第九話 龍の檻が消えた日
古龍の首が落ちたあと、山頂にはしばらく風だけが吹いていた。
血の匂いと焼けた岩の熱が残り、さきほどまで絶対者として君臨していた巨体は、動かぬ肉塊となって横たわっている。
空は高く、雲はゆっくり流れていた。
世界は、あまりにも何事もなかったかのようだった。
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「討伐完了ですね」
アルトが静かに言う。
「ええ」
セラフィスは古龍の死骸を観察していた。
「角、鱗、心臓核、魔石。素材価値だけで小国の予算級です」
「夢のない感想ですね」
「現実的と言っていただきたい」
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ルナはまだ呆然としていた。
つい数分前、自分たちの前には山そのもののような怪物がいた。
それが今は、動かない。
アルトはいつも通り穏やかな顔で立っている。
彼女の知る“強い”の基準が、音を立てて壊れていく感覚だった。
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「主様」
ヴァルクが短く告げた。
視線は西の尾根。
アルトもそちらを見る。
セラフィスも、すぐに表情を変えた。
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風向きが変わっていた。
いや、違う。
空気そのものがざわめいている。
山の向こうから、何か巨大な気配がこちらへ流れ込んでくる。
鳥たちが一斉に飛び立ち、獣の遠吠えが連鎖し、地面の小石が微かに震え始める。
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「……まだ何かいるの?」
ルナが声を潜めた。
「いました」
セラフィスが訂正する。
「正確には、“抑えられていたもの”です」
「抑えられていた?」
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セラフィスは古龍の骸を見る。
「龍は縄張り意識が極めて強い種です。特に古龍級は周辺生態系の頂点。下位種は逃げ、中位種は従い、上位種すら近づきません」
「つまり?」
「この山域一帯は、龍の支配圏でした」
淡々とした声が続く。
「その支配者が消えた今――空いた椅子を狙う者が現れます」
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直後。
遠方の山腹から爆音が響いた。
岩壁が内側から弾け飛び、土煙が空へ昇る。
その中心で、黒い影が立ち上がった。
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大きい。
古龍とは別種の巨大さ。
横幅が広く、四足で、岩のような外殻を持つ獣型の魔物だった。背には棘の列。額には湾曲した二本角。口元から漏れる息だけで地面の砂が舞う。
そして、その眼は赤く濁っている。
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「災害級……」
セラフィスが低く呟く。
「地砕獣グラズ=ヴォルグ。資料でしか見たことがありません」
「名前まであるんだ……」
「王都近郊にいていい存在ではありません」
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巨獣は咆哮した。
音圧で尾根の雪が崩れ、岩肌に亀裂が走る。
次いで前脚を振り下ろす。
衝撃波。
見えない槌が山腹を叩いたように、木々がなぎ倒されていく。
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「なんで今まで出てこなかったの……」
「古龍がいたからです」
アルトが答えた。
「彼もまた、別の災厄を封じる檻だったのでしょう」
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ルナは息を呑んだ。
倒したことで、別の何かが現れる。
勝利とは、終わりではないのか。
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地砕獣は鼻を鳴らし、頭を王都方面へ向けた。
山を越えた先。
人の匂い、物資の匂い、街の熱。
それを嗅ぎ取ったのだろう。
巨体が一歩、前へ出る。
その一歩で地面が揺れた。
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「進路、王都」
ヴァルクが短く告げる。
「でしょうね」
セラフィスが即答する。
「食料、建物、生命反応、高密度魔力。怪物にとって都市は巨大な餌場です」
「言い方」
「事実です」
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アルトは少し考えるように目を細めた。
「ここで討ちますか?」
セラフィスが問う。
「可能ではあります。ただし山体崩落、周辺街道消失、余波で物流停止が数か月」
「なるほど」
「王都としては避けたい案件です」
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ルナが顔を上げる。
「止めないの?」
「止めます」
アルトは穏やかに言った。
「ただ、場所を選びます」
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その間にも、地砕獣は進み始めていた。
尾根を踏み砕き、木々を押し倒し、獣道ではなく地形そのものを作り替えながら。
山が歩いているようだった。
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王都
同刻、王都ソルレイア。
昼下がりの市場は賑わっていた。
果物商人が値段を叫び、学院生が昼食を買い、仕立て屋が新作の布を並べる。
誰もまだ知らない。
山の向こうで、災厄が目を覚ましたことを。
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最初に異変へ気づいたのは、北西見張り塔の兵士だった。
「……揺れてないか?」
「荷車だろ」
「違う、一定だ」
どん、どん、どん。
遠くから周期的な振動が来る。
やがて塔の水瓶が波立ち、砂塵が地平線に立ち昇るのが見えた。
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「報告!」
鐘が鳴る。
伝令が走る。
王都北西門、警戒態勢。
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街に不穏が広がるのは早かった。
「何事だ?」
「魔物らしいぞ!」
「また龍か!?」
「北門閉鎖だって!」
商人が荷をまとめ、母親が子を抱き、兵士が持ち場へ走る。
日常が一瞬で戦時の顔になる。
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王都冒険者ギルド本部。
ガレスは机を叩いて立ち上がった。
「何だと」
飛び込んできた職員が息を切らす。
「北西山脈より巨大魔物接近! 推定災害級!」
「……最悪だな」
彼は舌打ちした。
「龍の件で嫌な予感はしていた」
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「近衛兵団へ連絡! S級チームの所在確認! B級以上の即応招集!」
「はっ!」
「避難誘導は街役人と連携しろ! 混乱を起こすな!」
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ガレスは窓の外を見る。
王都の街並み。
人々の生活。
学院へ通う若者たち。
市場で笑う子ども。
それらすべてが、災害級魔物一体で消し飛ぶ可能性がある。
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「アルト」
彼は小さく呟いた。
「お前ら、まさか本当に龍を斬ったのか」
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山中
アルトたちは尾根を下っていた。
地砕獣の進路を先回りするためだ。
ヴァルクが先行し、地形確認。セラフィスが広域索敵。ルナは必死に走る。
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「はぁ……はぁ……」
「無理はしなくて結構です」
アルトが隣を走る。
「でも……王都が……」
「ええ」
「みんな、いるんだよね」
市場のミーナ。
学院の門前で見た学生たち。
宿の従者。
笑っていた人々。
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「そうですね」
アルトの声は穏やかだった。
「ですので、守りに行きましょう」
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遠くで再び轟音。
王都方面の空へ、鳥の群れが逃げていく。
災厄は止まらない。
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そして王都は、開都以来最大級の緊急事態へ突入した。




