第三章 二話 子猫と飼い主 (後)
住宅街の一角。プレートに刻まれた住所を頼りにたどり着いたのは、少し古びた一軒家だった。
白い壁は日に焼けてくすみ、郵便受けからは数枚のチラシがはみ出している。
「ここですね……」
京介が門扉を押し、チャイムを鳴らす。
……だが、しばらく待っても返事はない。
「留守でしょうか」
大和が控えめに言う。
「それにしては……郵便が溜まりすぎています」
透が淡々と指摘する。郵便受けを覗き込むと、封筒やチラシがぎっしり詰まっているのが見える。
その時、買い物袋を下げた中年の女性が通りかかった。
静が一歩進み出て、声をかける。
「あの、すみません。このお家の方をご存じですか?」
「あら、ここのおばあさんのこと? ……そうねぇ、最近見かけないわね」
女性は少し考えてから眉をひそめる。
「あの方、毎朝庭の花に水やりしてたのに、もう一週間くらい見てないの。新聞は前にやめたって聞いたけど、郵便受け……最近開けた形跡もないし」
四人は礼を言い、女性を見送ってから顔を見合わせた。
京介が眉をひそめる。
「一週間も見かけない、か……」
「良くない兆候ですね」透が短く呟く。
静は子猫を抱き直しながら不安そうに家を見上げた。
「……中、すべての窓のカーテンが閉まってます」
「もう一度インターホンを押してみましょう」
大和が指を伸ばすが、何度押しても反応はない。
透が周囲を見回し、低い声で提案した。
「裏口も確認してみましょう」
庭を回り込むと、裏口のドアノブを回すと、意外にも鍵がかかっていない。京介が一瞬ためらうが、透は真剣な表情で頷いた。
「緊急事態の可能性があります。もし中で倒れていたら、一分一秒が命取りになりかねません」
京介が扉を静かに押し開けると、むわっとした空気と、微かに湿った匂いが流れ出てきた。
「……失礼します!」透が声をかけ、中へ踏み込む。
居間に入った瞬間、四人は息を呑んだ。
畳の上に、高齢の女性が横たわっている。動かない。
「……っ!」静が子猫を抱えたまま固まる。
透がすぐに膝をつき、首筋に手を当てて脈を確認する。
「脈はあります! 京介様、救急車を!」
「わかった!」京介がスマートフォンを取り出し、すぐに119へ発信する。
大和は近くの扇風機のスイッチを入れ、少しでも涼しい空気を送ろうとする。
救急車到着までの間、透は女性の体を横向きにし、呼吸が楽になるよう姿勢を整える。
「大丈夫です、すぐ助けが来ますから」
その声に応えるように、女性がかすかにうめいた。
遠くからサイレンの音が近づいてくる。
静は腕の中の子猫を見つめ、小さく呟いた。
「……この子のおかげで、見つけられた」
やがて救急隊員が駆け込み、女性は担架に乗せられた。
透は救急隊員に発見時の状況を説明し、京介と大和は外で見送る。
救急車が走り去った後、四人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
京介が静の方を見やる。
「……お前が猫を拾ってなかったら、発見がもっと遅れていたかもしれないな」
静は一瞬戸惑い、それから小さく頷いた。
「……役に立てた、でしょうか」
「十分に立派な仕事でした」透が穏やかに答える。
夏の陽射しが、少しだけ柔らかく感じられた。
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その後、病院に向かった四人は、女性が軽度の脱水症状と熱中症で倒れていたが、命に別状はないことを知った。
意識を取り戻した女性――内田さんは、子猫の「タロウ」を心配そうに見つめていた。
「この子、無事だったのね……」
静がタロウを田中さんの手の届くところに差し出すと、子猫は嬉しそうに小さく鳴いた。
「ありがとう、みんな……タロウも、私も、本当に助かったわ」
事務所に戻る道中、京介がぼそりと呟く。
「依頼人を呼び込む方法、考える必要なかったな」
「そうですね。依頼は案外、向こうからやってくるものかもしれません」大和が微笑む。
透が紅茶の入ったペットボトルを一口飲みながら言った。
「今日の件で分かったことがあります。私たちにとって大切なのは、宣伝や呼び込みよりも、困っている人に気づけるかどうか、ということかもしれません」
静は歩きながら、小さく頷いた。
「……小さなことでも、見逃さないでいたい」
京介は草薙みたいなこと言うなと心の中で思いながら歩いた。
夕暮れの商店街を歩きながら、四人はそれぞれに手応えを感じていた。
最初の依頼は、思いがけない形で舞い込んできた。
だが、それは同時に、自分たちがどんな探偵社になりたいかを教えてくれる出来事でもあった。
事務所のドアを開けると、制服姿の美香が待っていた。
どうやら学校帰りに様子を見に来たようだ
「お疲れさま。で、依頼人を呼び込む方法は決まった?」
「ええ」透が答える。「いつでも準備を整えて、待つことにしました」
美香は少し首をかしげたが、四人の表情を見て、何かを察したように微笑んだ。
「そう。それも一つの方法ね」




