タイトル未定2026/09/07 20:05
そしてある日、保険会社の役員が、非常に単純なことに気づいた。
当たり屋を見破るAI。
年間開発費、数十億円。
調査費。
弁護士費用。
保険金。
それより、自転車を止めた方が、安い。
ドライブレコーダーに歩行者検知と自動ブレーキをつけると、保険料割引。
また、率先して腕章を配っていた一部の自治体では補助金をつけるようになった。
腕章がダサいからつけたくない、とのことで、あまり広がらなかったからだ。
国や保険会社からのメーカーへの搭載要請もあり、自転車産業全体では、導入が進み、この分野の株価が伸びた。
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数年後、普及率が80%を超えた頃、横断歩道へ人が近づくと、
ピッ。
という音と共に自転車が止まる。
当たり屋は、ぶつかられなくなった。
当たり屋は、廃業した。
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ある昼休み。
杉山が言った。
「結局、誰が社会を変えたんだろうな」
吉岡は、蕎麦を食べながら考えた。
「杉山」
「違う」
「ぶつかられ隊」
「違う」
「警察」
「違う」
「当たり屋?」
「惜しい」
吉岡は考えた。
「保険会社?」
杉山は頷いた。
「金払いたくなかっただけだろ」
杉山は、少し考えた。
そして言った。
「今回のことで思ったことがある」
「何」
「社会を動かすのに、正義は必要ないのかもしれない」
吉岡が蕎麦をすすった。
「お前がぶつかられまくって出した結論がそれ?」
「人間が善人になる必要はない。悪いことをすると損する構造にすればいい」
「普通の制度設計だよ」
「僕は身体で実証した」
「ただ轢かれただけだよ」
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それから20年後
杉山、74歳。
例の横断歩道に立っていた。
右から自転車が来る。
ピッ。
止まる。
左から配送車。
ピッ。
止まる。
少し離れたところを走っていた配送ロボットまで、杉山を検知して停止した。
二十年前とは、ずいぶん変わった。
最近の自転車は、歩行者を見つけると必ず止まる。
自動車も止まる。
配送ロボットも止まる。
子どもですら、左右を見なくなった。
杉山はそれについて思うところがあったが、まあ、事故が減ったのなら悪いことではない。
杉山が、一歩踏み出した。
その瞬間だった。
ピッ。
足元の路面が赤く光った。
《歩行者の方は、そのままお待ちください》
杉山は止まった。
「ん?」
車道を見る。
自転車が走っていく。
車も走っていく。
配送ロボットも走っていく。
杉山だけが、止められている。
頭上の表示を見る。
《交通最適化中 予想待ち時間38秒》
杉山は眉をひそめた。
ちょうど隣にいた若い男も、スマートフォンを見たまま立ち止まっている。
「これ、故障してません?」
杉山が聞いた。
男は画面から顔を上げた。
「最近こうですよ」
「横断歩道ですよね?」
「そうですけど」
「歩行者優先でしたよね?」
若い男は少し困った顔をした。
「たぶん、車を全部止めるより、僕ら二人を止めた方が効率いいんじゃないですか」
杉山は、頭上の表示を見た。
ちょうど説明が表示された。
《現在、歩行者2名》
《接近車両31台》
《車両停止による推定総遅延 14分22秒》
《歩行者待機による推定総遅延 1分16秒》
《社会的時間損失を最小化しています》
杉山は黙った。
どこかで聞いた理屈だった。
いや。
聞いたことがあるどころではない。
自分が言ったのだ。
二十年前。テレビ局のスタジオで。
全員が数秒ずつ失う。
一方、止まらなかった人間は時間を得る。
社会全体が、一回数秒ずつ寄付している。
杉山はスマートフォンを取り出した。
吉岡に電話した。
五回ほど鳴ってから、出た。
『もしもし』
「吉岡」
『何。珍しいな』
「今、横断歩道にいる」
『またぶつかられてんの?』
「最近はぶつかられない」
『じゃあ何だよ』
「横断歩道が渡れない」
『渡れば』
「止められてる」
『誰に』
杉山は頭上を見た。
《残り待ち時間21秒》
車が流れていく。
「社会に」
電話の向こうで、吉岡が笑った。
『ついに社会から避けられたか』
「違う。交通最適化だ」
『同じだよ』
「車を止めるより、歩行者を止めた方が社会的損失が小さいらしい」
しばらく沈黙した。
吉岡が言った。
『それ、お前が昔言ってたやつじゃん』
「……そうなんだよ」
『全員が数秒損するくらいなら、一人が止まった方がいい』
「そう」
『じゃあ正しいじゃん』
杉山は答えなかった。
目の前を、自転車が通り過ぎていった。
二十年前なら、杉山は避けなかった。
今は、自転車が避ける必要すらない。
杉山の方が、最初から止められている。
『社会構造、変わった?』
吉岡が聞いた。
杉山は少し考えた。
二十年前にも、同じことを聞かれた気がした。
「変わった」
『よかったじゃん』
「うん」
杉山は言った。
「僕が避けることになった」
ピッ。
足元の赤い光が消えた。
《横断してください》
杉山は歩き出した。
途中、右から自転車が来た。
杉山を検知した。
ピッ。
止まった。
杉山も、立ち止まった。
自転車も、止まっている。
杉山も、止まっている。
しばらく、二人とも動かなかった。
電話の向こうから吉岡が聞いた。
『どうした?』
「いや」
杉山は、自転車を先に行かせた。
「なんでもない」
二十年かけて。
杉山は初めて、自転車を避けた。




