第2話 僕はお姉ちゃん
♪アダージョ(10年前)♪
僕は男だ。なのに、少年は僕の顔を見てにっこり微笑むと「お姉ちゃん」と呼んだ。
僕の名前はアダージョ。アレグロという青年の体の中で暮らしている。アレグロが、苦悩の日々を過ごす中、人格の一部が乖離し、第二の人格として僕は生まれた。アレグロは男なので、僕の性別も、当然、男ということになる。
アレグロが起きている間の9割は、主人格のアレグロがこの体を操り、僕は、彼が悩んでいるときの相談相手となる。だけれど、たまに、彼が、持て余す状況になったとき、人格を僕にバトンタッチする。
アレグロは子どもが苦手だ。だから、子守りを押し付けられると僕にバトンタッチをする。その日も、魔法省の偉い人の遠い親戚にあたる6歳のポエットくんが職場を見学に来ているというので、職場案内をしていた。
事務室、開放研究室、食堂などなど、一般人が入っていいセキュリティのゆるい場所を中心に巡るとポエットくんは、小さなスキップしつつも素直についてくる。長耳をひくひくと震わせながら、異世界日本から輸入したライトブルーカラーのランドセルを背負い、短パンでぴょんぴょん飛び跳ねる。かわいいなあ。
ポエットくんは、亜人が暮らすうさぎ王国の第2王子だという。王位を継承する予定の第1王子なんかは、ボディーガードでがっちり固められているが、ポエットくんは比較的放任というかのびのびと育てられているとかで。
「ねえ。お姉ちゃん」
「あはは。僕はお兄ちゃんだよ。そんなに性別わかりにくい外見じゃないと思うんだけどな」
そんなツッコミに臆することなくポエットくんは目を輝かせる。
「なんかね。僕、夢を見るんだ」
「夢?」
「綺麗なお姉ちゃんと花園のそばにあるベンチで、大人の姿になった僕とキスするの。夢の中に出てくるお姉ちゃんとアレグロさんの雰囲気が似てるんだ。顔だけじゃなくオーラが」
つぶらでキラキラした瞳で僕を見つめてくる。僕はいい年した大人なのに、なんだか恥ずかしくてむず痒くて、それでいて温かい気持ちになる。
「僕、予知夢を見る能力があるんだ。だから、これも、きっと将来、叶う正夢なんだと思う」
「あはは」
少年の夢みがちな発言。笑って流すしかなかった。
ポエットくんは、僕のことが気に入ってくれたのか、たまに、顔を出すようになった。僕にとっても、ポエットくんと触れ合う日々は、癒やしになっていた。アレグロくんは、子ども嫌いなのかうんざりした声で邪険にしていたが。
僕の本人格のアレグロくんは、上司から熾烈なハラスメントを受けていた。怒鳴りつけられたり、無理な仕事量を与えられたり、矛盾した指示を与えられて板挟みになったり。それでも、耐えて頑張っていた。
もう一つの人格である僕も、心を痛めながら、そばで見ていた。
就寝前、心の中で、僕たち二人で会議をする。
『そこまで無理して出世しようとしなくていいんじゃないかな。無理したら、体、壊すだけだよ。今は、僕たちに逆風が吹いている時代なんだよ。クマだって冬の厳しい季節が来れば、冬眠する。健康にだけ気をつけて、仕事やめて英気を養えばいい』
『何を無責任な。20代のときに踏ん張ってキャリアの土台を固めないと、惨めな中年になり、孤独な老後を過ごすはめになるんだ。この国のキャリア形成は、空白期間を作らないこと、転職しないことが前提できている。魔法省で出世して、順調にキャリアを固めて、そして、故郷に錦を飾るんだ。そして、好きだった幼馴染みのドラコちゃんと結婚するんだ。それが、俺の人生設計だ』
僕の主人格は、真面目で頑固すぎる。このような退路を塞ぐような性格だからこそ、周囲の悪意のある人間もつけこんで負担を強いる。
『何て言うか、もっと、遊びがあった方がいいんじゃないかな。建築なんかでも遊びがあると地震に耐えられるというか、接合部同士がかっちり固まりすぎると、ポッキリ折れやすいって言うじゃない。なんていうか。一度、ドロップアウトしても大丈夫。やり直せるよ』
