44. 幸せの約束(エピローグ)
その後、イデオンはレクセル大公殺害未遂で極刑が決まった。
リネアにはもう彼と関わる義理もなかったが、最後に一目だけでも会っておこうと、彼が投獄されている地下牢へと向かった。
イデオンが入れられていたのは、地下牢でも特に劣悪な環境の独房だった。何かが腐ったような臭いが漂い、湿気が充満して息苦しい。
その中でイデオンは逃走防止用の鎖に繋がれ、幻覚でも見えているのか、しきりに頭を振っていた。
エングダールの王太子として威光を放っていた姿が、今はもう見る影もない。
「……さようなら」
そう一言だけ告げて去ろうとすると、うなだれていたイデオンが頭を上げた。
「リネアか?」
「……」
「俺に会いに来たんだな」
イデオンの声が歓喜に震える。
「心配するな。今度はお前の代わりに俺が死ぬだけだ。俺たちは運命だから、きっとまた会える。もう一度回帰して、再びお前を手に入れる」
イデオンの願いが独房に虚しく響く。
もう回帰は二度と叶わない。
あれは、オリヴェルが自らの命を削って起こした奇跡だったから。
「さようなら、イデオン。せめて最後に、あなたが孤独の苦しみを理解できますように」
「待て、リネア! 行くな! 俺を置いていくな……!」
ガチャンガチャンと鎖を鳴らして暴れる音がしたが、リネアは無視して独房を後にした。
◇◇◇
「──じゃあ、そろそろ行くわね」
数日後。オリヴェルの体調がようやく安定してきた頃、リネアはリンクヴィストに帰ることにした。
ベネディクトとともにオリヴェルのもとを訪れると、オリヴェルはしみじみとした表情でリネアとの別れを惜しんだ。
「もう帰っちゃうんだね。寂しくなるな」
「またすぐに会えるわよ。ゲートを使えばあっという間でしょう? いつでも会いに来て」
「うん」
リネアとオリヴェルが笑顔で握手する。
すると、オリヴェルがちらりとベネディクトのほうを見た。
「リネアのこと、よろしくね」
「はい、私が必ずお守りいたします」
「約束だよ。じゃないと末代まで祟るからね」
「ご安心ください」
ベネディクトの強い意志を感じる言葉に、オリヴェルが信頼を込めてうなずく。
「リネア、必ず幸せになるんだよ」
「ええ、きっと幸せになるわ」
「絶対だよ。約束の指切り」
オリヴェルが小指を立ててリネアの前に差し出した。リネアも同じように小指を立てて、互いに絡める。
「二人の変わらぬ絆に誓って」
指切りの儀式を終えたあと、オリヴェルがリンクヴィストへのゲートを作った。
「さあ、忘れ物はない? お土産の苺も持った? それじゃあ、一段落したらまた会いに行くから、それまで元気でね」
「ええ、楽しみに待ってるわ。あなたも元気で過ごしてね。本当にいろいろありがとう。大好きよ、オリヴェル」
「うん、僕もずっとずっと大好きだよ」
お互いに笑顔で手を振り合う。
そのままリネアがゲートに入ると、次の瞬間にはもうリンクヴィストのリネアの王女宮の庭に着いていた。
久しぶりの王女宮の空気に少しほっとしていると、ベネディクトが隣でぼそりと呟いた。
「……少し、妬けますね」
「え?」
「リネア様と大公殿下の仲の良さが羨ましいです。もちろん、お二人の間に何があったのかは伺いましたから、どうこう文句を言うつもりはないのですが」
どことなくモヤモヤした様子のベネディクトを見て、リネアがフフッと笑いを漏らす。
「ベネディクトもやきもちを焼いたりするんですね。可愛いです」
「か、かわいい……?」
心外そうに顔をしかめるベネディクトが、リネアにはますます可愛らしく見える。
「安心してください。ベネディクトが頼りなく見えるとかそういうことではなくて、女性には好きな男性がたまに可愛く見えるものなんです」
「す、好き……」
ベネディクトが今度は目を見開いて赤くなる。
案外表情豊かで分かりやすいところが、やっぱり可愛い。
するとベネディクトが、頬は赤く染めたまま真面目な顔でリネアに尋ねた。
「リネア様は、私のことを好いてくださっているのですか?」
「……はい、私はベネディクトのことが好きです。たぶん、けっこう前から」
