第7話 悪女と三人の曲者
王都警備隊の本部は、王宮の東門から馬車で四半刻ほどの場所にあった。
灰色の石を積み上げた重厚な建物は、周囲の華やかな貴族街から切り離されたように佇んでいる。高い鉄柵の向こうには訓練場が広がり、朝早くから兵士たちの掛け声と剣の打ち合う音が響いていた。
オルフェリアが到着したのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。
「お嬢様、本当にお一人でよろしいのでしょうか」
馬車の扉を開けながら、マリアンヌが不安そうに尋ねた。
「ええ。事情を伺われるだけでしょう? それに、お兄様が同行なさったら、警備隊の方々が気の毒ですもの」
「ですが……」
「大丈夫よ。何かあれば、きちんとお知らせするわ」
そう言って微笑むと、オルフェリアは馬車を降りた。淡い灰紫色の外出着に、白い手袋。髪は低い位置でまとめ、装飾は祖母から譲られた小さな真珠の耳飾りだけに留めている。
華美ではないが、公爵令嬢としての品格を損なわない装いだった。
建物の入口では、若い将校が待っていた。
「ヴァレンシュタイン公爵令嬢でいらっしゃいますね」
「ええ。オルフェリア・フォン・ヴァレンシュタインですわ」
「王都警備隊第三隊隊長、カイゼル・フォン・ルーヴェンと申します」
青年は胸に手を当て、礼を取った。
年齢は二十五歳ほどだろうか。短く整えられた灰褐色の髪に、鋭い青緑の瞳。軍服の襟元には銀の階級章が輝き、腰には使い込まれた長剣が下げられていた。
整った顔立ちではあるが、愛想のよさとは縁遠そうな人物である。
「本日はご足労いただき、感謝いたします」
「こちらこそ。事件の解決に少しでもお役に立てるのでしたら、喜んで協力いたしますわ」
「……そうですか」
カイゼルは短く答えた。
その目は、彼女の表情を値踏みするように見つめている。
「では、こちらへ」
案内されたのは、二階の小さな応接室だった。
室内には長机と椅子が数脚、壁際には書類棚が並んでいる。窓から差し込む光が床に四角い模様を描き、机の上には事件の記録と思われる紙束が置かれていた。
カイゼルは向かいの椅子に腰を下ろし、書類を開いた。
「早速ですが、聖リディア救護院で保護されていた少女について、お尋ねします」
「ええ」
「あなたは、事件の前日にその少女と面会していますね」
「はい。救護院を訪問した際に、お会いいたしました」
「少女の名前は?」
「存じませんでした。院長先生も、名乗ろうとしないとおっしゃっていましたので」
カイゼルは書類に何かを書き込んだ。
「では、何故その少女に会おうと?」
「救護院の支援者として、様子を確認したかったからですわ」
「ほかに理由は?」
「特にはございません」
カイゼルは顔を上げた。
「……本当に?」
オルフェリアは静かに微笑んだ。
「隊長様。何かお疑いでしたら、遠慮なくお尋ねくださいませ」
「では、率直に伺いましょう」
彼は書類を閉じた。
「あなたは、少女の失踪に関与していますか」
室内の空気が、一瞬で冷えた。
オルフェリアは僅かに目を細めた。
「……随分と直接的なご質問ですこと」
「遠回しな言い方は苦手でして」
「そうですの。では、わたくしも率直にお答えいたしますわ」
オルフェリアは背筋を伸ばした。
「関与しておりません」
カイゼルは、しばらく彼女を見つめていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……分かりました」
「それで、よろしいの?」
「現時点では、あなたを疑う証拠はありません。ただ、事件の前日に少女と接触した人物として、確認が必要だったのです」
「なるほど」
オルフェリアは頷いた。
「でしたら、わたくしからもひとつ伺ってよろしいかしら」
「何でしょう」
「その召喚状に押されていた、蔓草の印についてです」
カイゼルの手が止まった。
「……印?」