『君は、日々のプレッシャーに耐えている主人格じゃないからそんな無責任なこと言えるんだ! ああもう! 明日も早いんだから寝る! 話しかけないでくれ!』
いつも、こんな調子。頑張り屋の君は嫌いじゃない。でも、このままだと決定的な悲劇を招くのじゃないかな。なんて思ったりもする。
キャリア形成が正しくできないと結婚もできないし、女の子から足蹴にされる機会も増える。彼の抱えている闇は相当大きいだろうとは察する。でも、あまり自分の根性だけで乗り切ろうとせず、もう少し、世の中のせいにしてもいいのかもしれない。
こんな風に僕が考える余裕があるのは、きっと、たまに表に出る程度のサブの人格だからだ。彼のようにプレッシャーに常にさらされていると、同じように視野狭窄になるに違いない。
ある日、仕事で遠くの部署に段ボールを運ぶことになった。楽器が入っているらしい。普段は自分の力で仕事をしたがるアレグロも単純作業になると僕に主導権を譲って仮眠を取る。
建物の端から端へ歩くため、疲れる。
「Lala!」
魔法を唱えると、亜空間からトランペットを取り出す。楽器魔法を使えば、もっと楽に運べるはずだ。息を吹きこもうとすると、叱責が飛ぶ。
「こら! 建物の中で大きな音を鳴らすの禁止!」
「ごめんなさい」
そうだった。この建物は楽器魔法は使用禁止だった。使っていいのは声楽魔法だけ。トランペットは音が大きいから仕方ないとはいえ、でも、不平等感は否めない。
理由はわかっている。声楽魔法は太古の昔から、この世界で使われている。だが、楽器魔法は、普及しはじめてわずか数年の新参ものだ。マイノリティ種族、女性など、声楽中心の世界では、実力を発揮できなかった人々も、楽器魔法を使えば、エリートに負けず劣らずの魔法を扱える。エポックメイキングな発明と言っていい。保守的な権威の固まりである魔法省が敵対視するのは当然だ。
もちろん、それを表向きの態度に出せば、差別だと騒がれる。だから、音が大きいという理由で封じ込められている。トランペットを得意な楽器であるとして、楽器枠で入省したアレグロが心の闇を深めるのは無理からぬことだった。
とおりすがりの会議室のドアが開いていた。中から声が聞こえる。
「困った時代だねぇ」
「いやあ、まったくだ。新技術が生まれた過渡期というやつは、乗り越えるのが難しいよ」
気になる会話だったので、足を止め、聞き耳を立ててみる。顔は見えないが、年配の男の声だ。
「異世界日本の幕末って時代、知ってるかい? 長年の鎖国を続けた結果、産業革命を知らず、欧米より技術革新で、決定的に出遅れたことをむざむざと見せつけられ、取り戻す決意を固める時代。若い人たちは危機感を持ってたけど、年長者が保守的なこともあって、世代間で血を流す争いが起きた。近年でも、IT技術を使いこなしはじめた世代は、相当冷遇されたと聞くよ」
「まあ、歴史を俯瞰して眺めれば、新しい叡智をもたらす技術は、長い目でみれば、幸せと平等、民主主義をもたらすだろう。だが、過渡期は難しい。楽器魔法のように新たな情報をもたらす道具は特に。使い道に慣れない人々に、思想の空白をもたらし、流言が信じられやすくなる。異世界でも、活版印刷の発明は情報の大衆化をもたらしたが、普及初期には、魔女狩りを誘発し、数多くの死者をもたらしたし、ラジオ、つまりマスメディアも普及期には、独裁政権を生み出し、戦争と差別をもたらした。インターネットメディアというものも、オタクが使うガジェットという位置付けから脱却し、広く使われることになった段階においては……」
「まあ、どれもこれも、特定の誰かが悪いわけじゃないさ。こういった新技術は、まず、若い人が飛びつく。そうなると、人生経験と哲学がない若い人の言ってることの方が、正しいことが増える。すると、年長者の権威に翳りが見える。そうなると、若い人にとっても、決していいことばかりでない。年長者から、可愛がってもらうか、あるいは、受け継げるものも受け継げなくなっていく。不幸な構造が出来上がる。本当にモラルが高くて能力も高いリーダーシップの持ち主を次世代のホープとして育てられなくなる。人材の選択肢が狭まり、おかしな人材を起用して腐敗する組織が増える」
