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…Age: 21…
ゼミに出席するために街を歩いているとき、ゴミ屋敷のお爺さんが亡くなったという、近所のおばさんの噂話を小耳に挟んだ。
夜は雨になるという薄暗い夕刻、久しぶりに真っ直ぐなあの道を歩いて帰ることにした。現在でも、よっぽどのことがなければあの家のある通りを使って出かけることはない。
家主を失ったというのに、その家の存在感は相変わらずだった。百メートル以上手前から、鼻をいじめる刺激臭で以て家の位置を知らせてくる。しばらく歩いていけば、ほかの家と輪郭の違う、黒々とした影が浮かび上がる。
何年か前の代執行のころから、幾分かはマシになったとはいえ、お爺さんの家はゴミ屋敷へと逆戻りしていた。
以前とは違う姿も見られる。傾いていた工務店時代の看板は、危険だからと撤去された。ひどいときにはゴミが溢れて閉まらなくなり、しまいには埋もれてしまった引き戸の出入り口も、いまはちゃんと開閉して出入りができる。行政が指定した有料のゴミ袋が用いられるようになってからは、公然とゴミ捨て場から持ち帰ることがなくなったようで、絶対的なゴミの量はピークのころから比べれば格段に減っている。それでも、人はこの家をゴミ屋敷と呼ぶしかない。
最後にこの家の正面に立ったのは、十年以上前だろうか。悪臭は漂っているが、我慢できないほどではない。主人を失ったその家はどこか寂しそうで、お爺さんが集めてきたゴミも、古い建物に絡みつくツタのように、汚いだけとは違う意味合いを持っているかに感じられてしまう。
「やあ、こんにちは」と、いまにも聞こえてくるような気がした。
そのとき、ふわりと風が吹いて、その向きが変わった。
わずかばかり臭いが風に流れていったせいか、その一瞬だけ、ゴミ屋敷へと変り果てる以前のこの場所に立っている感覚がやってきた。あのときを象徴する、一緒に並んで座った古ぼけたベンチは、代執行の折に撤去されていたはずなのに。
その懐かしさが長く続くはずもなく、すぐに現実に引き戻される。
割れた窓や歪んだ外壁、人の気のないゴミ屋敷が見せるものは、わたしが心の奥底ではあのベンチに並んで座った時間が大好きだったのだと、どうしようもなく訴えかける。それなのに、悪意も善意もなかったわたしは、大人として普通になろうとしていたわたしは、淡い想いを信じたわたしは、わずかに芽生えた罪悪感だけで反省したつもりになったわたしは――それによって崩れていくものに対してあまりにも鈍感だった。
かくいういまも、わたしはどうしてここに立っているのか。いまここに立っていることが、いまさらになってここに立っていることが、わたしの性根がいかなるものなのかをよく表している。
遅すぎる気づきに、目の前が涙で滲んでいく。もう手遅れだ、どうしようもない。零れ落ちるそれは、自分の大切な足跡を人からゴミと断じられ、処分されるのをただ見ているしかなかった、あのときのお爺さんの嘆きとまったく変わらない。
このゴミ屋敷は、わたしのせいだ。
このゴミ屋敷は、わたしだ。
…Age: 7…
「ちらかしたらダメだよ」と言ってみたら、
「やあ、こんにちは」とおじいさんは言ってへんじをしてくれない。
「おそうじしないと、おこられちゃう」とまた言ってみると、
「あとでしっかりやりますよ」と言っておじいさんはわらった。
おじいさんが手にもっているのは、たぶん、竹だ。竹をかかえて、カッターのようなものでけずっている。けずったカスはぱらぱらとおちていって、ちからっている。ちらかしたり、よごしたりしたら、おかあさんがこわいかおをしてやってくる。それなのに、おじいさんは気にしないで、むちゅうで竹をけずっている。
なにかをつくっているのかな。
「気になるなら、すわっていきなさい」
わたしは、おじいさんのとなり、ベンチにすわった。ベンチはぼろぼろで、すわっただけで足がチクチクする。
「なにをつくっているの?」
おじいさんの手をよく見ようとかおをちかづけると、あぶないからと手でさえぎられた。
「竹とんぼをつくっているんだ」
竹とんぼ……あれだ、手の中でまわしてプロペラみたいなものをとばすやつ。
「じぶんでつくれるの?」
「もちろん。竹とんぼは、どこかからかってにとんでくるわけじゃない」
あたりまえだ。竹とんぼはひとりでにとんだりしない。わたしが手でとばすのだ。
かちっと音がしたので見てみると、おじいさんがほそ長く竹をわっていた。
「これをプロペラにするんだ」
「ふうん」
プロペラにはとても見えない。竹とんぼのはねは、もっとスリムだもの。それに、おじいさんのもっているものは、まがっていてまっすぐではない。これではとんでいかない。
「おじいさんは、どうして竹とんぼをつくっているの?」
