第87話 黒き災厄に抗う者たち
抉れた地面から土埃が舞い上がり、砕けた石畳が広場一帯へ散乱していた。
黒い力が漏れ出すたびに、地面へ新たな亀裂が走る。
周辺一帯が限界を迎え始めていた____。
その中心でリタは力なく立ち尽くしている。
リタはすでに意識を失っていた。
それにも関わらず、頭上の黒い球体だけが異様な存在感を放っている。
それはまるで、黒い太陽のようだった。
ゴオォォ____
黒球の表面では絶えず揺らぎが走り、内側へ押し込められていた力が外へ噴き上がっている。
吹き出した黒い奔流が、渦を巻きながら周囲へ広がっていく。
数刻前の時点ですら、すでに上級魔法では相殺し切れないほど、その力は膨れ上がっていた。
しかも、今なお、リタから魔力を吸い出しながら、さらに巨大化している。
「まずいな……」
ラットが険しい顔で呟く。
ドオオオォォォ________
噴き出した黒い奔流が地面へ触れた瞬間、地面が吹き飛ぶ。
石畳が砕け、衝撃で土砂が巻き上がった。
「溢れた魔力だけでこの威力……」
それを見て、ラットは確信した。
「このままだと、街の大半が消滅するかもしれない」
魔力の暴走……というよりもうまく制御できない状態。
これは特に珍しいことではない。
初心者にはよくある失敗だ。
まだ魔法の形をしっかりとイメージできていないと、何かの拍子に魔力を留めておくことができなくなり、行き場を失った力が暴発する。
よくあることなのだ。
この暴発というのは、気泡が破裂する程度の、そういった規模感だ。
だが、今、目の前にあるものはその比ではない。
漏れ出した余波だけで地面を抉っている。
もし本体の黒球が弾ければ、大都市であるブルンネンそのものが半壊してもおかしくない。
ラットは静かに息を吐いた。
こうなれば、なりふり構っていられない。
ラットはこの力について知るために、その情報を持っているであろうトゥーロへと視線を向けた。
「トゥーロ。先ほど、あなたはリタさんを止めようとしていましたね?」
トゥーロの表情がわずかに強張る。
「この事態は、あなたたちにとっても想定外……つまり、望んでいた状況ではない。そういう認識でいいのでしょうか?」
ラットは敵であるトゥーロへ問いかけることで、少しでも状況を把握しようとしていた。
「……ああ」
突然話しかけられたことで動揺しつつも、トゥーロは短く同意する。
「僕たちは街を守りたい」
ラットは続けた。
「あなたはどうされますか? このまま避難しますか?」
その問いにトゥーロは眉を吊り上げた。
「……僕たちを愚弄するなよ。仲間を見捨てるものか……」
低い声__。
それを聞いて、ラットは小さく息を吐いた。
やはり、この男はそういうタイプだ。
敵には容赦しない。
だが、仲間を簡単に切り捨てることもしない。
「だったら、一時休戦しましょう。この暴走を止めるまで……」
もし、この黒球が暴発すれば、当然のことながら、リタ自身も跡形もなく消し飛ぶだろう。
「……頼む」
返答は早かった。
口調にも、いつもの余裕や見下した色はない。
ただ、仲間を救いたいという焦りだけが滲んでいた。
しかし、悠長に構えている時間はない。
同意が得られたのなら、すぐにでも本題に入らなければ。
「以前にも、同じことがあったんじゃないですか?」
リタを止めた時の口ぶり。
まるで、この先どうなるのか知っているようだった。
一瞬の沈黙__。
意を決したように、トゥーロは改めて口を開いた。
「この状態は……リタの持つ〝王幹〟という力によるものだ……」
トゥーロの説明によれば、王幹には使用者の潜在能力を底上げする性質があるらしい。
これはただでさえ規格外だったリタの魔力を、さらに増幅させた。
増幅された魔力が、更なる増幅を促す。
止まることなく膨れ上がり、ついにはリタ自身の許容量を容易に超えてしまった。
それがこの暴走の正体ということだ。
