最終回 僕のプリンセスと君のプリンセス
♪アダージョ(現在)♪
「アダージョさん。死なないで。アダージョさん……」
遠くからポエットくんの声がする。僕は死んだはずじゃなかったのか?
まどろみに流されそうになるが、思い切ってまぶたを開いてみた。
そこには、心配そうに僕の顔をのぞき込むポエットくんと王宮兵士たち。
「私……生きてるの?」
うさ耳王子のポエットくんは、くしゃくしゃの笑顔になったかと思うと、顔がドアップになり、僕に口付け。
ちょっと手足をじたばたしてみせるが、舌が深くに差し込まれるにつれ脱力してしまう。
やだ。エッチ。僕の心を情熱的に奪いにかかってくる。
兵士たちは指笛を鳴らして冷やかしてくる。
『見せつけるんじゃないぞ。このバカップル!』
魔法チャットの音声が、僕たち……ううん、私たちがとてつもなく恥ずかしいことをしていることを知らせてくる。
そう。とうの昔に私の心はポエットくんのものだったのだ。彼は私の心に深く住み着いていた。キスはその最後の確認の儀式にすぎない。
竜族の女についての言い伝え。キスで相手にゾッコンになる。その意味を噛み締めながら、彼の欲望を唇で受け止めていた。
私ったらポエットくんのものになっちゃった。理性的な彼が思わず我慢できなくなって、手折りたくなる花になっちゃった。うふふ。もう男に戻らなくていいや。一生、女でいい。
「お二人さんよ! なかなか見せつけてくれるねぇ!」
さっきまで堤防が崩壊しかけていたのが嘘のように、晴れ間が差し込み、白い鳩が飛んでいた。
そして、光が差し込む隙間のホログラムにいぬ耳王子のグロウルの姿が大きく映し出される。
宝石や金、真珠などの宝物に囲まれていた。
「それは! 盗んだのかグロウル!」とポエットくん。
「どさくさに紛れて、マジカルプライベートネットワークから、ノアの会の連中が隠していたお宝を拝借してきたのよ。戦争ってやつは、庶民がいくら苦しもうが金持ちの懐にダメージ入らないうちはだらだらと続くもんさ。こんな暗号のかかったところに金持ちが資産を溜め放題の時代ならなおさらよ! だから、平和のためにちょっくら拝借したのよ。バチはあたらんだろ!」
「我が領土での盗みは許さん! 背景の景色からみて本棟3階だな! 捕まえてまいれ! 突撃だー!」
ソネット王は元気を取り戻していた。
「うおおおお!」
兵士たちが本棟に向かって駆けていく。
「んじゃあ、そろそろ逃げなきゃいけないようだ。ポエットさんよ。短い旅だったが楽しかったぜ」
「死ぬなよ。戦友……」と、軽口をポエットくんはグロウルくんに返す。
「ああ、それと、とびっきり上等の嫁さんはいただいていくぜ」
「!! アダージョさんは渡さないぞ」
「違うよ。もう一人、とびっきりの美人がいるだろ。ある意味、この物語の主役だぜ。じゃあな! あばよ!」
誰のことを言っているのだろう。もしかして……! もしかして……!
