第二十一話 王族視点 ――敵にしてはならぬ者
王都ソルレイアの夜は、いつ見ても整っていた。
城下へ放たれた魔導灯の光は、石畳の通りを黄金の筋として走り、貴族街の庭園には静かな白光が浮かぶ。遠くの広場ではまだ人々の笑い声が残り、噴水の水音が夜気へ溶けていた。
平和の都。
ヴェリア・ソリス王国の誇り。
その中心にそびえる王城《アルセリア宮》もまた、今夜は変わらぬ静けさを保っている――ように見えた。
だが、その内部では違った。
王国中枢に位置する者たちの胸中には、昼の謁見の間で起きた出来事が、なお雷鳴のように響き続けていた。
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重厚な扉が閉じられる。
執務室へ戻った国王アルディオンは、ようやく王冠を机へ置いた。
白銀の髪をかき上げ、深く息を吐く。
その姿には王としての威厳があったが、同時に、一人の老獪な政治家だけが持つ疲労も滲んでいた。
「……寿命が縮んだな」
低く漏れた独り言に、傍らの王妃セレナが苦笑する。
「あなたがそんな顔をするのは珍しいです」
「珍しい事態だった」
窓辺へ歩き、王都の灯りを見下ろす。
「龍討伐。災害級出現。王都防衛。そしてS級冒険者を完封した正体不明の旅人」
一つずつ言葉を置くたび、その重みが増していく。
「そこへ愚息が、よりにもよってその者たちの前で娘を侮辱し、拘束命令を出した」
額を押さえた。
「……冗談なら笑えた」
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セレナは静かに茶を注いだ。
「あなたは、あの青年をどう見ましたか」
「アルトか」
王は迷わず答えた。
「国家戦力以上だ」
短い断言だった。
王妃の目が細くなる。
「そこまで」
「そこまで、だ」
王は謁見の間を思い返す。
黒髪の青年は終始穏やかだった。
礼を失せず、声を荒げず、感情を見せぬまま立っていた。
だが第一王子グラディウスがルナへ手を伸ばそうと命じた、その瞬間。
空気が変わった。
怒号ではない。
威圧でもない。
ただ、“そこに在るもの”が変質した。
「余は戦場を知っている」
王の声が低くなる。
「若き日に国境線へ立ち、魔物の群れも、敵国の将軍も見た。死地の気配も知っている」
振り返る。
「あれは、それらと質が違った」
言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「人が怒ったのではない。自然災害が、静かにこちらを見たようだった」
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セレナは杯を置き、静かに微笑んだ。
「私は少し違う見方でした」
「ほう」
「あの方は、優しい人です」
王が眉を上げる。
「怒りより先に、守ろうとしていました」
王妃の瞳は柔らかい。
「ルナという娘が怯えたとき、真っ先に視線を向けていたのは彼女でした。王子でも、兵でも、我らでもなく」
王は黙る。
「だからこそ恐ろしいのです」
王妃は言った。
「守る者を持つ強者は、最も止めにくい」
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同刻、別室。
第一王女フィリアは机いっぱいに書類を広げていた。
龍出現地点。
災害級侵攻経路。
S級冒険者の戦闘報告。
そしてアルト一行の情報。
彼女は長い銀金髪を耳へかけ、細い指で紙面を叩く。
「面白い」
侍女が困った顔をする。
「殿下、これは面白がる件では……」
「面白いわ」
知的な瞳が鋭く光った。
「王都最強戦力たる《蒼天の楔》を、一方的に制圧。しかも死人なし、負傷軽微、城への敵意なし」
紙を持ち上げる。
「これほど扱いの難しい駒も珍しい」
侍女はため息をついた。
「駒、ですか」
「言い方が悪かったわね」
フィリアは笑う。
「人よ。極めて優秀で、極めて危険で、極めて常識が通じる可能性のある」
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彼女は別の紙を見て、露骨に顔をしかめた。
そこには第一王子グラディウスの行動記録があった。
「……どうして兄上は、爆発物へ松明を近づけるような真似を平然とできるのかしら」
侍女は返答に困る。
「しかも謁見の間で」
「しかも父上の制止を無視して」
「しかも相手は正体不明の超戦力」
「しかも娘を泣かせて」
「最後のは私情ですね」
「当然でしょう」
フィリアは肩をすくめる。
「ルナという子、可愛かったもの」
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訓練場では、第二王子エルディアスが木剣を振っていた。
夜更けだというのに、一人で。
汗が額から落ち、砂へ染み込む。
「兄上は何をしているんだ……」
誠実な青年の声には、珍しく怒りが混じっていた。
側近が近づく。
「殿下、お休みください」
「休めるか」
木剣を止める。
「父上が謝罪しなければ、今日この城はどうなっていた」
誰も答えられない。
彼自身、昼のあの瞬間を見ていた。
セラフィスの無音の魔力圧。
ヴァルクの殺気。
そしてアルトの静かな眼差し。
もし一歩でも踏み違えれば。
王家の血筋など意味を失っていたかもしれない。
「……強さとは、地位ではない」
エルディアスは呟く。
「初めて思い知った」
