第111部分 客観テストに物申す③…偏差値というもの
第111部分 客観テストに物申す③…偏差値というもの
前回の投稿には、投稿後に書き足した部分がある。
『部分点にはそれなりの意味がある。考え方の過程や思考や着眼点のヒントが隠れていて、それを解明して直していくのが次の進歩の手掛かりなんだよ。
そう、答えが間違っていたからと言って、そこには価値が無いっていう意味じゃないんだよ。』
なんと一番書きたかったことを書き忘れて投稿してしまった… アホや(すでに追加済み)
で、今回はさらにその続編として私の思想を述べて行こうと思う。
高校卒業は勉強人生の終末ではない。
むしろ大学での自学自習人生のスタートである。受験生活が終わって「オレ勝ち組決定」とか「いよいよ玉の輿ゲット」とか考える輩がものすごーく多いようだが、それでは大学生活がもったいなさすぎる。
しかし若者をそういう考え方に仕向けた主因は、他ならぬ現在までの受験制度なのである。無論帝国大学から始まり1期校2期校、共通一次、大学入試センター試験、共通テストといった諸制度を含む。
『偏差値偏重』とか『偏差値の独り歩き』とかいう批判が行われて久しいが、未だに改まった様子は見られない。たしかに便利だから私自身も利用したし、大いにお世話になった。自身の感想としては『偏差値は悪くないしおおいに使うべきであるが、正しく認識されていないのが間違いのモトなのだ』という一言に尽きる。
まず偏差値を語るうえで重要なことを忘れているニンゲンが多すぎることだ。
重要なことの1つめ、それは母集団を構成する対象者が充分多く、できれば総員であることが望ましいことだ。
そもそも偏差値とは確率的な存在割合とか分散の可能性を示す指標であって、いわば平均からの離れ具合を「標準偏差」に当てはめて数値化したものだ。単なる自然の分散をモデルにしたものだから、中央値(平均点)付近に多くが集中することになり、逆に中央値から離れたあたりに分布する可能性は離れるほど、より極端に少なくなってゆく。
まあ実際の数値やグラフで示したほうがわかりやすいだろうなぁ…
偏差値 分布確率 1000人中の理論順位(付近)
80 0.13% 1位
75 0.62% 6位
70 2.28% 22位
65 6.68% 66位
60 15.87% 158位
55 30.85% 301位
50 50.00% 500位
45 30.85% 691位
40 15.87% 841位
35 6.68% 933位
30 2.28% 976位
25 0.62% 999位
20 0.13% 1000位
例えば母集団1000人の平均点が9点なのに、ボクの得点が95点だった…とか、そういう極端な例では偏差値が100を超えることも有り得るが、それは偏差値とか計算方法が悪いのではなく、テストのレベルとか受験生の質とか教員の資質とか、そういう「正規分布」に成りえなかった周囲の諸条件が適していなかったことが原因であるだろう。
この理論値は、あくまで何の作為もない自然に起こりうる正規分布モデルであり、理想的に中央が厚く、離れる程加速度的に薄い分布になってゆく。これをグラフに表すと、形の良いロケット型のOPPAIが無重力状態で横に突き出ているような形を描くのである。もちろん垂れていなければ乳首が中央値に位置することになり、それはそれで魅力的であるが…
あ、ヒトコブラクダのコブの形とかで例える方が適切かな?
よく生徒の目標として、もしくは指導目標として
「偏差値を10上げれば…」
みたいなコメントがあるけど、上の表を見ればそれがいかに軽率な考えであるかがわかるのではないか。
数字の刻み目が等間隔とかかけ離れていて… しかも中心から離れるほど極端に寄っていくのである。
それでも平均付近なら、例えば偏差値45を55まで上げることはさほどに難事ではない。上の表ではざっと400人程を追い抜くことになるが、競争相手は平々凡々の集団が団子状態を成しているからで、普段何もしてなかったヤツならちょっと打ち込めば割と点数も順位も上がるものだ。
ところが55から65まで上げる、つまり優秀者240人ほどを追い抜くことは生半なことではない。65から75までとなると、もはや不可能に近いことはおわかりだと思う。すでにリードされている競争相手に対して、さらに実力を上げて追い抜かなければならないのだから、あたりまえといえばあたりまえの話なのだが、語る本人はそれに気付いていないのだ。
そう、これは「走者目線のマラソンレース」と相似しているのだ。
それでも私文型なら素質とヤル気と動機そして勉強の方法次第でどうにかならないワケでもない。今まで真剣に取り組んでこなかったニンゲンがその気で打ち込めば活路を見出すこともできる【かも】知れない。地歴公民(社会)は覚えればどうにかなるし、語学なんてものは、その国民ならみんな使いこなしてる…いわば慣れとパターンなのだから。
いかに『早慶』だろうが『関関同立』だろうが『大東亜帝国』だろうが、『G-MARCH』だろうが… たしかに見てくれの偏差値は高いが、所詮私立文系は基本3教科だけなのである。あ、『 』内は大東文化東洋亜細亜帝京国学院および学習院明治青山立教中央法政の各大学を指しているおり、どこの誰がおもいついたか知らないが実によくできた語呂合わせであると感心してしまう。あ、御想像のとおり、Gは後年に追加されたものww まあ皇族とも縁が深いしね。 だれっ? ゴッキーとか呟いたのは…
