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第一話 「神を迎える器」

初めまして。

この作品を読んでいただき、ありがとうございます。


神話と現代を題材にした和風ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

第一話 「神を迎える器」


朝五時。


目覚ましが鳴る一分前に、今日も少女は静かに目を開けた。


毎朝、同じ時刻に起き、布団を畳み、顔を洗い、白い巫女装束へ袖を通す。


衣擦れの音だけが、まだ眠りの残る部屋へ小さく響いた。


鏡に映る黒髪は、腰まで届くほど長い。


感情を映さない黒い瞳が、静かにこちらを見返していた。


部屋を出て境内へ向かうと、朝の冷たい空気が頬を撫でる。


拝殿の扉を開けば、薄暗い社殿の奥に御神体が静かに祀られていた。


祭壇の前には、父が用意した一枚の和紙が置かれている。


少女はそれを両手で持ち、神前へ進むと、静かに正座した。


背筋を伸ばして一礼し、淀みなく祝詞を奏上する。


幼い頃から、毎日繰り返してきた祝詞。


その意味を知る必要はないと、父はそう教えていた。


奏上を終えて和紙を下ろすと、父はいつの間にか背後に立っていた。


「学校が終わったら、真っ直ぐ帰ってきなさい。」


「はい。」


ただ、それだけ。


それ以上の会話はない。


変わらない静かな朝が、彼女の日常だった。



神社を出ると、石段の下には一人の少年が待っていた。


「おはようございます。」


「はよ。」


二人は並んで、学校へ向かう。


教室へ続く廊下を歩いていると、後ろから弾むような足音が近づいてきた。


「おはよー! 瑞稀(みずき)!」


茶色いくせ毛を揺らしながら、一人の少女が顔を見せる。


「今日も早いね!」


「……ええ。」


「ねぇねぇ、昨日のドラマ見た? ……って、見てないよね。えへへ、あのね、まず俳優が格好よくてさ――」


少女は、一人で楽しそうに話し続ける。


元気よく笑う彼女を見ても、瑞稀にはどう返せばよいのか分からなかった。


父から教わったのは、礼儀と作法だけ。


友人との接し方など、誰も教えてくれなかった。


「相変わらず、うるさいやつだな。」


低い声が、横から聞こえる。


「うるさくないし! (あさひ)君たちが静かすぎるだけ!」


黒髪の少年――旭が、自分の鞄を机へ置いた。


続いて、瑞稀が手にしていた鞄を受け取り、その机の横へ掛ける。


「相変わらず、保護者やってるねー!」


一部始終を見ていた少女が笑う。


旭は否定も肯定もしなかった。


ただ瑞稀を一瞥すると、静かに席へ着いた。



放課後、空が赤く染まり始める頃。


瑞稀は父の言葉どおり、真っ直ぐ帰路についていた。


隣には、旭がいる。


二人が住宅街へ差しかかった時だった。


旭が、不意に足を止めた。


「……おかしい。」


瑞稀も、前方へ目を向ける。


先ほど通り過ぎたはずの小さな公園が、再び目の前にあった。


赤い滑り台。


色褪せたベンチ。


角に立つ、一本の電柱。


見間違えるはずがない。


「同じ道を、歩いています。」


瑞稀が呟く。


振り返れば、背後にも同じ路地が伸びている。


真っ直ぐ歩いていたはずなのに、いつの間にか、同じ場所へ戻されていた。


ぞわりと、空気が震える。


風が止まり、鳥の声も、遠くを走る車の音さえ聞こえなくなった。


周囲の家々が、夕闇の中で僅かに歪んで見える。


道の先が、どこへ続いているのか分からない。


まるで、この場所そのものが、進むべき方向を見失っているようだった。


旭が、警戒するように周囲を見渡す。


「瑞稀、離れるな。」


「はい。」


その時、瑞稀の胸の奥が僅かに熱を帯びた。


これまで、一度も感じたことのない感覚だった。


次の瞬間、路地の曲がり角から黒い霧が噴き出した。


よく見れば、それはただの霧ではない。


何かが、内側で蠢いている。


低い呻き声とともに、霧の中から歪で大きな人影が浮かび上がった。


赤黒い瞳だけが、ぎらりと二人を睨んでいる。


人影は周囲を見回すように、ゆっくりと首を動かした。


『……道。』


掠れた声が、黒い霧の奥から漏れる。


『どこだ。』


『どちらへ……行けばよい。』


その問いへ答える者はいない。


やがて人影の視線が、瑞稀へ止まった。


赤黒い瞳が、激しく揺れる。


次の瞬間、獣のような咆哮を上げ、こちらへ駆け出した。


「――ッ!」


旭が瑞稀の前へ飛び出す。


甲高い金属音が響き、人影の身体が数メートル先の壁へ弾き飛ばされた。


改めて見れば、それは穢れた狩衣を纏っている。


旭の手には、瑞稀の見覚えのない刀が握られていた。


「下がれ。」


「……はい。」


瑞稀が静かに後ずさる。


同時に、旭の身体を青白い稲光が駆け抜け、空気を震わせるほどの雷鳴が轟いた。


まるで、雷そのものを身に纏っているようだった。


人影は再び瑞稀へ飛びかかる。


旭は一歩踏み込み、刀を振るった。


雷光が、夕闇を鋭く切り裂く。


しかし、斬られたはずの人影は黒い霧となって崩れ、すぐさま再び姿を形作った。


「……倒せない。」


旭の声に、初めて焦りが滲む。


その瞬間だった。


瑞稀の耳元で、鈴の音のように澄んだ声が響いた。


聞いたことのない声。


それなのに、胸の奥がひどく懐かしい。


――迎えよ。


――道を失った我を。


そう感じた時、瑞稀の足元へ淡い光が広がった。


無数の文字が流れるように円を描き、瑞稀を包み込んでいく。


異変に気づいた旭が振り返った。


「瑞稀!」


瑞稀は、自分の口が勝手に動くのを感じた。


知らないはずの祝詞が、まるで昔から知っていた言葉のように、自然と紡がれていく。


「――謹んで、お迎えいたします。」


眩い白光が、夕闇を染めた。

第一話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

執筆後、再編集をすることがあるので、少し内容が変わっていることがあります。

面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。

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