第16話 再会の約束
セレナと別れてから、二週間が過ぎた。
朝の訓練で火球を作るときも、夕方に庭を歩くときも、アルヴィンの意識はふとあの日へ戻る。手の中で灯ったやわらかな光と、同い年の少女の落ち着いた声。前世では持てなかった「また会いたい」という感情が、毎日同じ場所で胸の奥を叩いた。
訓練の合間に光属性を試してみたこともあった。だが指先が温かくなるだけで、あの灯りの質感にはほど遠い。感覚が掴めないまま、あの日の白い光を繰り返し思い返した。日を重ねるほど、その感覚は薄れるどころか固まっていく。
ある夜、部屋の明かりを落として一人で試した。暗い方が余分な色が消えると思ったからだ。
目を閉じ、あの光の温度だけを辿る。温かいというより、やわらかい。熱を持つのではなく、そこにあるだけで周りが変わる。そう切り替えた瞬間、指先の縁がほんの一瞬だけ白くなったが、直ぐに消えてしまった。だが消える前の一瞬、あの日の灯りと同じ手触りがあった。
翌朝もその感覚を引きずって訓練に入ったが、同じことは再現できなかった。それでも、届く場所がどこかは分かった気がしていた。
会えないまま終わるかもしれない。そう考えた日の朝、エリザベスが微笑んだ。
「アルヴィン、良い知らせがあるわ。セレナちゃんが、また来てくださるの」
「本当ですか?」
「ええ。アンナ様ともお付き合いが深まって、これから定期的に訪問してくださることになったの」
言葉を聞いた瞬間、体が先に動いた。拳を小さく握り、喉まで出かかった歓声を飲み込む。
「……ありがとうございます、お母様」
「そんなに嬉しいのね」
「はい」
返事は短かったが、顔の熱だけは隠しようがなかった。
その日の午後、エルデンベルク家の馬車が王宮の正門をくぐった。
石畳に車輪が跳ねる音が近づくにつれ、アルヴィンの鼓動も速くなる。玄関ホールの柱の脇に立ち、轍の音が石の目を刻むたびに、背中がじわりと熱くなった。馬車の扉が開き、淡い金髪が陽光にほどけた。
「アルヴィン様」
「セレナ」
互いに同時に名を呼んで、少しだけ笑う。前回のようなぎこちなさは薄れ、最初の一歩から距離が近い。
大人たちは西翼の応接室へ向かい、子どもたちは南庭園を任された。石畳を抜けるとすぐ、土の湿った匂いと春の花の甘さが混ざった空気に包まれる。噴水の音が一定のリズムで響き、花壇には春の色が重なっている。前回と同じ庭なのに、横に並ぶ相手がいるだけで空気の感触が違った。
並んで歩き出した直後は、どちらも言葉を探していた。沈黙が気まずいわけではないが、前回より近い距離で話す分、最初の一文に慎重になる。
先に口を開いたのはセレナだった。
「このあいだ教えていただいた魔力の整え方、毎日やってみました」
「本当ですか。どうでした?」
「最初は途中で魔力が散ってしまいましたけれど、いまは前よりも少しだけ長く保てるようになりました」
報告の仕方が丁寧で、努力の跡がそのまま伝わる。アルヴィンは嬉しさと同時に、軽い焦りも覚えた。自分も次に見せるべき成長を持っていなければならない、と。
「前回は、あまりお話しできませんでしたからね」
「今日は時間があります。ゆっくり歩きましょう」
「はい。ぼくも、そのつもりでした」
並んで歩く足取りが自然にそろう。アルヴィンはそれだけで胸が温かくなるのを感じた。前世で同僚と肩を並べた記憶はあっても、同年代の相手と理由もなく笑い合う時間はなかった。今の自分にあるものが、かつての自分に何年かかっても届かなかったものだと思うと、胸の奥が少し重くなった。
花壇を抜けた先の開けた芝生で、セレナが少し遠慮がちに尋ねる。
「アルヴィン様。もしよろしければ、魔法を見せていただけますか」
「もちろんです。まずは火属性から」
掌に魔力を集めると、空気がわずかに熱を帯びた。拳ほどの炎が揺れ、次に冷たい流れへ切り替えると透明な水球が浮かぶ。最後に風を巻けば、芝をなでる小さな渦が生まれ、セレナの髪先をそっと揺らした。
