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駅ホーム内に時折吹く突風が、遠く漂うわたしの意識を叩くようにして呼び戻し、同時に訪れた軽い肌寒さに身を強張らせ、なにかしらの恥ずかしさがわたしを襲うと、最近の気温の変化が朝と夜とでは極端になっていることに、毎朝の日課になっていた週間天気予報のチェックを怠ってしまえるほど、ここのところ体調が優れない状態の原因がはっきりしないことに不安と苛立ちもあり、そのことを考えないようにと、演技くさい素振りで額に掌を当て、ゆっくり首を振りながら下向き加減にホーム外側のフェンス越しに見える野良猫から意識的に目を離そうとはしなかったのは、そこに佇んでいるだけなのに、冷え切ったわたしの心の奥から愛おしさだけを汲み上げる野良猫の身のこなしに、子供時代の記憶のどこかが、むず痒い刺激を受けているからで、そんな仕草をいとも自然にやってのける野良猫は、なんてずるい生き物なのだろう、と可愛げのない自分と比べ、生まれながらに愛される術を身に着けている者への妬ましさまでも、その野良猫一匹に押し付けようとしている、自分自身の浅ましさに寒気がしてさっきよりももっと身震いしてしまうのだった。
嫉妬の感情ほど醜いものはない。そう自分に言い聞かせて生きてきたつもりが、いつの間にかその感情に支配されていることが最近多くなっていたのは、未だに妹とのやりとりを引きずっているせいだった。 今夏、実家から妹が遊びに来た。その間中わたしは自分の中の嫉妬心に手を焼きながら、妹と腹の探り合いを繰り広げてしまっていた。
ホームの外側は駆け足で薄暗くなり始め、夕暮れ時の郷愁は学校帰りの寂しさを思い起こさせ、もう大学生なのだから学校帰りに後ろ髪を引かれるようなものはなにもなく、別れ際に僅かながらの寂しさを感じさせる友人なども出来てはいなかった。わたしは内でも外でも独りなのだな、と今更ながらに自ら選び進んだ境遇は苦難に向かう軌道で、この先ずっと孤独へと繋がり続いていくだけに違いない。
そう思わせるようなわたしの惨めな子供時代のやつれた思い出から逃れる為、わたしは独りで生きていく覚悟を決めたのだった。
実家の母の支配下に置かれた妹を見捨てる形で一人暮らしを始めたわたしは、妹に対して幾らか引け目を感じていて、妹が泊まりに来た時も無意識にわたしの細かな態度に表れていたのだろうけど、それを知った上で彼女もわたしに対し、時々意地の悪い部分を出してきて、昔の記憶で恨みごとを言うものだから、わたしも当時の精神状態にまで退行したような、知的さに乏しい返答しか出来ず、再会を喜んでいた身上などすぐに憎しみへと変わり、その憎しみの真っただ中にいる母を介し恨みごとの応酬は互いの、もう絶対に変えられない子供時代の記憶にまで及ぶと、結局実家にいた頃と同様の、緊張ばかりを与え合う相性の悪い関係をここでもまた二人して築き上げてしまった。
当初一週間を滞在の期間と決めていた妹も、身を隠す場所もないワンルームの狭苦しさと互いの腹の内を暴き合うような陰湿さの応酬に我慢できず、三日目の朝には実家へ帰ることを口にしてくれたことにだけは感謝してもいいと思えた。
ついに木造のホーム屋根に取り付けられた電灯がより強調されるまで帰りの電車に乗りそびれ、野良猫も見えないくらい暗闇の景色に観念して、次に来た電車に乗り込んだ。わたしの常に重苦しい胸中が一日で最悪の輝きをみせる瞬間だった。そこから逃げる為の材料は夕食の献立を考えることだけで、一人暮らしの面倒な自炊をずっと続けられているのはその理由だけではなく、どこからか聞こえてくる“女の癖に”という罵りにも似た声に抵抗する為でもあった。
別にバイトもしているのだし、出来合いのものを食べたって金銭的にも困らないのだけれど、バイト帰りに立ち寄ったコンビニで弁当を手にした途端どこからか罪悪感だけがわたしに纏わりついてくる。そういう時脳裏を過ぎるのは夕飯の準備をする母の姿だった。
母はいつも不満を漏らしながら夕飯の支度をしていた。面倒だ、と呟きながらわたしたちに支度を手伝わせたりもした。そんなに面倒ならたまに手を抜くくらい温厚な父だから構わないだろうに、うんざりするほど聞かされた愚痴をさらに強くして、母は夕食の支度を止めなかった。誰に非難されることもないのに、一人勝手に思い詰めたように鍋をかき回し、包丁を刻み、不愉快さを音で表すのだった。
そればかりか、母はわたし達まで巻き込んで不愉快にさせる。まるで家族全体が彼女の鬱積した暗い感情に包まれているのが当然のようだと言わんばかりに。
そんな当時を思い返すと気分の落ち込みは増すばかりで“夕飯”という言葉が誘う望郷の念などわたしには抱けるはずもなかった。
考えが極まると余計に今夜の食事が面倒がられ、それでも何かに負けてしまうという脅迫的な焦りも手伝い、電車に乗り込んでからはずっと献立のことばかりを考えるように努めていた。