「ええ。王都警備隊の紋章とは別に、小さな印がございましたでしょう?」
カイゼルは一瞬だけ沈黙した。
そして、低い声で答えた。
「……その件については、私も調べています」
オルフェリアは、初めて興味を隠さずに彼を見つめた。
「まあ。隊長様も?」
「ええ。あの召喚状は、私の承認を経ずに発行されていました」
「……それは、随分と困ったことですわね」
「まったくです」
カイゼルは苦々しく笑った。
「私の部下が発行したことになっていますが、本人は何も知らないと言っています。書類の管理記録にも、不自然な点がありました」
「では、わたくしをこちらへ呼び出したのは……」
「私ではありません」
カイゼルは静かに答えた。
「ですが、あなたが来ると知って、話を聞くことにしました」
オルフェリアは小さく息を吐いた。
どうやら、彼もまた、この事件の全貌を把握しているわけではないらしい。
「……隊長様」
「はい」
「ひとつ、お願いがございます」
「何でしょう」
「もし、あの少女が見つかりましたら……」
そこで、扉が勢いよく開いた。
「カイゼル! また勝手に患者の記録を持ち出したでしょう!」
鋭い女性の声が響いた。
入ってきたのは、白衣を羽織った若い女性だった。
艶やかな黒髪を高く結い上げ、琥珀色の瞳を持つ、二十代半ばほどの女性である。片手には分厚い医学書、もう片方には小さな革鞄を抱えていた。
「……ノエル」
カイゼルが眉間を押さえた。
「今は取り調べ中だ」
「知ったことじゃないわ。医療記録はあなたのおもちゃじゃないのよ」
女性はそう言い放ち、ようやくオルフェリアの存在に気づいた。
「あら」
彼女は瞬きをした。
「……随分と綺麗なお客様ね」
「ごきげんよう」
オルフェリアは微笑んだ。
「オルフェリア・フォン・ヴァレンシュタインと申します」
女性の表情が変わった。
「……ああ、噂の」
カイゼルが咳払いをした。
「ノエル」
「何よ。別に悪口なんて言ってないでしょう?」
女性は肩をすくめた。
「ノエル・アシュフォード。王都警備隊の嘱託医よ。よろしくね、公爵令嬢様」
「こちらこそ。お会いできて光栄ですわ」
ノエルは興味深そうに彼女を眺めた。
「ふうん……思っていたより、ずっと普通なのね」
「まあ。どのような者を想像していらしたの?」
「もっとこう、目が合っただけで人を凍らせるような方かと」
「それは残念ですわ。わたくし、氷の魔法は使えませんもの」
ノエルは一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。
「いいわね、あなた! 気に入ったわ!」
カイゼルは深いため息をついた。
「……頼むから、話を進めさせてくれ」
「はいはい。あ、そうだ」
ノエルは革鞄から一枚の紙を取り出した。
「例の救護院の件、ちょっと面白いことが分かったわよ」
カイゼルの表情が変わった。
「何だ?」
「院長さんの怪我を診たでしょう? そのとき、服に妙な粉が付着していたの」
「粉?」
「ええ。普通の土埃じゃないわ。王宮の古い建物で使われていた、特殊な石灰に似ているのよ」
オルフェリアは静かに目を細めた。
「……王宮の?」
ノエルは頷いた。
「断定はできないけれどね。少なくとも、あの救護院の壁材とは違うものよ」
カイゼルは椅子から立ち上がった。
「それは重要な情報だ。すぐに詳しく調べよう」
「ええ。だから勝手に記録を持ち出さないで、ちゃんと私に聞きなさいって言ってるの」
二人のやり取りを眺めながら、オルフェリアは小さく笑った。
どうやら、王都警備隊にも、なかなか面白い方々がいらっしゃるらしい。
事情聴取を終えたオルフェリアが建物を出ると、門の近くに一台の馬車が停まっていた。
深緑色の車体に、銀の装飾。扉には見覚えのない家紋が描かれている。
その傍らに立っていたのは、ひとりの若い令嬢だった。
淡い金茶色の髪を緩やかに結い、深い青色の瞳を持つ、美しい女性である。年齢はオルフェリアより少し上だろうか。薄紫色のドレスは上質でありながら控えめで、手には白い日傘を持っていた。
