第35話
次の休日のランチタイム後に、神白の珈琲試飲会を開いた。
ジイサンの家にあった古いコーヒーミルとドリッパー、ポット等の一式を使って、調理場の端で神白が珈琲を淹れてる。
珈琲豆は神白が行きつけの店で買ってきた。後で店の経費から落とすつもりだ。
豆の粗さや湯の温度なんかの細かいことまで気にして、慎重に作業する神白。
出来上がった珈琲を一口飲んだんだけど――正直ここまで違うのかと驚いた。
(市販のドリップと全然違う……)
香り高さも段違いだ。
「どうでしょうか……?」
ちょっと自信なげに言うのが憎たらしく見えるくらい――完璧だった。
ここまでの味を出しといて、する表情じゃないから。
「うん! めっちゃくちゃ美味しいです!」
アラタが真っ先に感想を言う。
「……美味い」
次に石島。
「香り高いな……」
赤羽さん。
最後に、皆の目線が俺に向く。重島さんはまだ出勤してないから、また後日振る舞うらしい。
「……いいんじゃないの? アラタがやり方覚えたら、メニューに加えても」
「ええ〜!? 僕、出来ますかね!?」
「オマエがやらなきゃメニュー化出来ないだろ。コイツは休日しか来ないんだから」
俺が言うと、神白がアラタに爽やかな笑顔を向ける。
「大丈夫ですよ。新さんにもすぐ出来るようになります。メニュー化するの、責任重大ですけど、素直に嬉しいです!」
そしてこちらにも向けられる笑顔。
それを顔の角度を変えて躱す。
(ほんと、調子狂うコイツ……)
神白の仕事ぶりを認めながらも、どっかでケチをつけたくなる。
でも、分かってる。
ここ数日で、店の評判はさらに上がった。
それはコイツの功績だと、認めざるを得ない。
「リョウ、焦ってるだろ」
平日の夜中。
片付けをしてる最中に、重島さんがニヤニヤしながら近付いてきた。
「……は? どういう意味ですか?」
重島さんが何を言いたいのか分かっていながら、とぼけた。ちょっとイライラしながら。
「神白が、あんまりにもデキる男だから」
「……それで、なんで俺が焦るんですか?」
重島さんは、みなまで言わないとばかりに、よいしょとカウンター席に腰掛けて、テーブルを背に両肘を置いて横柄な態度で俺を見る。
「なぁ、リョウ。この前話したろ? お前はラガヴーリンだ。ラガヴーリンは確かに強い。一方の神白は――グレンフィディック18年ってとこだな」
「……飲んだことないですね」
素っ気なく答える。重島さんは、俺の態度にも構わず話を続ける。
「グレンフィディック18年はな、一見飲みやすそうに見えるんだが、実はかなり敷居が高い。品格と知性を兼ね備えた格式高い酒だ。神白は、まさにそんな感じだな」
俺は重島さんから目を逸らして、テーブルを拭く。
たぶん重島さんは、俺が完全にペースを崩すのを今か今かと待ってるんだ。だからここぞとばかりに揺さぶってくる。マジで性格悪。
「……それが何なんですか?」
だから、余計に素っ気なく答えたくなる。
「神白は、恋のライバルとしてはこれ以上ないほど嫌~な相手ってことだ。お前じゃなくてもな」
ハッと苦し紛れに声が漏れた。
これが、今の俺の精一杯の反撃。
「……別に、ライバルとは思ってないんですけど」
重島さんには全部見抜かれてると分かってても、態度だけは絶対に崩したくなかった。
重島さんには人生の教訓があるんだろうけど、俺の人生には関係ない。
それを押し付けられようと、俺は変わらない。
そんな生半可な気持ちで、ルカから離れたわけじゃない。
神白がどんな人間でも、ルカの彼氏でも、それにどんなに嫉妬しても――俺はルカを選ばない。
重島さんは知らない。
今でも、俺がサヤカの亡霊に悩まされてること。
俺の人生に、光なんてないこと。
だから無責任に、けしかけないで欲しい。
もう、発狂しそうなくらいに――頭の中がぐちゃぐちゃだ。
――その時。
石島が調理場から出てきた。
「リョウキ。ちょっといいか?」
その場を離れる口実が出来て、俺はやっと息を吸えた。
重島さんは、何も言わずに俺たちを見送った。
――店の裏の路地。
夜中の空気は思った以上に澄んでいて、呼吸がしやすかった。
「……何?」
「……いや。何もねぇ」
それだけで分かった。
石島が、空気を読んで外に連れ出してくれたこと。
石島は店の外壁を背に、タバコを咥えて火をつける。
「舌がバカになっちまうけど、これだけはやめられねぇ」
あっという間に一本吸い切って、次のタバコを胸ポケットから出す。
「逃げ場がないと、やってられねぇ」
煙と共に吐かれる言葉に、俺はその場でヤンキー座りをして、ハァと溜息混じりに頭を掻く。
「……そーだな」
「俺たちの気持ちは、俺たちにしか分かんねぇよ。他人にそれを期待すんな」
「分かってるよ」
余計な言葉はなくても、俺たちは一本の糸で繋がってる。
石島も、サヤカも――。
そこから抜け出すことは出来ないし、救いもない。
それでも、それが俺たちだと認め合ってる。
タバコの香りのする生ぬるい風を受けながら――俺は束の間の安息を満喫した。




