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第33話 『まことの心』

 故・先代ブリジットの葬儀は奥の里をげて盛大にり行われた。

 直接、彼女を知っている中年世代の女たちは皆一様に悲しみに顔をゆがめ、中には声を上げて泣く者も少なくなかった。

 シルビアもその1人で、彼女は人目もはばからず肩を震わせて号泣していた。

 そして先代とは馴染なじみの薄い若い世代の女たちも皆、厳粛げんしゅくな顔でかつての長を見送っていた。 

 

 そんな中、ブリジットだけはりんとした表情をくずさず、背すじを伸ばしたまま毅然きぜんと葬儀を最後まで取り仕切った。

 先代の遺体を収めたひつぎは明日の火葬を前にして、ブリジットの寝室に運び込まれる。

 最後の一夜を娘である当代のブリジットと過ごすためだ。

 そしてその場に同席を許されたのは漆黒しっこくの夜着に身を包んだボルドだけだった。


「お疲れ様でございました。この度は御愁傷ごしゅうしょう様でございます」

「ボルド……。言葉遣ことばづかいもすっかり板についたな。小姓こしょうの教育の賜物たまものだが、おまえ自身も飲み込みが早い。おまえは元来、頭の良い男なのだろうな」


 ブリジットはそう言うと静かに微笑ほほえんだ。

 彼女も葬儀の際の正装から、緩やかな黒の夜着に着替えている。


 こうして彼女と面と向かって話すのは実に3日ぶりだ。

 葬儀の間、ボルドは小姓こしょうたちとともに末席に控えていたため、ブリジットと会話はおろか視線が交わることさえなかった。

 だが、ボルドは彼女から目を離すことが出来なかった。

 りんとしたその表情が、不思議ふしぎと泣いているように見えたからだ。

 

「ブリジット……」

「こんな時に言う言葉ではなかったな。許せ。おまえの顔を見たら少しホッとしてな。ついいつもの調子で話したくなったのだ。今夜はそんな夜ではないというのに」

「いいえ。ブリジット。私はあなたの情夫です。いついかなる時でもあなたの心のなぐさめを第一に考えたいのです。ですから……」


 そう言うボルドの言葉をさえぎってブリジットは苦笑する。 


「ボルド。今夜は妙に饒舌じょうぜつだな。無理をすることはない。黄泉よみ送りのとぎのこと、おどろいたのだろう? アタシから直接おまえに説明したかったのだが。突然のことですまなかったな」

「いえ、そんな……」


 ブリジットはそこでスッと視線をベッドの脇に置かれたひつぎに向ける。

 そこには安らかな顔で横たわる先代の姿がある。


「聞いたこともない儀式だろう? 亡き母の遺体のすぐ脇でとぎを行うなど、我がダニアの事情を知らぬ者たちからすれば醜悪しゅうあく蛮行ばんこうでしかないだろう。だが、これは我らにとっては代々受け継がれてきた由緒ゆいしょある儀式なのだ」


 そう言うとブリジットはボルドをじっと見つめて話を続ける。


「この儀式はな。かつて母と父も祖母の葬儀の際に行ったことなのだ。ブリジットの系譜けいふを受け継ぐ我らの血族にとって、自分たちの力を受け継ぐ次世代の子孫を残していくことは重要でな。あの世に旅立つ母親にそうした心配をさせぬために行うのだ。母の血はこうして娘が大切に受け継ぎ、次代の子を産み育てて行くので、安心して黄泉よみの国へと旅立って下さい。そういう意味を込めてな」

「次世代の子を……」

「もちろん形式上のことなので実際には避妊の薬を飲んで行うぞ」


 そこまで話したがブリジットはやや不安げにボルドを見つめる。


「ボルド……。おまえは確かにアタシの情夫だ。アタシが命じればおまえが従うことも分かっている。だが……おまえにも心がある。母には申し訳ないが、おまえが嫌なら無理にとぎをすることはない。この場にはアタシとおまえしかいないのだから、とぎをしたことにすれば……」


 そう言うブリジットの言葉を今度はボルドがさえぎった。

 それは人前では決して好ましくない出過ぎた行為だが、ボルドの口から自然と言葉が出たのだ。


「ブリジット。あなたが心安らげるように誠心誠意おつかえすること。それは私にとっては義務と教えられましたが……今、あなたをおしたいする私の心は決して義務などではありません。私はあなたの幸せを願っております」


 今のボルドにはそれは明確な本心だった。

 ブリジットには笑顔でいてほしい。

 もし彼女が涙することがあれば、その涙が止まるまでそばにいて彼女の気持ちを受け止めたいと思うことは、もはやボルド自身の願いだった。


「私はあなたがお気持ちを吐き出せる居場所を作りたいのです」


 ボルドの口から出た言葉にブリジットはおどろき、目を見開いた。

 自分でも生意気なことを言っていることはボルドにも分かっている。

 だが、ブリジットはダニアの長という立場があり、周囲に対して常に強い自分を誇示こじしておかねばならない。

 幼馴染おさななじみのベラとソニアに対してすら弱音は吐けないのだ。


 だがブリジットと過ごしてきた短い日々の中で、ボルドには確かに分かったことがある。

 鬼神のごとき強さを持つ彼女であっても、心は人間だということだ。

 きっと1人、人知れず部屋で壁に向かって弱音を吐いたこともあるのではないだろうか。

 ボルドは自分が彼女の気持ちを受け止める役を引き受けたいと思った。

 きっと壁よりは彼女のなぐさめの役に立てるはずだから。


「ここにはあなたと御母君、そして私しかおりません。ブリジ……」

「ライラだ」

「えっ?」

「ライラと呼べ。今だけで良い」


 彼女の言葉に一瞬(おどろ)いたボルドだが、すぐに彼は彼女の本当の名を呼んだ。

 自分にある限りの真心まごころを込めて。


「ライラ。私はずっとおそばにおります。この身だけでなく、この心も」


 ボルドの言葉にブリジットはくちびるを震わせた。

 するとせきを切ったようにブリジットの目から涙があふれ出した。

 彼女はこらえ切れずにまるで幼子おさなごのように、ボルドの胸に顔をうずめて泣くのだった。

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