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学院在籍中の末王女リリアーナは、自室で興奮していた。
「ねえ見た!? 見た!? あの黒髪の人すごく格好よかった!」
侍女たちが慌てる。
「殿下、お声が……」
「それよりルナちゃん! すごく可愛い! 絶対お友達になりたい!」
寝台の上で跳ねる勢いだった。
「学院に来るのよね!? 来るわよね!?」
侍女たちは顔を見合わせた。
王城が緊張に包まれる中、ここだけ春だった。
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深夜。
王族主要者が私的会議室へ集められた。
国王アルディオン。
王妃セレナ。
第一王女フィリア。
第二王子エルディアス。
末王女リリアーナ。
そして、問題の第一王子グラディウスも呼ばれていた。
彼は不満げに腕を組んでいる。
「父上。あの程度の旅人に、なぜそこまで」
その瞬間、部屋の空気が冷えた。
王が机を叩く。
轟音だった。
「黙れ」
重臣ですら震える声だった。
「貴様はまだ分からぬか」
グラディウスが息を呑む。
王が本気で怒る姿など、幼少期以来見たことがない。
「余は王だ。感情で頭を下げたのではない」
一語ずつ、鉄のように落ちる。
「国を守るために頭を下げたのだ」
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フィリアが口を開く。
「結論は単純です」
全員の視線が向く。
「アルト一行を敵にしてはならない」
王妃が頷く。
「ええ」
エルディアスも同意する。
「むしろ信頼を得るべきです」
グラディウスだけが不満顔だった。
「たかが数人だぞ」
「数人だから厄介なのです、兄上」
フィリアの声は冷たかった。
「軍なら外交で縛れる。貴族なら利権で動く。だが、個人で国家級戦力を持ち、しがらみがない者は制御しにくい」
笑みを浮かべる。
「そして、そういう者ほど礼節には礼節で返すものです」
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王妃セレナが静かに続けた。
「忘れてはならないのは、あの子です」
「ルナか」
「ええ」
彼女の瞳は母のそれだった。
「あの子は傷ついていました。人に怯え、声を失いかけていた」
昼の小さな震えを思い返す。
「それでもアルトの後ろではなく、隣に立っていた」
王が頷く。
「守られるだけの娘ではない」
「だからこそ、王子の言葉は最悪でした」
セレナの視線がグラディウスへ刺さる。
彼は顔を逸らした。
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アルディオンは立ち上がった。
「決定する」
その一言で全員が姿勢を正す。
「アルト一行には最大限の礼を尽くす。学院費用、滞在費、必要支援、すべて王家負担」
「異議なし」
フィリアが即答する。
「第二に、接触は慎重に行う。監視ではなく保護だ。刺激するな」
「承知しました」
「第三に――」
王の視線が第一王子へ向いた。
「グラディウス。謹慎三十日。政務参加停止」
「なっ……!」
「軽いと思うなら、余の代わりに謝罪へ行くか?」
王子は蒼白になり、黙った。
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人払いされた後、王と王妃だけが残った。
窓の外には、王都の夜景。
静かな都。
「……疲れましたね」
セレナが肩を寄せる。
「まだ終わっておらん」
王は遠くを見る。
「帝国も聖王国も、いずれ嗅ぎつける」
「ルナのことを?」
「それもある。アルトのこともだ」
深い溜息。
「世界は、強者を放っておかぬ」
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しばし沈黙の後、王は小さく笑った。
「だが少し羨ましくもある」
「何がです?」
「あの青年だ」
王冠のない机を見る。
「地位も義務もなく、ただ守りたい者を守るために怒れる」
セレナは優しく微笑む。
「あなたも昔はそうでしたよ」
「今は王だ」
「今も、です」
王は返事をしなかった。
ただ、少しだけ肩の力を抜いた。
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フィリアは書類をまとめながら笑う。
「会ってみたいわね。あの人」
エルディアスは剣を振り続ける。
「強くならねば」
リリアーナは寝台で頬を染める。
「ルナちゃんと同級生……!」
グラディウスは自室で歯噛みする。
「旅人風情が……!」
そして国王は、窓辺で夜明け前の空を見ていた。
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龍討伐。
災害級撃退。
S級冒険者圧倒。
そして謁見の間の一件。
そのすべては、一つの結論へ収束していた。
――アルトたちを敵にしてはならない。
それは恐怖だけではない。
理性だった。
政治だった。
国家としての判断だった。
だが同時に、王も王妃も薄々気づいていた。
あの青年は、敵に回さぬだけでは足りぬ。
いずれこの国の未来へ、大きく関わる存在になる。
そんな予感があった。
王都ソルレイアの夜は静かだった。
だが、その静けさの底で、時代は確かに動き始めていた。