では私立理系ならばどうか。理系も基本的に英数理の3教科で、いわば偏差値の高さは3教科に絞った結果とみて差し支えはない。元々の志望は就職に強いと言われる理系学部であったとしても、なんやかんや「数学」という難敵に負けて結局文系に転身せざるを得ないケースが非常に多いのである。特に、なぜか、女子、かな。
その昔、私は数学が苦手だった。まあ高校1年の終わりに突然、田舎の高校から県庁所在地の進学校への突然の転校を余儀なくされたことも大きいが… だって進度も深度も違ったし結局三角関数なんかは自学自習せざるを得なかったし… それにしても得意とは到底言えなかったよ、キライじゃないんだけどさ。
高校3年の春から「例題とその答を理屈を考えながらノートに転記する」という非常に地道な最低レベル…というか、海抜ゼロメートルから自学自習をやり直し始め、半年くらい経ってから時々正解できるようになり、受験のころには問題を見るとパパっと解法が閃くようになり… 結果「ちゃんとルールを守って解けば答えに行きつく」ことが実感できた…という経験を持っている。
数学のできるできないは、この『閃く』という才能を持つ人と持たない人の差ではないかという仮説を持っているが、どんなものだろうか。後年の自身の職業体験から推して、文系を初めから積極的に目指した生徒はさほど多かった印象はない。女子に限らず、その多くは『数学が得意ではないから』文系に進んだケースが多い感触の方が多かった。彼らは一様に
『良いんです、数学は捨てました』
という、いかにも前向きなセリフを吐いたが、有り様は
『数学に追いつけなかったから諦めた』のが実情なんじゃないかと思う。
理科はそこまで差別的ではない。特に生物は文系科目の特性と類似しているので間口が広く受け入れやすいし途中まで成績もそれなりに上がるけれど、その先を突き詰めて商売になるほどの専門的得意科目にしようとすると理屈だけでなく数学と同様の「センス」というか「閃き」というか「教養や原体験」も必要になってくる。物理は答えの数歩手前こそほぼ数学だが、それ以前に理屈を自身で組み立てて解く必要があるだけに難易度が高いと感じるヒトが多い。生物暗記、物理計算、化学はその間…と言われるのもあながち間違いではないが、それだけでは高得点を望めない科目たちなのだ。
あ、ちゃんと告白しておきます。サティは当時赤点いただくほど数学が不得意だったので、物理もさほど得点は獲れませんでした。でもどっちもキライじゃないんだよ、うん。
個人的な事情で言うなら、私は社会国語理科がまずまずで英語はさほどでもなく、数学はキライじゃないけど成績は振るわなかった感じだったな。
田舎高校だったときの「地理」なんか、教員と私の会話でほぼ授業が進んでゆくという… 今の自分から見てもぶっ飛んだ授業で、あれでよく周囲から批判を受けなかったもんだわ… 成績は常に10だったけど、そのかわり私一人だけに毎回の配布プリントについての予習が課されてたっけ。
県庁所在地の進学校に転校してさ、もう精神的に壊れそうになったときでも、なんとか精神を支えてくれたのは理科と国語だった。特に古典は高校1年生で個人的に好きで「文法」を自習していたのが大きかったかな。素のままで進学校でも通用したっていう自信には本当に救われたっけ。
そんなワケで…御覧のとおり文系教科優位だったから、たしかに当初だけは文系志望を表明したけど、担任からの念押しもあり、結局不利な数学のハンディを覚悟したうえで好奇心を刺激され続けていた「理系」を選択した。その代償に数学克服に費やした労力は並み大抵のものではなかったけど… 思い返してみると我ながら涙ぐましいわ。
急に思い出したけど、そういえばいつだったか『ビリギャル』というのが流行ったけな。なんかビリだったギャルからどこか有名大学に奇跡的に合格したサクセスストーリーとか聞いた気がするけど… ←まんまやんけ
流行当時はまったく関心がなかったので改めて今あらすじを検索してみた。なになに、
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げてKO大学に現役合格した話』を有村架純主演で映画化。東西南北も知らず、地球が丸いことさえも知らない成績学年ビリ、金髪ギャルのさやかが、ひとりの教師と出会い、“KO大学合格“という無謀とも言える目標に挑戦する姿を描く』とのことで…
でもちょっと待って… 『東西南北も知らず、地球が丸いことさえも知らない』ニンゲンがどうして高等学校に入学できたんだ? いかにアホを表現したいがためとは言え、そりゃあまりに大袈裟だし、盛り過ぎというか誇張し過ぎというものだ。むしろそんな小学生未満の学力女子に入学を許すド底辺高校ってどこなんだ? そっちの方がおかしいだろ。
え、じゃあついでに学部と受験教科は何だろう? KOと言えども医学部ならそりゃモノスゴイけどな。
これはAIが調べてくれた。いわく、
「ビリギャル」こと小林さやかさんが受験した当時のKO義塾大学総合政策学部の試験科目は、英語と小論文だったとされています。この入試方式は、他学部の受験科目数と比べて科目が少なく、小林さんが得意な科目に絞って勉強できたことが合格の大きな要因でした。
英語と小論文: 当時、KO義塾大学の総合政策学部・環境情報学部の一般入試は「英語」と「小論文」の2科目で受験できるという特徴がありました。
小林さんの強み: 小林さんは英語が得意だったため、この入試方式が非常に有利に働きました。
有利に働いた背景: 英語と小論文の配点比率が同程度で、各科目に合格最低点が設定されていたことも、両方の科目が得意だった小林さんを合格へと導く一因となったと考えられます。
?