アルヴィンは続けて、三属性を一つずつ短く制御してみせる。炎は大きくせず温度だけを上げ、水は散らさずに球形を保ち、風は噴水の飛沫だけを横へ流した。派手さより安定を選んだ動きだった。
「すごい……。火も水も風も、切り替えがとても滑らかです」
「前より安定してきました。セレナにも見てもらいたかったので」
「私も、見ていただきたい魔法があります」
セレナは両手を重ね、呼吸を整えてから右手を開いた。ひと呼吸の静けさがあって、そこから白くやわらかな光が指先に灯る。前回よりも明るく、長く留まった。噴水の飛沫がその光を受けて淡く輝き、眩しさではなく温度として伝わってくる光だった。
「すごい……」
アルヴィンが漏らすと、セレナは少し照れて笑った。
「まだ小さいですけれど、この二週間で少し保てる時間が伸びました。形も、丸だけではなく星に近づけられるようになって」
「二週間でそこまで出来るようになるとは、かなり練習しましたね」
「はい。次にお会いした時に、前より成長していたかったんです」
その言葉は、アルヴィンの胸を真っ直ぐ射抜いた。相手も同じ時間を、この再会のために使っていたのだと分かる。
前世で誰かが自分のために時間を使ってくれた経験はほとんどなかった。山田が相談に来ることはあったが、それはアルヴィンのための時間ではなかった。セレナが今日のために練習していたという事実は、それとは質が違う。誰かに「また会いたい」と思われていた、という初めての感触だった。
光はやがて細くなり、糸のように揺れて消えた。セレナは呼吸を整えてから、少し照れた顔で言う。
「まだ維持が安定しません。緊張すると、すぐ弱くなってしまって」
「今の段階でここまで出せるなら、十分すごいです。ぼくは光を出そうとしても、暖かくなるだけで終わることが多いので」
「アルヴィン様でも、ですか」
「ええ。なので、教えてください」
「セレナは、どうして光魔法をそこまで磨こうと思ったんですか」
「人を癒せるからです。痛い人や苦しい人を、少しでも楽にしたいんです」
答えは迷いなく、声は静かだった。願いが大きいほど言葉は短くなるのだと、アルヴィンは思った。
「……ぼくも、その魔法を理解したいです」
「本当ですか?」
「はい。次に会うまでに、光属性を使えるようになります」
「では、一緒に練習しましょう」
そのあと二人は芝生に座り、互いの感覚を言葉にしながら魔力操作を試した。アルヴィンは光を出そうとして何度も失敗し、指先に温度だけが残る。セレナは焦らせず、呼吸の取り方と意識の置き方をひとつずつ示した。
最初の試みで、掌は熱を持つだけだった。次の試みでも温度が先走り、光の質感が出てこない。
「いま、速くしようとして強くなりすぎています。早く灯そうとすると、逆に遠くなる感じです」
「速さを捨てる、ですね」
「はい。遅くても、形を崩さない方がいいと思います」
今度は意識して、魔力の流れを細くした。温度が引いて、代わりに指先がほんのり白くなる。発動には届かなかったが、前の試みより確かに近かった。
四歳同士とは思えないやり取りだったが、二人にとっては自然だった。互いに分かる言葉を探し、相手の感覚へ寄せることに集中している。
今度はアルヴィンが、水の基礎制御を挟む提案をした。光だけを連続で回すと集中が切れると判断したからだ。
「少しだけ水を挟みませんか。流れの制御が上手くなると、光の維持にも役立つかもしれない」
「やってみます」
セレナが掌に魔力を集めると、小指の先ほどの水滴がふわりと浮いた。すぐ崩れたが、二度目は数秒、三度目はさらに長く残る。
「できました……!」
「今の切り替え、良かったです。力みが減ってました」
成功のたびに二人の声色が明るくなる。失敗しても、その失敗を次の試みへつなげられるから空気が重くならない。
「光は、押し出すというより、灯す感じです。春の日差しみたいに」
「灯す……」
再現しようとすると、ほんの一瞬だけ掌の縁が白くきらめいて消えた。発動と呼べるほどではない。それでも手応えとしては十分だった。