♪グロウル(現在)♪
とびきりの美人をお姫様抱っこして、俺は、青空を飛んでいた。耳だけゴールデンレトリバーモードにしてパタパタ羽ばたかせて。ここまでは、兵士もそう簡単には追ってこれまい。
美人は目を覚ます。
「お目覚めかな? プリンセス」
「お前は! アダージョと一緒に旅をしていた! プ、プリンセスって!」
アルトボイス、つまり女の声だ。
「やっぱりな。お前も本性は女、体も女体化していたと俺は睨んでいたのよ。今の今まで頭ん中が羞恥心でいっぱいになりながら、自分の性別を隠していたんだろ? アレグロさんよ」
そう。阿修羅の3つの心、怒り、悩み、悟り。そのうち、悟りはアダージョに切り出された。残りの2つはアレグロの中に残っている。
ソプラノ、アルト、テナーの声の中、ソプラノだけ、アダージョに切り出された。ってことは、アルトとテナーはアレグロの中に残っているってことになる。
つまり、内面の女性性は、アダージョを切り離しても、まだ、なお、アレグロの中にまだ残っていた。
本質的に心が女なんだよ。こいつは。怒れる男の仮面の下にある本性は悩める乙女だ。
「お前は、幼き日に同級生のカノンって女がスカートめくりされたのに対して嫉妬の炎を燃やしていた。それは、めくった男に対して嫉妬の炎を燃やしていたんじゃねぇ。男の子を夢中にするカノン対して嫉妬していたんだ。女の嫉妬は醜いねえ」
「なっ!?」と、アレグロは赤面する。かわいいやつだ。
「アダージョは、外見は好みだったが、性格は好みとちょっと違っていてな。気性の荒い、おてんば娘の方が俺のタイプだ。その、外見と中身の両方そろった女がここに居る」
「な、な、何をする気だ。キスするくらいなら舌を噛んでやるっ! 本気だからな!」
「今すぐ、俺に惚れさせようとは思わないさ。知り合ったばかりだったからな。段階を踏んで俺に惚れさせてみせる。キスは関係が仕上がった後だ。だいたい、無理して、本性を隠しながら、男のプライドなんかに縛られるから社会と軋轢を起こすんだ。本当の自分に素直になって俺の女になれ。悪いようにはしないぜ」
「バカ野郎! 恥ずかしいこと言うなっ!」
太陽はまぶしい。おっと、翔びうさぎ兵団が耳をばたつかせて異世界インド楽器のナーダスワラムを抱えて追ってきやがった。いいところなのによ。
俺は、耳をばたつかせて、速度をアップして、うさぎ王国からさっさとおさらばすることにした。
♪アダージョ(数年後)♪
驚いたことに、アレグロによる死人はゼロだった。アレグロが仮死状態になったときに、人形にされた者も死のプレリュードをかけられたものもすべて、呪いは解けたのだ。グリム童話のいばら姫にかけられた呪いのように。
セルパン、モデュラートは終身刑を言い渡された。あれだけ、世の中をかき乱したのだから当然だ。だが、法学者によると、今後、国事があったときに、恩赦が与えられ、有期刑に切り替わる可能性はあるという。セルパンさんは高齢だから、出られないかもしれないけど、それでも、看守には丁重にもてなされて、手記を出版しようと企んでいるようだ。
ノアの会やバベルの会の人たちは、隙を見て、うさぎ王国から逃げおおせたようだ。だが、一連の不祥事発覚と、世界各地の国家を乗っ取ろうとした動きは世界中に知れることになり、各国政府が鎮圧の大義名分を得て、正式にテロ組織として指定され、今日も飽くなき闘争を繰り広げている。
グロウルは音沙汰がなかったが、先日、写真が送られてきた。子どもたちとお馬さんごっこをしている微笑ましい家族写真だ。子どもたちの顔を見やると、僕とよく似ていた。僕と似ているということは、僕と遺伝子が限りなく近しい人物が産んだということになる。アレグロのやつ……。幸せな家庭を作っちゃって。
まあ、公式には2人ともお尋ね者だ。太陽の光に照らされた写真ではあるが、影のある暮らしをしているはずだ。とはいえ、そこまで真剣に見つけようとする者もいないのだろう。
いぬ王国は、ハウル王、つまりグロウルの弟を正統な後継者として立てようとしているらしい。無血革命の体裁を取り、革命軍に追われて撤退したバベルの会の後に新しい国を立てようとしているという。裏でグロウルが色々と政治工作してるんだろうな……。
時代は大きく動こうとしていた。学会から排除されがちだった楽器魔法の研究が進むようになった。産業にも本格的に取り込まれるようになった。少数民族や女性も実力さえあれば門戸が開かれるようになった。純正律の研究も進められるようになった。
「アダージョ様。ポエット様がお待ちしております」
「ありがとう。マサヒデ」
今日は結婚式。ソネット前王がお忍びで駆けつけてくれているので、メディア関係者には立ち入りさせていない。
前王は普段は山奥の村で暮らし、にんじん畑で野良仕事をしている。村人も正体をうすうす知りつつも、敬意を示し、詮索しないように心がけているという。
私には父親がいないので、マサヒデさんが付き添いをしてバージンロードを歩く。目の前には愛しの王子様が待っていた。
「綺麗だよ。アダージョ」
「まあっ。お上手ですこと」
私こそ男なのに女言葉が上手になった。男なのにベールをあげられ、男なのに素敵な旦那様、ポエットのキスを受け入れることを許している。
目を閉じると深い口付けがなされる。お腹の赤ちゃんが笑っているかもしれないな。
私は彼と共に生きることにした。身も心も女であることを受け入れて。