「学校のみんなの前で、つくって見せてあげるのさ。先生におねがいされてね。いまは、見本をつくっている」
「先生が見せてって言ったの?」
「そうとも。きみは、この竹を見てもガラクタとしかおもわないだろう? でも、すててしまったらもったいない。竹をつかえば、いろいろなモノをつくることができる。ぼくは、工作がとくいで、だいすきだからね」
みるみるうちに、おじいさんの手にしていた竹がうすくまっすぐにかわっていく。おじいさんがカッターのようなものでけずるたび、だんだんと竹とんぼのはねのかたちになっていく。
「そろそろかんせいするよ。ここで、かぜをきってうまくとんでくれるように、ななめにけずっていくといいんだ」
あっとおもった。せっかくまっすぐにしたプロペラを、かたほうだけ、でこぼこにけずってしまう。はんたいがわにもくぼみをつくってしまい、プロペラはねじれたようになってしまった。
そのへんてこりんなプロペラのまん中に、おじいさんはとがったものであなをあけた。そのあなに、竹ぐしをとおす。
「よし、これでもうとばせるよ」
「見た目は竹とんぼだけど、やっぱりプロペラがへんなかたちしてる」
「まあ、やってみればいい」
言われたとおり、手の中でまわしてとばしてみる。
ふわりと上へとんだ竹とんぼは、いきおいがなくなってからも、ゆっくりと空をすべるようにしてとんでいく。上を見るとひっくりかえってしまいそうなほど高く、手がとどかないくらいとおくまで、ふわりふわりと、あとすこしでおちそうなのに、おちない。生きもののように、力づよい。
「すごい!」
ベンチから立ち上がって、竹とんぼをおいかけて走った。
かつん、と音をたてておちたのは、どうろのはんたいがわだった。こんなにとおくまでとぶ竹とんぼは見たことがなかった。
「そんなによろこんでもらえたのは、ひさしぶりだよ。その竹とんぼは、きみにあげるよ」
「いいの?」
「ああ、またつくればいいんだ」
「ほんと? ありがとう!」
竹とんぼをひろったとき、やくそくをわすれていたことをおもいだす。きょうは、こうえんであそぶやくそくをしていたのだ。
また学校であおうね、とおじいさんにあいさつして、わたしは竹とんぼをもってこうえんへと走った。
きっと、みんなもすごいって言うにきまっている。
…Age: unknown…
入学式がちょうど満開の時期と重なったのは嬉しかった。
といっても、入学式の主役は我が子であって、わたしではない。その日が花の時期とどう噛みあおうと、わたしがそれを喜ぶよりも、彼女自身がどう受け止めるかのほうがずっと重要である。その娘はというと、あまり喜ばしいスタートを切れなかったようだが。
早生まれで、人見知りで、少し変わった趣味の娘は、一日の行程が終わってすぐにわたしのもとに駆け寄って来た。新しくできた友達と別れを惜しむとか、校庭の遊具で遊びたいと駄々をこねるとか、ほかの家の子がするような様子を見せていない。早生まれはともかく、性格も好みも顔もわたしに似てしまった彼女は、これからの友達付き合いも、わたしと似たような歩みを見せるのかもしれない。
「帰ろうか」
と手を差し出すと、娘は手を繋ぐのを躊躇った。
「もうしょうがっこうだし、おねえさんだから、てもつながないの」
ようやく舌足らずが改善しはじめたばかりのくせに、一丁前のことを言う。
娘が人目を気にしているのに気づけない母親ではない。きょろきょろと周囲を見回しながら歩く姿を見て、「買い与えるとキリがない」と友人から伝えて聞いているというのに、ふと衝動的に、提案をしてみたくなってしまう。
「ねえ、美優。学校で頑張ったら、ゲーム、買ってあげようか」
いまどき、ゲームを持っていないどころか、スマホで動画を見たこともほとんどないような子どもが何人いるだろうか。入学初日からこんなにつまらなそうな顔をして帰ってきた娘に、何か友達づくりに役立つものを買ってあげてもいいと思った。
ううん、とこれまた一丁前に唸って悩んだ末に、美優はぴしゃりと告げた。
「いらない」
「どうして? ゲームじゃなくて、何で遊ぶのが好きなの?」
「えっとね、かみパックとかたけぐしとかつかって、くるまをつくるほうがすき」
強がりを言う……という年頃でもないか。
わたしは、娘の手を取った。
「小学生は、まだ手をつないでいてもいいんじゃないかな」
将来娘がわたしと同じ苦労をするとしたら、わたしはいまのうちに、自分が子どもだったころ人にしてあげられなかったことを、娘にしてあげよう。この先娘が、小学生になったとき、中学生になったとき、高校生になったとき、大学生になったとき、わたしとは違った思いを優しく抱いて生きていけるように。
わたしにも、竹とんぼとか作れるかな。
娘の手の温かさを感じながら、懐かしい真っ直ぐな道のりを歩んだ。




