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異世界最強の引きこもりは、人と生きる意味を知る  作者: わまたよ


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第三十三話 王城の静かな宣告

 その朝、ルナはいつもと同じように学院へ向かった。


 空は高く、王都の屋根の上には薄い朝靄が残っている。通りには学院祭を前にした浮き立つ気配があり、商人たちは店先に色布を掛け、馬車は普段より少し忙しなく石畳を鳴らしていた。


 ルナは鞄を胸に抱え、屋敷の玄関前で振り返る。


「行ってきます」


 その声は、以前よりずっと自然になっていた。


 アルトは穏やかに微笑む。


「行ってらっしゃい」


 セラフィスは深く一礼する。


「本日もお気をつけて」


 ヴァルクは短く言った。


「無理はするな」


「うん」


 ルナは少し笑って頷いた。


 今日も学院祭の準備がある。


 接客練習も、衣装の調整も、薬草茶の試作もある。


 友人たちと笑いながら、きっとまた失敗する。


 その日常を胸に、ルナは馬車へ乗り込んだ。


 馬車が門を出る。


 車輪の音が遠ざかる。


 アルトはそれを見送ったまま、しばらく動かなかった。


 ルナの姿が見えなくなってから、彼の表情が少しだけ変わった。


 穏やかさは消えない。


 けれど、その奥に冷たい決意が沈む。


「行きましょう」


 アルトが言った。


 セラフィスは微笑む。


「はい、主様」


 ヴァルクは無言で頷いた。


 その日、三人は王城へ向かった。


 ルナの知らない場所で、彼女の居場所を守るための話し合いが始まろうとしていた。



 王城《アルセリア宮》は、朝の光を受けて白く輝いていた。


 高い尖塔。


 広い正門。


 磨かれた石段。


 整列する近衛兵たち。


 王都の中心に立つその城は、王国の権威そのものだった。


 だが、今日アルトたちを迎える近衛兵たちの表情には、いつも以上の緊張があった。


 彼らはヴァルクを知っている。


 近衛訓練場で、彼の剣気を浴びた者もいる。


 そしてアルトが何者であるかも、王城の者たちはよく理解していた。


 王国友誼公爵。


 王命に縛られぬ特別な客人。


 国家戦力という言葉では足りぬ存在。


 その男が、静かに王城へ入る。


 怒鳴り込んできたわけではない。


 軍勢を連れてきたわけでもない。


 だが、城の空気は確かに重くなった。


 王城奥の小会議室。


 そこには、国王アルディオン、王妃セレナ、第一王女フィリア、宰相、軍務卿、学院監察官がすでに揃っていた。


 重厚な扉が開く。


 アルト、セラフィス、ヴァルクが入室した。


 アルトは静かに礼をする。


「お時間をいただき、感謝いたします」


 アルディオンもまた、王としてではなく、対等な友誼の相手へ向ける礼を返した。


「こちらこそ、来ていただき感謝する。アルト殿」


 互いに席へ着く。


 セラフィスはアルトの半歩後ろに立ち、ヴァルクは壁際へ控える。


 ただそれだけで、室内の重臣たちは喉の奥を引き締めた。


 静かな会談。


 しかし、そこにある緊張は戦場に近かった。



 最初に口を開いたのは、王だった。


「書簡は読んだ。王家として、事態を重く受け止めている」


 アルトは頷いた。


「ありがとうございます」


「学院内の噂については、すでに監察を入れた。フェルナンド侯爵派の関与も、現時点で強く疑われる」


 フィリアが資料を差し出す。


「こちらでも、外部使者と生徒の接触、複数商会を経由した資金の流れを確認し始めています。ただし、まだ決定的証拠は押さえきれていません」


 アルトは資料に目を落とした。


 表情は変わらない。


「彼らの目的は、ルナの孤立です」


 静かな言葉だった。


「王女殿下、セシリア、エマ、ミーナ、カイン。周囲の人間関係に疑念を入れ、学院祭で表面化させるつもりでしょう」


 宰相が眉を寄せる。


「そこまで読まれますか」


「ええ」


 アルトは目を上げた。


「彼らはルナ本人を理解しているわけではありません。ですが、人が傷つく方法は理解している。孤独を知る者がようやく得た居場所を奪えば、心は大きく揺らぐ。彼らはそこを狙っているだけです」


