第71話 『苦い帰郷』
ノルドの丘から馬車で半日を駆けて大河に出たバーサは、そこから船でさらに半日をかけて国境を越え、故郷へと戻った。
ダニアの街。
そこは250年以上前にダニアの分家が王国軍に属することで見返りとして得た領地だった。
街にダニアの名を冠している王国内の自治領であり、一定の独立性を保っている。
この街に住むことが許されているのはダニアの一族のみだ。
少数の生き残り兵と共に帰郷したバーサが片腕を失っているのを見た街の者たちは、一様に信じられないといった顔で愕然と目を剥いた。
このダニアの街でバーサに勝てる戦士はクローディアしかいない。
そのバーサがそれほどまでにやり込められたということが、街の者たちに多大なる衝撃を与えた。
多分に漏れず驚きの表情で出迎えた小姓らは、とにかく至急の治療を受けさせるべくバーサを医院に案内する。
帰路の馬車の上でバーサは消毒と止血のために腕の切断面を火で焼いて処置した。
そのため出血は止まっていたし、痛み止めの薬のおかげで苦痛を堪えることが出来た。
それでもきちんとした治療を受けなければ危険な深手の傷だ。
医院に案内されるその途上で小姓から報告を受けたバーサは目を見開いた。
「クローディアが戻っている? そうか……」
クローディアは少し前から街を不在にしていた。
バーサの従姉妹である彼女には、女王としてあるまじき少し困った癖があった。
年に数度、誰にも行き先を告げずに、おおよその帰還の日付だけを書き置きしていなくなってしまうのだ。
それは本当にいつの間にか消えてしまうため、周りがいくら注意していても気付かないほどだった。
「フンッ。あの気まぐれ娘が」
医院の扉の前で、バーサのその不敬な言葉を小姓は聞こえぬふりをしてやり過ごした。
だが、医院の扉の向こうで待っていたのは医師だけではなかった。
「気まぐれ娘? それってワタシのこと?」
そこには銀色の美しい髪を腰まで垂らして、無雑作に医院の長椅子に腰をかけている少女の姿があった。
琥珀のような色をした瞳が印象的なその少女こそ、若干16歳にしてダニア分家をまとめる当代の女王・クローディアだった。
クローディアはバーサの失われた片腕に目をやり、わずかに眉根を寄せる。
「バーサ。片腕は戦場に忘れてきたの?」
彼女の言葉には答えず、バーサはそこで一度、膝をついて頭を垂れる。
「ただいま帰還いたしました。クローディア。情夫ボルドおよびブリジットの捕獲はどちらも失敗。多数の兵を失う大失態は全てワタシの責任です。如何様な処罰も受け入れる所存です」
「やめてよ。バーサ。処罰? もう片方の腕でも落とせって言うの? あなたをそんな役立たずにするメリットはないわ」
クローディアの言葉に嘆息し、バーサはすぐに立ち上がる。
そして口調を親しげなそれに改めて言った。
「クローディア。こんな場所で何をしているんだ? 物見遊山の最中に転んで膝でもすりむいたか?」
「まさか。あなたが負傷したというから心配でここで待っていたのよ。バーサ。早く治療を受けなさい」
そう言うとクローディアは立ち上がり、バーサを見上げた。
その身長は160センチほどしかなく、ダニアの女としては極端に背が低い。
先代のクローディアはバーサよりも背が高かったが、クローディアの血族には時折、体の小さな者が生まれる、
だが、この体格の小ささでクローディアを侮る者は一族の中に1人としていない。
バーサもその1人だ。
(この身長であれほどの力を出すのだから嫌になる)
クローディアは誰よりも強く、誰よりも速い。
バーサが知る限り、単純に戦闘能力で言えば、先代のクローディアをも凌ぐほどのそれを持つ。
バーサは医師から治療を受けて、痛みに顔をしかめつつ、すぐ傍でそれを見守るクローディアに言った。
「ブリジットにやられた。あの女は……強い」
唇を噛みしめてそう言うバーサに、クローディアは表情を変えずに二度三度ど頷いた。
「でしょうね。あなたが敵わないんだから相当なものなのでしょう」
「ああ。それから……リネットを埋葬したい」
その言葉にクローディアはわずかに目を見開いた。
「そう……彼女、倒れたのね」
クローディアがリネットと直接会ったのはただの一度だけだったが、その印象はよく覚えている。
少し先を見つめる目の持ち主。
集団のために個人的利益を犠牲にすることを厭わぬ者の面構え。
そうした印象が強かった。
そしてバーサとリネットの交流が思いのほか深いことを知っているリネットは即決する。
「戦士の名誉と共に埋葬してあげて」
「……感謝する」
戦場で名誉の死を遂げた者は剣などの武器とともに埋葬するのがダニアの流儀だ。
「で、あなたのことだからブリジットへの復讐に燃えているんでしょうけど、それは許可できないわ」
「しかし……」
「その腕でもう一度向かっていくつもりなら、次は確実に死ぬわ。それって無駄死にでしょ。無意味だからやめて」
クローディアは穏やかな声ながら有無を言わせぬ口調でそう言うと、バーサをここに案内してきた小姓に筆と紙の用意をするよう指示した。
「ワタシからブリジットに文を送ります。今後のことを決めないといけないわね」
そう言うとクローディアは驚くバーサに治療に専念するよう告げ、医院を後にするのだった。




