第1話 冒険者適性テスト、歪な結果
冒険者適性テストの結果は、戦闘F。最浅層行きだ。
採取Sと料理Sが、その日の俺には、ただの余計者だった。
包丁一本と、数秒の録画で料理配信を始める——俺が最浅層に潜ることになる、その最初の一日の話。
* * *
朝の光が、やけに眩しかった。
「気をつけて行っておいで」
母が台所から声をかけた。フライパンに残った卵焼きの匂いが、ほのかに漂う。母の目の下のクマは、今朝も濃い。
「うん、行ってくる」
声が少しかすれた。
冒険者適性テスト。十六歳で受けるのが一般的だが、俺は二年遅れた。父のことから目を逸らし続けていた二年間だった、と言えば格好がつくかもしれない。
父はB級冒険者だった。三十歳を過ぎてから登録した遅咲きで、三十年前にダンジョンが現れた頃から十年ほど経っての登録組だ。
十二年前、俺が六歳のとき、ダンジョンで消息を絶った。公式発表は「事故」。以来、母は一人で俺を育てた。
父のザックは、今も玄関の下駄箱の上に置かれている。鍵が掛かったまま、誰も開けていない。
戦闘ができなかった俺は、父を助けられなかっただろう。
そんな想像を、何度もした。
だから、今日の結果はだいたい予想がつく。
戦闘F。それでも、行かなきゃ始まらない。
* * *
会場は、東京湾岸・晴海のJAGL支部。ガラス張りの低層ビルで、ロビーからは魔法陣の光るダンジョン入口が見えた。
受験者は百人以上。ほとんどが十六歳、たまに年上の浪人組も混じる。誰もが緊張した顔で、番号札を握りしめていた。
「ユウ」
声をかけられて振り返ると、幼馴染の御崎カナメがそこに立っていた。ポニーテールは雑に結ばれていて、前髪から覗く目は今日も眠そうだ。
「……なんでお前が」
「なんでって。一緒に登録の日じゃん」
いや、それはそうだけど。
カナメは一ヶ月前、高校を卒業して大学を蹴った。冒険者になるためだ。中学の時点で「戦闘A確実」と言われていた天才で、俺の知る限り、地元で一番強い同世代だ。
「もう判定出たの?」
「まだ」
カナメは俺の顔をじっと覗き込んで、バッグから栄養バーを取り出した。
「食べな」
「いや、朝ごはん食べたよ」
「ちゃんと?」
「……パン一枚」
「……はぁ。あんた、本番前にそれで倒れたらどうすんの」
ため息とともに、栄養バーが手に押し付けられる。
「ユウ、前にくれたあの弁当、うちの母さん真似してたよ」
「……なんで急に、弁当の話」
「なんとなく」
それ以上は何も言わず、カナメは自分の番号札に視線を落とした。
* * *
テストは五系統。機械的な案内に従って、最初の部屋に入る。
戦闘試験。疑似モンスター相手に五分間。ダンジョン由来のエネルギーを利用した測定装置で、衝撃だけが身体に伝わる仕組みだった。
俺は、三十秒で膝をついた。
武器の扱い方が分からず、最初の踏み込みで足がもつれる。投影された鋭い爪が、肩をかすめた。痛みは無いが、衝撃だけは重い。
膝の上で、手が震えた。
父さんなら、こんな爪は紙みたいに切り落としていたはずだ。
薄い汗が背中を伝う。立てなかった自分の情けなさが、じわじわと体温を奪っていく。
まあ、いいか。
立ち上がって、小さく息を吐いた。想定通りの敗北には、案外、傷つかない。
係員の静かな声が、妙に優しくて、かえって辛かった。
* * *
採取試験。
模擬ダンジョンから指定された物を見つけて持ち帰る、という課題だった。十種類の植物と鉱石が散らばった部屋。
不思議なことに、部屋に入った瞬間、何かが視界のピントを合わせ直した。
葉の縁が、他より一段濃く見えた。
石の重みが、握る前から指先に届いた。
鉱石の断面から、鉄分のひんやりした匂いが立つ。
形の似た二つの鉱石のうち、片方だけが「本物」だと、理由も知らずに断定できた。
どこに何があるか、空間ごと分かる感覚だった。
え、なんで俺、こんなに分かるんだ?
戸惑いが、遅れて追いついてきた。
でも、戦闘Fの俺に、こんなの意味あるのか?
心のどこかが、即座にそう答えた。
指示された全十種を、八分で揃えた。制限時間は二十分だった。
「……凄いですね」
係員が眉を上げた。
俺が、凄い?