「ルナは、ようやく人と関わり始めました。長い時間をかけて少しずつ信頼を築き、自分から誰かに手を伸ばせるようになった。その変化を知っている者なら、最も脆く見える場所がどこかも分かるでしょう。だからこそ、そこを狙うのは最も効率が良い」


 その言葉は冷静だった。


 だが、聞く者の胸を冷やした。


 効率が良い。


 そう分析できるほど、アルトは怒りを抑えている。


 王妃セレナが静かに言った。


「ルナさんには、まだ知らせていないのですね」


「はい」


「知らせるおつもりは?」


「必要になれば」


 アルトは答える。


「ですが、今は学院祭の準備を心から楽しんでいます。友人たちと笑い合い、ときには失敗し、その失敗さえも経験として受け止めながら前へ進んでいる。そのかけがえのない時間を、不必要な不安や疑念で曇らせたくありません」


 王妃は目を伏せた。


 それは母の顔だった。


「その時間は、守られるべきです」


「ええ」


 アルトの声が少し低くなる。


「ですので、私はフェルナンド一派の排除を望みます」


 室内の空気が固まった。


 排除。


 その言葉は、前回の書簡よりも明確だった。


 王が静かに尋ねる。


「どの程度の排除を望まれる」


「政治的影響力の喪失。一派の解体。学院への干渉権の剥奪。必要であれば爵位や財産への処分」


 アルトはそこで一度言葉を切った。


 そして、王をまっすぐ見た。


「もし彼らが武力で来るなら、私は武力で対応します」


 誰も声を出さなかった。


 アルトの声は荒くない。


 脅しのような響きもない。


 だからこそ、重かった。


「ルナ、あるいは彼女の友人たちへ、護衛、傭兵、暗殺者、魔道具、その他どのような武力を向けても同じです」


 彼は静かに続ける。


「その場合、私は王国の法的処理を待ちません。彼らが誰であろうと、どれほどの後ろ盾を持っていようと関係ない。ルナたちへ危害を加える意思を示した時点で、私は脅威と判断し、武力的に壊滅させます」


 軍務卿の顔が強張った。


 学院監察官は息を呑む。


 宰相は目を伏せた。


 王は、動かなかった。


 王として、その言葉を軽く受け止めることはできない。


 王国領内で、一個人が武力行使を宣言したのだ。


 だが同時に、王は理解していた。


 これは反逆の宣言ではない。


 家族を守る者の、最後の線引きだった。


「アルト殿」


 王は低く言った。


「王国としても、フェルナンド派の武力行使は許さぬ。もしその兆候があるなら、王家が先に動く」


「それを期待しています」


 アルトは穏やかに答えた。


「私は、この国を敵にしたいわけではありません」


「分かっている」


「だからこそ、先に伝えました」


 その言葉に、フィリアが静かに目を細めた。


 先に伝えた。


 つまり、黙って動くこともできたということだ。


 それをしないのは、王家への敬意であり、同時に最後通告でもある。



 その時だった。


 セラフィスが、わずかに目を伏せた。


 ほんの小さな動き。


 だが、アルトは気づいた。


「セラフィス」


「はい」


 セラフィスは美しい微笑みを浮かべた。


「主様。少々、情報が入りました」


 王の目が動く。


「情報?」


「はい」


 セラフィスは右手を軽く上げた。


 すると、彼の足元に小さな魔法陣が浮かび上がった。


 銀色の光。


 そこから、薄い影のようなものが立ち上がる。


 人の形をしている。


 しかし人ではない。


 顔は曖昧で、輪郭は霧のように揺れ、衣服の影だけが王都の下級使用人のように見えた。


 王妃セレナが息を呑む。


 学院監察官が椅子から半ば立ち上がりかけた。


 軍務卿の手が反射的に腰の剣へ向かう。


 ヴァルクが視線だけでそれを止めた。


 セラフィスは穏やかに説明した。


「私の能力で造った諜報用の使い魔です。人の気配を極限まで薄く再現し、影や物陰に溶け込ませることで発見を困難にしています。周囲の音声、文字情報、魔力痕を記録し、必要に応じて私へ即座に共有することが可能です」