「楽器魔法を使いこなす今の若者たちも、きっと苦労するだろうね。そして、それを見守る我々も」
「アレグロくんって知ってるかね?」
自分の主人格の名前が出たので唾をごくりと飲む。
「ああ、セルパン長老に恥をかかせた」
記憶の糸をたどる。
オペラ劇場、新人歓迎のセレモニーでテナーの美声を奏でる長老。歌うは歌劇アイーダの凱旋行進曲の一節。拍手喝采で会場が包まれる。意気揚々と退場する長老。
その次に、新人代表として登壇したのが、我が主人格、アレグロ。打ち合わせの予定では、美声でラダメスのアリア、つまり、権威に対して忠誠を誓う曲を歌うはずだった。
だが、登壇したアレグロは、トランペットを取り出し、長老に被せる形で凱旋行進曲のソロパートを演奏しはじめたのだ。あっけに取られる会場。そして、演奏が終わった後の拍手喝采。
時代は変わった。我々が次の時代を作るという意思をこめたかのような演奏だった。セルパン長老は歯軋りをしていたのは言うまでもない。
「あんなことしちゃダメだったよ。繊細な時代なのに。これから先、健全な世代交代が実現できなくなる」
『おい。長時間立ち止まりすぎだぞ。行かなくていいのか』
主人格アレグロが目を覚ました。言われてみれば、少し長居をしすぎたかもしれない。
歩きながら、上司、ショパンさんから、飲みの席で言われたことを思い出す。
「アレグロくん。君の名前、学生時代の悪友と同じで、ちょっと戸惑うんだよな。自由人なあいつと違って、君、生真面目だからギャップが心理的に受け入れにくい」
なんて軽く笑った後、真剣な眼差しに変わる。
「まあ、それはそれとして、君、もう少し、我を抑えた方がいいよ。なんていうかさ。魅せるにしても、トランペットだけじゃなくて、声楽もちゃんと優秀なんだから、バランスよくアピールした方がいい。次の時代は、君たち楽器魔法の使い手が切り開くだろうが、今は忍耐の時代なんだ。楽器第一世代の君たちは、長老たちに認められるまでの間に数多くの苦難が待ち受けている。決して、期待しているようには出世できないだろう。だからこそ、君たちがきちんと古い権威をリスペクトして、メンツ立てた上で出世コースに乗り、次の第二世代が、正式に時代を切り開かせるんだ。次の時代の礎になってほしいんだ。だからこそ、年長者と対立してはいけない。君だけじゃなく、第二世代も苦しめることになる」
主人格アレグロは、その話をその場はふんふんと聞き流しつつ、真剣に受け止めていなかった。でも、上司の言うことは、僕にはよくわかった。
指定された倉庫に着くと、段ボールを下に置く。なんだろうな? この中身。楽器かと思っていたけれど、中身がボールのようにゴロゴロと転がる。転がるようなもの、プチプチで舗装するか、ガムテープで固定すればいいのになんて思ったりする。
すると、段ボールが光を放つ。事前に魔法がかけられているのだろうか、自動的に封が開く。
中にあったものは人間の生首。カッと見開かれたまま死後硬直していた。
見覚えのある顔。僕と同じ楽器枠で入省した女性新人セレナーデ。これからは、女が時代を切り開くと息巻いていた。
うそだ。うそだろ?
人の気配がした。普段、人が出入りするはずがない倉庫の出入り口なのに。
「きゃーっ! ひとごろしー。みんな来てー」
長老セルパンから、寵愛を受けていた、下世話な噂では愛人とすら、噂されていたゾフィさんがそこにいた。
そして、不自然に人がわらわらと集まってくる。偶然にしては、よくできた話だ。
まるで、目撃者になるためかのように不自然に倉庫近くでゴミ拾いボランティア集団が配置されていたような。
僕でもあり、運命共同体でもあるアレグロは、逮捕、収監され、無期懲役系を課せられたのだった。




