、薄く、青く、光っていた。三秒や四秒で消える類の光ではない。天井からの苔の光を、ゼリー自身が、増幅して、内側から返している、ような。


 ピンクの層も、桜色を、グラノーラの茶色の上で、染め広げていた。


 俺は、何も言わずに、その光景を、四十秒、撮った。録画は、止めなかった。


 それから、ナレーションを、別録りで、入れた。


「父のレシピ帳に、二色のゼリーを、グラスに重ねる図がありました。父は、この料理を、完成させる前に、いなくなりました。今日、俺の手で、完成させました」


 原稿は、書かなかった。一回で、入れた。撮り直さなかった。


 * * *


 帰宅。


 台所で、もう一度、同じ材料で、もう一つ、パフェを組んだ。撮影用のは、岸辺で、母の試食用に、家で、二つ目を。


 昼の、十二時半。母は、繁忙期の月曜の午前を終えて、昼食のために、一度、家に戻る予定だった。会計士事務所は、自宅から、徒歩二十分。繁忙期でも、月曜の昼だけは、家で食べる、というのが、母のルーティンだった。


 扉が開く音。


「ただいま」


「お帰り」


 母は、台所の俺と、テーブルの上のパフェを、順番に、見た。


 パフェの前で、母は、立ち止まった。三秒。


 それから、言った。


「……これ」


「父さんの、最後のレシピ」


 母は、椅子に座った。スプーンを取る前に、グラスを、しばらく、見ていた。


 それから、上から、ミントを避けて、スプーンを、少しだけ、入れた。


 一口。


 咀嚼、五回。喉の動き。


 母は、目を、閉じた。


 ……それから、二口目。三口目。スプーンが、止まらなかった。


 半分まで食べて、母は、スプーンを、置いた。


「ユウ」


「うん」


「父さんも、食べたよ、これ。今、たぶん、一緒に」


 母の目尻に、薄い、光るものが、あった。涙だと、断言は、しない。気のせい、かもしれない。でも、俺の中では、もう、断言、してもいい光だった。


 俺は、何も言わなかった。父の椅子で、書斎のレシピ帳を見た時と、同じ静けさが、台所に、降りた。


 * * *


 午後、撮影の動画を、編集した。


 組み立てのカット。ゼリーが光るカット。母の試食のカットは、撮らなかった。撮らなくてよかった、と、思った。


 タイトル決定。サムネは、岸辺で撮った、光柱の下のグラス。タグ:『最浅層』『B1』『パフェ』『スライムゼリー』『二色』『最浅層ごはん』。


 夜の七時、公開。


 * * *


 その日の夜、十一時。


 DungeonTubeを開いた。九本目の再生数:十。コメント、ゼロ。新規登録者、ゼロ。


 今までの動画と、同じ滑り出しだった。


 でも、何かが、違う気がした。


 再生が、止まっていない。十一時の時点で、二分前、一人増えた。それが、二分後、もう一人。三分後、また一人。


 じわじわ、ではなかった。緩やかに、加速していた。


 まだ、誰のコメントもなかった。でも、誰かの指が、再生ボタンを、押し続けている。


 * * *


 夜の十一時半、コメントが、一件、ついた。


  mi_kana —— これは、届く。たぶん、明日、起きたら、世界が変わってるよ


 カナメは、A級ルートの実戦練習で、来週まで連絡できない、と言っていた。それでも、見た。それでも、書いた。


 俺は、返事を、書かなかった。明日、起きてからでいい。


 ザックの三つの中身は、書斎の机の上に、まだ、並んでいる。ノートも、地図も、レシピ帳も。父の図は、グラスの中で、完成した。次の図は、まだ、ない。明日からは、また、ゼロから、考える。


 左手で前髪を掻き上げた。今日は、何度も、掻き上げられた。十二年、止まっていた手が、一日のうちに、何度も、動いた。


 冷蔵庫の白い筋のゼリーは、今夜は、十四本。明日は、たぶん、もう少し。父の図には、書かれていない素材が、冷蔵庫の中で、まだ、何かを進めている。これも、いつか、撮る。今日じゃない、近いうちに。


 俺は、スマホの画面を、閉じた。


 ゲン_zeroのコメント欄は、今夜も、増えていない。七年前の一行が、まだ、画面の下で、光っている。続けてみなさい——その一行から、九日。八本撮って、九本目、上げた。続けた、と言える、十日目の前夜だ。


 ……明日、世界が、本当に、変わっているのかは、分からない。たぶん、変わっていないと思っている。でも、今夜、父の図を、俺の手で、完成させた。それは、世界が変わるか変わらないかとは、別の話だ。


 窓の外、新緑の街路樹が、夜の風に、軽く、揺れていた。明日の朝、俺は、また、再生数を確認する。十でも、十万でも、確認する。続ける、というのは、たぶん、そういうことだ。


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