あれあれ、気のせいかな。別にそこまですごいサクセスストーリーじゃないような…
それに英語が得意って、それでビリってことあるんだろうか。得意教科が1科目でもあれば、学年ビリになるのは至難なんだぞ… だってデキナイヒトは受験教科は普通どれもこれも苦手なんだからさ。盛り方から見て、この物語は相当フィクションだろ…
初めてちゃんと興味が出てきたからこの際もう少し調べてみよう。まずその、方位方角さえ判らなくても入学できるというとんでも底辺高校はどこだろう。地球が丸い実感は確かになかなか感じられないけど、「地球は平面」という中世欧州的な世界観を持つ、宗教色の強い高校かも知れない。
ふむふむ、へぇぇ…(具体的な名称も出て来たけど)愛知県の某私立女子高校なのか…
でもざっと調べてみたら平均偏差値は60~70程度ありそうなお嬢高校じゃん。この偏差値は名古屋付近の中学生が母数だろうから信頼できる値に違いない… とすると、これで『東西南北も知らず、地球が丸いことさえも知らない』設定は無理が有り過ぎる。
…とすると… 「ビリ」の設定が崩れてゆく音が聞こえる。
要は… もともと地頭は良かった、少なくとも悪くなかったお嬢様が一時的にオベンキョウをサボって遊びまくった結果数科目で学年ビリになった…英語は得意なお嬢様だったけど。けれどある日、塾講師?(塾通いしてたらノー勉とは言えない)だか教師だかに…(ここ不明)触発していただき(自分で気付いたワケじゃなさそう)、そこから英語と小論文だけ頑張ってKOに挑戦したらKOされずに合格してきた… というところか。
これが私がざっと10分で調べた調査結果概要である。
なんでこれが感動を呼び流行になって持て囃されたのか、今度は逆に世間の感性が疑わしくなってくるじゃないか。余程広告が上手かったのかもしれないが、まあ主役さえ可愛ければ女子高生モノは大抵|流行はや)るからねぇ、かすみちゃん。
え、でもそれだったらさ、共通テスト自己採点で目標某国立大学理学部化学科後期試験のボーダーに100点以上足りない絶望的E判定だったのに、ちょっと特殊な面接指導で「ある方面の知識と応答方法と気合を叩きこんだ結果」なんと大逆転合格を勝ち取った某N君の方がよほど感動的だぞ…
でもな、ビジュ的には明らかに映えないから、やっぱ無理か。
そもそもKOはAO入試とかいう入試方式の先駆けだったからなあ…
無論ちゃんとした実績とそれなりの成績を持つ生徒を責任を持って選抜してくれるような選抜ならまだ許せるよ。でも定員確保目当ての不人気私大がわれもわれもと形だけ真似したのが実情であって、怪しげなAOがテキトーな面接だけとかの手段で合否を決めるなどというインチキ制度を煽り競ったおかげで大いに迷惑被ったわ。そういう生徒が2学期中に合格自慢したりすると目に見えてクラスの雰囲気が浮足立ってしまうんだよね。
ちなみに慶応義塾大学建学の祖である福沢諭吉はお札にもなったけど「学問のススメ」で誰もが知る有名人だ。
でもさ、そりゃ時代のせいもあるけどさ、当時、海外で売買春に従事する日本人女性について、「彼女たちの海外での仕事も生活のための経済活動であり、一概に非難されるべきではない、むしろ政府は海外へ移住する日本人(娼婦を含む)のために公娼制度を設け、保護・管理すべきだと主張した」、なかなかご立派なヒトでもあったりするからなぁ…
なんか意図しない方向に進行しつつあるなぁ…
ドツボにハマる前にこれ以上の論評はやめておこう。