「以前にも発生したということは……、その時はなんとかなったんですよね?」
「ああ……」
以前は、〝核〟となる存在がいた。
その者が暴走した力を吸い上げ、同じ力を持つ者たちへ分散させることで暴走を抑え込んだということらしい。
だが、今、この場にその者はいない。
ラットは黒球を見上げながら、状況を整理していく。
「要するに……」
ラットが静かに口を開いた。
「集まりすぎて肥大化した力を、分散させればいいわけですね」
今の状態は、限界まで熱された鍋の状態に近い。
熱され、膨張した中身が、鍋に収まらなくなっている。
このまま火にかけ続ければ、いずれ耐え切れず噴きこぼれる。
だったら。
溢れる前に、中身を別の鍋へ移して分ければいい。
つまり、この膨れ上がった魔力を分散させればいいということだ。
「トゥーロ、あなた一人では同じことはできないんですか?」
ラットの問いに、トゥーロは険しい表情を浮かべた。
「……いくつか問題がある」
まず核を経由せずに同じことができるか分からない。
だが、やれる可能性はある。
それにやる方法を見つけられるかもしれない。
確証はないが、やってみる価値はある。
次に、仮にできたとしても、一人じゃ受け皿が足りない。
トゥーロの魔力が切れかかっているとはいえ、リタの総魔力量はトゥーロのそれよりも圧倒的に上だ。
リタ自身、すでに限界へ近づいている。
それでも溢れ続けている。
それを肩代わりしたとしても足りないのは明白だ。
「それと……」
トゥーロが眉を顰める。
「やるにしても、近づかなければならない」
黒球の周囲では、溢れた力が激しく渦を巻いていた。
吹き荒れる黒い奔流。
まるで竜巻のように周囲を薙ぎ払い、人を寄せ付けない。
こんな状態だ。
どうやって近づくかが問題となる。
ラットは鞄へ手を添える。
思考を巡らせる。
この状況で使えるアイテムは、何があるのかを……。
「リタっ!! ミルっ!!」
その時だった。
遠くから叫び声が響く。
視線を向けると、フェンリルへ乗ったアリエスとポニが、こちらへ駆けつけてきていた。
学園でも騒ぎになっていたようだ。
突如として発生した異常な力の奔流。
授業は中断され、多くの生徒たちが外へ出て様子を窺っていたらしい。
教室を出てきたポニは、その途中で偶然アリエスと合流したようだ。
戦闘前の状況をアリエスから聞いたことで、二人を心配したポニが召喚魔法でフェンリルを呼び出し、ここまで駆けつけてきたのだ。
それにアリエスもそのまま同行していた。
「なによこれ……!」
フェンリルから降りたアリエスが、空を見上げる。
遠目からでも噴き上がる魔力は確認できていただろう。
だが、近くで見るそれは想像以上だったようだ。
「力の濃度が異常だわ……!」
黒い太陽のような球体。
そこから噴き上がる黒い奔流。
周囲の空気そのものが歪んでいるように錯覚さえしてしまう。
アリエスでさえ、その光景に言葉を失った。
「いつ暴発してもおかしくないじゃない……!」
ふらっ____
高濃度の力へ当てられた二人の膝が揺らいだ。
「二人とも、この環境は人間族には厳しい」
ラットはすぐに鞄を開き、〝放魔石〟を二人へ渡す。
「これを!」
受け取った二人が身に着けると、わずかに呼吸が安定した。
「少しは楽になった?」
「ええ……ありがとう」
アリエスが息を整えながら頷く。
「ここは危険だよ。すぐに街の外へ逃げて!」
ラットが視線をミルへと向ける。
「あと、ミルも一緒に……」
ミルは立ち上がろうとしていた。
だが、動きは鈍い。
ポーションで応急処置はした。
それでも、受けた損傷は大きかった。
「ミル!?」
「ミルちゃん!?」
二人が傷を見て声を上げる。
砕けた装甲。
焼け焦げた内部機構。
バチバチと火花まで散っている。
「なにがあったの……?」
アリエスが黒球を見上げる。
「まさか、あれを受けたの……?」
ラットは答えなかった。
トゥーロたちとの戦闘。