 王は言葉を失った。


 諜報用の使い魔。


 しかも、王城の会議中に情報を届けられるほどの遠隔同期。


 これは王国の諜報機関が何年かけても到達できるか分からない技術だった。


「……そのようなものを、いつから」


 宰相が掠れた声で問う。


 セラフィスは微笑んだ。


「昨日からです」


 室内が凍った。


 昨日から。


 たった一日。


 それで王都貴族街の奥へ入り、フェルナンド侯爵派の情報を掴んだというのか。


 フィリアの扇を持つ手が止まった。


 彼女の顔からも余裕が消えている。


 セラフィスは影の使い魔へ視線を向けた。


「報告を」


 影は、声なき声で情報を流した。


 それは音としてではなく、魔法陣の上に文字と映像として浮かび上がる。


 フェルナンド侯爵の別邸。


 閉ざされた応接室。


 集まる小貴族たち。


 机上の書類。


 学院祭当日の計画。


 そこには、ただ噂を流すだけではない内容があった。


 学院祭当日、一年Sクラスの喫茶店に不正な異物混入疑惑を起こす。


 会計帳簿を改竄し、不正徴収の噂を流す。


 ルナの周囲の友人へ、個別に疑念を吹き込む。


 セシリアには「伯爵家が利用されている」と。


 エマには「商家の娘が責任を負わされる」と。


 リリアーナには「王女が政治利用されている」と。


 さらに、混乱に乗じてルナを学院祭運営から外させる。


 そして最後に、王家へこう訴える。


 ――ルナという少女は、学院内の秩序を乱している。


 王妃セレナの顔色が変わった。


「なんてことを……」


 学院監察官は蒼白だった。


 軍務卿の拳が鳴る。


 王は黙って映像を見ていた。


 その目に、怒りが宿る。


 だが報告はまだ終わらない。


 影の使い魔が次に映したのは、別の文書だった。


 フェルナンド侯爵の直筆ではない。


 だが侯爵家の側近が保管していた計画書。


 そこには、さらに危険な一文があった。


 ――必要に応じ、学院祭後の帰路において、ルナを一時的に拘束し、保護を名目に侯爵邸へ移送する案を検討。


 室内の空気が、完全に凍りついた。


 武力。


 直接的な拘束。


 アルトが先ほど言った線を、フェルナンド派は踏み越えようとしていた。


 ヴァルクの目が冷えた。


 セラフィスの微笑みが消えた。


 アルトは、静かに映像を見つめていた。


 静かすぎた。


 その静けさが、最も恐ろしかった。



 王はゆっくりと息を吐いた。


「セラフィス殿」


「はい」


「この情報は、確かなものか」


「使い魔が直接取得しました。映像、音声、文書の魔力痕、すべて保存しています」


「偽造の可能性は」


「ございません。必要であれば、文書の保管場所も示せます」


 王は目を閉じた。


 驚愕。


 恐怖。


 怒り。


 そのすべてが胸の中で混ざっていた。


 フェルナンド派の愚かさへの怒り。


 ルナを狙ったことへの怒り。


 そして、セラフィスの能力への恐怖。


 たった一日で、侯爵家の奥から証拠を掴む諜報員を造る。


 それが王国に向けられたら。


 王城の秘密など、いくつ残せるのか。


 フィリアも同じことを考えていた。


 彼女はセラフィスを見た。


 美しい執事。


 穏やかな微笑み。


 しかしその能力は、国家の諜報網を根底から揺るがす。


 王国は、改めて理解した。


 アルト陣営を敵にしてはならない。


 それは戦闘力だけの話ではない。


 情報、魔法、剣、すべてにおいて規格外なのだ。



 一方その頃、フェルナンド侯爵の別邸では、当の一派がまだ勝利を疑っていなかった。


 応接室の厚いカーテンは閉ざされ、昼間だというのに室内は薄暗い。


 フェルナンド侯爵は深い赤の椅子に座り、指輪のはまった指で机を叩いていた。


「学院祭当日が肝要だ」


 彼の声は低く、粘ついている。


「噂だけでは足りぬ。目に見える失態が必要だ」


 側近の男が頷く。


「会計帳簿の写しを改竄し、喫茶店の会計不正を示す形にします。商家の娘、エマに疑いを向ければ、ルナの友人関係にも亀裂が入りましょう」


「セシリア嬢には?」


「伯爵家へ匿名の文書を。ルナに利用されていると」


 フェルナンドは鼻で笑った。

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