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「でも、どうして断っちゃったの?」
「最初に話した通りだよ。わかっているようで、わかっていないから。さっちゃんは昔からそういう子だったの」
どういう子だったのかと改めて問われ、一帆は言葉を整える。
「結局さ、正義感が自己満足だったんだよ。私に頼られて、いい気になっていたっていうのかな? 私の一番の理解者になったつもりで、私のことを勝手に想像する、そういう子なのね。久しぶりに会ったときには、申し訳なさと寂しさのせいか、悪い性癖に拍車がかかっていたのもあの子らしい。本当に申し訳ないなら、私をダシに心を満たしていたことを反省すべきなのに、まるで気が付かないの」
咲は、和佳奈たちに一帆を庇っていたことが知られ、自身までもいじめられるようになるまで、和佳奈の取り巻きでいることをやめなかった。いざいじめられるようになると、一帆を助ける余裕はなくなり、進学後は連絡も取らなくなった。どのような事情にせよ、自分もいじめられる立場だった一帆には共感できなくもない。しかし、次第に許せなくなってしまうのも確かだった。
最後まで風に靡いていた複雑な心境は、三人の鈍感な親友たちにも伝わっていた。
「振る気持ちはわかったけど……」
「さっちゃんに共感できなくもないというか」
一帆にしてみれば、三人も咲の側の人間だ。共感して当然である。
そして、核心的な問いが生まれる。
「さっちゃんをどうしても許せない、決定的なことがあったの?」
それを訊いてほしかったのだ。一帆が散々この話を渋った理由は、親友たちに明かしておきたいもうひとつの事実にある。それを話す勇気を持てるとしたら、就職が決まり、卒業が決まり、奨学金のレポートも書き終え、友と過ごす卒業旅行最後の夜、あらゆる未練から解放されるこの瞬間しかありえない。
「それはね、呼び方なの。『いーちゃん』って、いまは平気だけど、本当は、ふたりきりのときでも呼んでほしくなかったんだ」
咲はいつも、弱い一帆を一方的に定義した。
交際を申し出た彼女は、一帆の苦労に理解を示しているようで、大きな誤解をしていた。
一帆は、同性愛者であったから就活に苦戦したのではない。困る場面もないではなかったが、一帆の場合は、それほどでもなかった。なぜならば、自身が同性愛者であると伝えない限りは、そうだとは知られないからだ。そして、それ以上にひどい攻撃を受けるものを抱えていたからだ。それは、高校時代のいじめにおいても攻撃対象になった――入り口こそ同性愛でも、一度罵倒が始まってしまえば、その後はどんな要素でも人格否定のためにつぎ込まれる。
咲は、小学生のころからずっと、一帆が秘密にしてきたそれに気がつかなかった。「いーちゃん」という呼び名は、それに少しだけ触れてしまっていた。
「私ね、本名は一帆っていうの」
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「一帆の『かず』は数字の『一』でしょ。だから、いーちゃん」
咲からそう提案されて、私の心臓がどきりと跳ねた。その呼び方は、普段学校で使う言葉から考える限り、親から隠しておくように言われた自分の本当の名前に、少しだけ似ていたから。
「ふうん……」
私はとりあえず相槌で以て、思いがけず襲い掛かってきた緊張を落ち着けた。
母親が私に秘密にするよう言っていたことは、名前に限らずいくつかある。親の話は学校の先生以外に聞かれてはいけないし、家の中と外とで使う言葉を間違えてはいけない。食事のときの作法や物の呼び方もいろいろと注意された。
秘密はあっても、陰でこそこそ生きていたつもりはない。家族も自分も、やましいことはしていないのだから。でも、母から聞かされていた、秘密が知られてしまったときに起こることがあまりにも恐ろしくて、言われた通り秘密を守るしかなかった。
曰く、秘密を知られると、少なくとも誰かひとり――それもきのうまで親しかったかもしれない人――から「出ていけ」と言われることになる、と。
子どもに語るその話は、多少大げさなところがあったのかもしれない。それでも、それが決して嘘ではなかったことを、高校生のころと、就職活動のころに思い知ることになる。
咲が私の恐ろしい秘密に少しだけ触れていたことに、それほどの怒りはない。知らないのは仕方のないことで、ある意味では、秘密がよく守られていたという証明である。私が一方的に警戒していて、しかもそれを口にしなかっただけのこと。
それでも、私が女性を好きになることに気づき、私のすべてを知ったつもりでいるのなら、もうひとつの秘密にも気づいていてほしかった。それが無理な話であるならば、結局のところ、私は彼女から卒業したかったのかもしれない。許せないと感じる建前を作って、もはや頼るまでもなくなった彼女に「さよなら」を告げようと。
細かいところで無神経だった咲と一緒になる気にはなれなかった。でも、彼女に感謝しているのも、恋をしていたのも本心だ。私は彼女からたくさんのものをもらった。
「特別」の意味を教えてくれた彼女に、私は憧れていた。
「……そうだね。これは特別、特別だもの」