それを詳しく説明している時間はない。
「ミルは魔導機械人形だから、命に別状はないみたいなんだけど……」
ラットが静かに言う。
「早く休ませてあげたいんだ。連れていってもらえないかな?」
だが、ミルは首を横に振り、
「……わたし、残る……」
小さく呟いた。
「ミル……でも……」
「ラット、無茶する……」
ミルは離れようとしなかった。
傷ついた身体を引きずりながらも、ラットの傍へ残ろうとしている。
アリエスたちも、少しずつこの場で何が起きているのかを察し始めていた。
視線は、自然と周囲へ向く。
砕けた石畳。
抉れた地面。
吹き荒れる黒い奔流。
そして、ここにいるはずの人物が一人見当たらない。
「……あれ、リタちゃんはどこに?」
ポニの言葉に、その場の空気が止まった。
誰もすぐには答えない。
「……どうしたんですか? みなさん……」
沈黙が走る。
「まさか……!」
察したのか、アリエスが黒い奔流の中心へ目を向けた。
吹き荒れる黒球付近を、じっと凝視する。
何かを探すように……。
「……今、一瞬、人影が見えた……」
アリエスの声が震える。
「あれが……リタなの?」
「そんな……リタちゃん……」
ポニも顔を青ざめさせた。
「みなさん、時間がありません」
ショックを隠せない二人。
「ここは僕たちに任せて……」
ラットが割って入る。
「いえ、もうそんな段階じゃないわよ。もう臨界点に来てる」
アリエスの目つきが変わった。
「私たちにも手伝わせなさいよ。これをなんとかするつもりなんでしょ?」
黒球を見上げながら続けた。
「無事に生き残るなら、ここにいる全員で何とかするしかないと思うわよ」
ラットは静かに息を吐いた。
そして、鞄から精神強化薬とポーションを取り出し、トゥーロへ渡す。
「……魔力ポーションは不要ですね?」
「構わない……。少しでも多く、少しでも多く魔力を肩代わりしたいからな……」
トゥーロは短く答えた。
ラットは頷き、トゥーロへ肩を貸す。
「わかったよ……」
ラットはアリエスとポニへ向き直った。
「冒険者ではない……。一般人のあなたたちに頼むのは心苦しいんだけど……」
本来なら巻き込みたくない。
だが、もう人手を選んでいられる状況ではなかった。
黒球は今も勢いを増し続けている。
時間がない。
「手伝ってもらえますか?」
ラットの視線がフェンリルへ向く。
「フェンリルや精霊の力はかなり助けになるし……」
「……分かりました」
ポニが頷く。
アリエスも真剣な顔で前を見る。
「アリエスは魔力に詳しいよね? もし何か案があれば教えてほしい」
ラットは全員を見渡した。
そして、頷く。
「リタさんを助けましょう」
その言葉に、誰も異論はなかった。
敵だったはずのトゥーロ。
戦いで傷ついたミル。
そして、本来なら戦場に立つはずのないアリエスとポニ。
立場も。
目的も。
ここへ来た理由すら違う者たち。
それでも今だけは。
暴走する黒球の中心にいる少女を救うため、全員の意思が一つになっていた____。
※このあとがきはキャラ同士の雑談コーナーです。本編には関係ありませんので、気軽に読み飛ばしていただいて大丈夫です。
ラットです。
アリエスよ。
なんか大変なことになっちゃったね。
ラット、あなた何したのよ?
(なんか前も同じこと聞かれた気がするわ)
いえ、それなんだけど……。
実はリタさんが……。
リタが……?
力の暴走に飲まれまして……。
……
それで、あれなわけね。
はい……。
なんていうか、これはもう私たちにどうこうできるようなものじゃ……。
いえ、なんとかしないと。
ま~、失敗したら街がなくなるわね。
それに、この力について詳しい方がいるから可能性はあるよ。
分の悪い賭けよ?
わかってる。
逃げてもダメよね、これは……。
……
しょうがないから、私も手伝うわ。
……アリエス。
次回は、ポニさんのお友達が大活躍!
とうとう、あれが来るのね……。




