渡す者
俺は、寝台の足元から、視線を廊下の方角へ移した。
レナの手が、毛布の縁の動いた位置から、ゆっくり、離れる。
二人で、部屋の出口へ歩いた。
ハルトの背中の輪郭は、装置の制御部の形と一体のままだった。
* * *
鉄の扉の取っ手に、手をかける。
扉が、閉まった。
部屋の中の物理は、止まったままの位置で、扉の内側に閉じ込められた。
廊下の空気の重さが、扉の手前で、一段、薄くなった。
* * *
ダリオが、廊下の鉄の扉の手前の位置で立ったままだった。
視線は、廊下の奥の搬入口の方角に向いていた。
俺とレナが廊下を進むと、ダリオが半歩、視線を動かした。
三人で、廊下の奥へ歩いた。
* * *
廊下の奥に、階段があった。
階段を上る足音が、三人分。低い。
湿気と古い金属の匂いが、一段ずつ、薄くなる。
階段の上の方から、朝の光が、一段ずつ、強くなった。
* * *
搬入口の木の扉が、開いた。
朝の光が、顔に当たる。
雪のない街路に出た。街の縁の方角の建物を、背にした位置だった。
空の縁は、まだ白い。
* * *
三人で、街路を歩いた。
先頭の足音だけが、半歩ぶん前に落ちる。
街路の遠くから、人の声は、まだ薄い。
朝の光は、街路の壁に、低い角度で当たっていた。
* * *
俺は、街路の途中で、足を止めた。
胸の内ポケットに、片手を入れる。
指の腹が、紙の重なりに触れた。五枚の縁の感触が、布越しに、指の腹に伝わる。
指の腹で、一枚ずつ、縁を確かめた。
一枚を、指の間に挟む。他の四枚は、内ポケットの中で動かない。
その一枚を、内ポケットの外へ引き抜いた。
* * *
俺は、街路の別の角に視線を移した。
壁の低い位置の角だった。壁の高さは、膝より少し下。
ゼノの斥候印が残った位置とは、別の角だった。
角の地面の雪解け跡の濡れた色は、もう、乾きかけているように見えた。
* * *
俺は、街路の角の地面に、しゃがんだ。
一枚を、地面に置く。
紙の縁が、地面に触れる。
紙の表面が、上を向く位置で、止まった。
俺は、紙の縁を、もう触らなかった。
* * *
俺は、立ち上がる。
街路の角を、離れた。
レナが、半歩、後ろから続いた。
ダリオは、街路の中ほどで、視線を俺の方角に向けていた。
俺は、ダリオの位置まで歩いた。
* * *
街路の別の角の壁の低い位置に、靴の踵で残した記号が、一つ、あった。
高さも、踵の角度も、ゼノの印から半歩だけずれている。
歩幅だけが、もっと短い。
* * *
ダリオが、視線を、街路の遠くの方角に向けた。
「もう、動いてる」
短く、それだけ。
俺は、答えなかった。だが、一歩、街路の遠くの方角に進んだ。
* * *
街路の遠くで、足音が、一つ、立った。
俺は、振り返らない。
レナも、振り返らない。
ダリオの視線は、街路の遠くの方角にあったまま。
足音は、街路の角の方角で、止まる。
紙の縁が、地面から、離れる物理音が、一度、薄く立ったように聞こえた。
足音は、また、街路の遠くの方角に、続いていった。
* * *
街路の角に置いた一枚は、もう、地面になかった。
街路の壁の朝の光が、角の地面の濡れた跡の上に、薄く落ちている。
三人の足音は、街路の地面で、続いていた。
街路の遠くの方角に、別の足音が、続いている。
俺の胸の内ポケットの紙は、四枚に戻っていた。