番号札を握り直すと、端が汗で少し湿っていた。
* * *
料理試験も、似た感覚だった。ただし、採取の「空間知覚」とは少し違う。
こちらは、食材の最適解が、頭の中に直接浮かぶ。
与えられた五つの食材は、鶏肉、玉ねぎ、バター、タイム、岩塩。最適な調理法で一皿に、という指示だった。
鉄鍋に油を引いた瞬間、鶏肉の水分量がなんとなく分かった。玉ねぎの糖度は、匂いで読める。タイムは軽く、岩塩は強い。
あ、これ、ハーブバター焼きだな。
迷いは無かった。
鶏肉を皮目から中火、八分。じゅう、と乾いた音が跳ね、皮が小麦色に変わる手前でバターを落とす。玉ねぎをバターに放つと、しゅわ、と水分が逃げていく。仕上げにタイムをひと摘み、ぱらりと散らす。青い香りが、ふわりと立ち昇った。岩塩をひとつまみ。
気がつくと、湯気の立つ一皿が目の前にあった。
試食した係員が、口の中でしばらく黙った。
二口目を躊躇い、三口目を急いだ。
それだけだった。
あ、これ、美味いかも。
そう思ってしまった自分に、少しだけ驚いた。
まあ、いいか——料理がSでも、冒険者になれるわけじゃない。
心は、すぐにそう結論づけた。
鑑定はB、生活はC。可もなく不可もなく。
全試験が終わった頃には、時計は昼過ぎを指していた。
* * *
待合室で、カナメを見つけた。彼女はすでに結果の紙を手にしていた。
「どうだった?」
「A。戦闘A、他系統もB以上。登録はA級ルートだって」
カナメは紙を見つめたまま、表情を動かさなかった。
喜んでいるのか、そうでないのか、昔から分からない。
「ユウは?」
「まだ」
俺は力なく笑って、隣に腰を下ろした。膝の上に載せた手のひらが、汗ばんでいる。
しばらくして、俺の番号が呼ばれた。
* * *
「佐々木ユウト様」
受付の女性——名札には『相良 真帆』と書かれていた、十ほど年上に見える職員——が、俺に一枚の紙を差し出した。
「ギルド職員の相良真帆と申します。あなたの担当をさせていただきますね」
受け取った紙には、五つのアルファベットが並んでいた。
戦闘:F
採取:S
料理:S
鑑定:B
生活:C
俺は紙を見つめたまま、しばらく動けなかった。
Sが、二つ。
「総合ランクは、戦闘基準でF級登録となります。採取と料理のS判定は、《特殊スペシャリスト認定》の対象。本日付で仮付与、正式発行は明日のオリエンテーション後です。IDカードもそこで発行されます」
相良さんはそこで言葉を切り、俺の目を一瞬だけ見た。
「適性判定のSは、受験者の〇・一パーセント。それが二つ——しかも戦闘F判定は、一万人に一人の低さです。これほどの偏りは、私も初めて見ました」
彼女は書類の備考欄を、指でそっとなぞった。
三角形の中に、小さな点のような印が捺されていた。
一瞬、彼女の指が止まった。
「……これ、旧い型の印ですね。一応、上に報告しておきますね」
最後に、独り言のように呟いた。
「中層以深のS級採取物なら、一品五万から十万。月で百万円を超える記録もあります。最浅層の採取物については——前例がありません」
紙を畳む俺の手が、少しだけ重くなった。
* * *
帰りの電車の中で、俺はもう一度、紙を見た。
戦闘Fは予想通り。でも、採取Sと料理Sは、どう使えばいいのか、見当もつかない。
冒険者は戦闘ができなきゃ話にならない——それが業界の常識だ。
そもそもF級は、中層以深への単独入場が許可されない。許されるのは誰も気にしない浅層か、逆に誰も見向きしない最浅層だけ。
口座には三万五千円ある。入門装備は三十万円から。父のザックに装備は残っているだろうか、と、ふと思った。
隣のサラリーマンが、スマホでダンジョン飯の動画を流していた。東和プロモーション所属の有名探索者が、B20層で倒した魔物を調理する企画。DungeonTube、再生百二十万回。
戦闘の動画は、山ほどある。
でも、採取は? 料理は?
スマホを取り出して、検索する。
「最浅層 採取 配信」
一件も、見つからなかった。
正確には、似たジャンルに挑んだ配信者は数人いた——全員、登録者三桁で半年以内に撤退している。
誰もやらなかった。
採取Sって、売ったらいくらになるんだろう。
百万円、と相良さんは言っていた。最浅層は、前例がない、とも。
俺はカメラアプリを開いて、録画ボタンを押した。
「……えーと、F級冒険者の、佐々木ユウトです」
噛んだ。
画面の中の自分は、まだ何者でもない。口角だけ上げた笑顔が、ぎこちない。
録画を削除した。
でも、もう一度押した。
明日、最浅層で、これを回し続けよう。
左手で、前髪を掻き上げる。
車窓の向こうで、桜の花びらが舞っていた。
誰もやらなかった道が、一本、目の前に伸びていた。