令嬢はオルフェリアの姿を見ると、優雅に一礼した。
「初めまして、ヴァレンシュタイン公爵令嬢」
「……ごきげんよう」
オルフェリアは静かに礼を返した。
「失礼ですが、どちら様でしょう?」
「リディア・フォン・エーレンベルクと申します」
その名前に、オルフェリアは僅かに眉を上げた。
エーレンベルク伯爵家。
王都から遠く離れた北方の領地を治める、古い貴族家である。
「まあ。エーレンベルク伯爵家の方でいらっしゃるのね」
「ええ。お会いできて光栄ですわ」
リディアは穏やかに微笑んだ。
しかし、その青い瞳は少しも笑っていなかった。
「実は、あなたにお伝えしたいことがございまして」
「何でしょう?」
リディアは一歩近づいた。
そして、周囲に聞こえないほどの小さな声で囁いた。
「……あの少女を、探していらっしゃるのでしょう?」
オルフェリアの表情が僅かに変わった。
「……何のお話でしょうか」
「とぼけなくても結構ですわ」
リディアは微笑んだ。
「聖リディア救護院で保護されていた、金髪の少女のことです」
オルフェリアは黙って彼女を見つめた。
リディアはさらに声を落とした。
「その子を探すのなら、王宮には近づかない方がよろしいわ」
「……何故ですの?」
「王宮には、知らない方が幸せなことがございますもの」
その言葉に、オルフェリアは小さく笑った。
「まあ。随分と親切なご忠告ですこと」
「お気に召しませんでした?」
「いいえ。ただ、ひとつ気になりまして」
オルフェリアは扇を開いた。
「わたくしが何を探しているのか、どうしてあなたがご存じなのかしら?」
リディアの微笑みが、ほんの僅かに揺れた。
「……それは」
「初対面の方から秘密めいた忠告をいただいても、すぐに信用するほど、わたくしは素直ではございませんの」
しばらく、二人は無言で見つめ合った。やがて、リディアは小さく息を吐いた。
「……噂以上に、手強い方ですのね」
「お褒めいただき、光栄ですわ」
リディアは苦笑した。
それから、日傘を閉じ、静かに言った。
「では、ひとつだけ。本当のことをお伝えします」
「何でしょう?」
「……あの少女は、わたくしの妹です」
オルフェリアの指先が止まった。
「……妹?」
「ええ」
リディアは頷いた。
「正確には、父が認知していない異母妹です。名前は、リゼ」
その名を聞いた瞬間、オルフェリアは息を呑みかけた。
マルタ院長が聞いたという、あの名前。
リディアは静かに続けた。
「どうか、あの子を探すのをやめてくださいませ」
「……理由を伺っても?」
「あなたまで、消されてしまうからです」
初夏の風が、二人の間を吹き抜けた。
遠くで教会の鐘が鳴り、街路樹の葉がさらさらと音を立てる。
オルフェリアは、しばらくリディアを見つめていた。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……まあ」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「随分と物騒なお話ですこと」
リディアは何も答えなかった。
オルフェリアは扇を閉じた。
「けれど、残念ながら……」
彼女は一歩前へ進んだ。
「わたくし、脅されるのはあまり好きではございませんの」
リディアの青い瞳が、僅かに揺れた。
オルフェリアは優雅に微笑んだ。
「ですから、なおさら気になってしまいましたわ」
そして、彼女は静かに告げた。
「そのお話、もう少し詳しく伺わせていただけませんこと?」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
新たな登場人物も加わり、物語はますます複雑になっていきます。次回も楽しみにしていただけたら嬉しいです!
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