「今、少し出ました!」
「見えました。次はもっとはっきり出せるように試してみます」
失敗を共有できること自体が、前世にはなかった贈り物だった。
「もう一度」
「……はい」
五度目、六度目。アルヴィンは速くしようとする癖を自覚しながら、それでも抑えきれない時が半分あった。
「アルヴィン様は、一回ずつ丁寧ですね」
「そうですか?もしかしたら失敗した理由を探したい、という気持ちが強いのかもしれませんね」
「それは素晴らしい事だと思います。わたしは最初、上手くいった時の形だけ真似しようとして、全然できなくて...」
「形より感触の方が、続けやすいですよね」
前世では実験結果の記録より感触の記録の方が実用的だと気づくのに時間がかかった。今はもう分かっている。だが分かっていることと、体が覚えることの間には、いつも隔たりが残る。
セレナはもう一度、手のひらに光を灯した。今度は見せるためではなく、アルヴィンが参照できるように。距離を詰めて、二人の掌が並ぶ。白い光と、光を出そうとして熱くなるだけの掌が、並んで芝生の上に向けられた。
「感触の違い、分かりますか」
「……分かります。セレナのは広がるけど、ぼくのは固まってしまう」
「広がらなくていいんです。まず、ほんの少しだけ白くなれば」
その言葉を受けて、アルヴィンは固める代わりに、ただ開いた。力を向けるより手放す方が近い。そう気づいた瞬間、指先の温度が引いて、代わりに薄い光の膜が一秒だけ走った。
「今出ました!」
「見えましたか」
「はい。次はもう少し長く」
そのあとも短い試行を重ね、二人は次に会うまでの課題だけを決めた。アルヴィンは光の基礎操作を続けること。セレナは光の維持時間を伸ばしながら、水の制御を補助として取り入れること。
「次に会った時、結果を比べましょう」
「はい。望むところです!」
「私もです」
やがて影が長くなり、帰りの時刻が来る。
玄関前でセレナが振り返る。夕日の縁取りの中で、その表情だけがはっきり見えた。橙色の光が金髪に溶け込み、緑の瞳がわずかに潤んで見えた。
「アルヴィン様。今日は本当に楽しかったです」
「ぼくもです。次に会う時、一緒に光魔法を使いましょう」
「……約束、ですね」
「はい、約束です」
二人は小指を絡めた。短い仕草だったが、アルヴィンには誓約に等しい重さがあった。
指を離す直前、セレナが小さく言い足す。
「学院の約束も、今日の約束も、どちらも忘れません」
「ぼくも忘れません。二つとも守ります」
馬車が門の向こうへ消えるまで見送っていると、隣に立ったエリザベスが柔らかく言う。
「良いお友達ね」
「はい。セレナといると、魔法の練習が楽しくてもっと好きになります」
「それは素敵なことだわ」
アルヴィンは頷き、夕空を見上げた。正門の向こうで空の色が橙から薄い群青へ変わっていく。馬車が運んでいった声が、まだ玄関の空気に残っている気がした。
回廊を戻りながら、アルヴィンは掌の感触を確かめた。白く走った一瞬は短かったが、ただの憧れではなく、次に掴むべきものとして残っている。
その途中で、エリザベスが歩調を合わせた。窓の外では、見送りを終えた衛兵が門を閉じる低い音がする。
「アンナ様とは、次も時期を調整してくださるそうよ。今日みたいな形で、これから少しずつ増えると思うわ」
「本当に、定期的に……」
「ええ。急に毎週とはいかないけれど、途切れないようにしましょうって」
その言葉に、アルヴィンは小さく頷いた。偶然ではなく、次がある。
「お母様。しばらく光の訓練時間を増やしたいです」
「どんなふうに?」
「火水風の維持は続けます。でも、光だけは毎日触れないと感覚が逃げる気がして」
エリザベスは息子の横顔を見て、穏やかに頷いた。
「いい判断ね。無理をしすぎないなら、私は賛成よ」
「はい。次に会う時までに、ちゃんと形にします」
就寝前、アルヴィンは消えた光の跡を追うように掌を開いた。今日見た白さは、まだ一瞬しか留まらない。それでも行き先ははっきりしていた。