「本当に……? でも、いいのですか? 私は回帰前、あなたに酷いことをしたというのに……。私を恨まれているのではありませんか?」
ベネディクトが後悔の眼差しでリネアを見つめる。
リネアはそれを受け止め、でもしっかり首を横に振った。
「いいえ。あなたに恨みはありません。あなたはただ国のために進言しただけですし、まさかイデオンがあんな本性を隠していたなんて知らなかったはずですから。それに、今世では私を何度も助けてくれたではありませんか。そんなあなたを恨めるはずがありません」
リネアがベネディクトに微笑む。
その可憐な笑顔を前に、ベネディクトは眩しそうに目を細めた。
「……まだ、お返事を聞いていませんでしたね」
「え? 返事って……」
「あなたの伴侶に誰を選ぶか。結局、レクセル公国での婚約者選びは有耶無耶に終わってしまったので、代わりに今リネア様が答えを出していただけませんか? どんな決断でも必ず従います」
ベネディクトがリネアの前にひざまずく。
その瞳には、ひとつの答えを希う熱が見える。
そして、リネアの胸にも同じ熱が宿っていた。
「……答えは決まっています。ベネディクト、私の伴侶になっていただけますか。一生ずっと、私のそばにいてください」
「もちろんです。何があろうと、一番近くであなたを守ります」
ベネディクトが優しくリネアの手を取って抱きしめる。
その大きく温かな腕に包まれて、リネアはやっと自分の居場所を見つけられた気がした。
◇◇◇
それからリネアとベネディクトは、婚約の報告のため国王マルクスのもとを訪れた。最後に会ったときよりも、マルクスはさらにやつれ、王冠の色もどこかくすんで見えた。
二人が結婚の意思を伝えると、マルクスの顔色が少しよくなった。王家が大変な状況にある中で、シベリウス公爵家との繋がりが強まることに安堵したのだろう。リネアとベネディクトの仲を認め、祝福の言葉まで贈ってくれた。
アグネスの容態について尋ねてみると、一時は昏睡状態だったところからは回復したものの、火傷を負ったときの恐怖からか記憶喪失になったらしい。今は家族のこともすべて忘れ、ただ麻痺石だけを頼りにして激痛から逃れているのだという。
王妃は毎日泣き暮らし、ヘンリクはすっかり辛気くさくなった王宮に嫌気が差して、歓楽街に入り浸っているらしい。
「お前だけが頼りだ。頼むぞ、リネア……」
弱々しい声で懇願する父マルクスに、リネアは無言で辞去の礼をした。
◇◇◇
マルクスへの報告を済ませたあと、リネアはベネディクトと一緒にある場所へと向かっていた。もう一人、早く伝えなければならない人がいたからだ。
「──ええ!? 本当ですか!? まさか夢じゃありませんよね……!?」
大事な報告相手──親友のフレドリカは、リネアとベネディクトの婚約を知った瞬間、洪水のように泣きはじめた。
「そうなったらどれだけいいかと思ってたら、本当に叶うなんて……。お兄様おめでとうございます。リネア様、いえお義姉様ありがとうございます……!」
想像以上に喜んでくれているのがありがたくて、リネアの胸も熱くなる。
するとフレドリカがグイッと涙を拭い、リネアの手を両手で力強く握りしめた。
「リネア様、今日はとってもおめでたい日ですから、お祝いのパーティーをしましょう。ご馳走様をたくさん用意しますので、ぜひ召し上がっていってください。さあ、みんな! お兄様と王女殿下の婚約パーティーよ! 急いで支度して!」
フレドリカの命令で使用人たちが動き出す。
まさか報告後にパーティーの用意が始まるとはリネアも予想外だったが、フレドリカの嬉しそうな顔を見ていると、まあいいかと思えてしまう。
(こんなに賑やかなのは久しぶりね)
公爵家の温かな雰囲気が心地いい。
リネアはベネディクトと顔を見合わせて、楽しそうに微笑んだ。
◇◇◇
──そして、公爵邸でのパーティーを終え、王女宮へと帰る馬車の中。
リネアはすぐ隣に座るベネディクトの顔をじっと眺めていた。
今日のパーティーで初めて知ったことだが、どうやらベネディクトはお酒に強いらしい。ワインを何杯も飲んでいたのに、月明かりに照らされている顔はいつものとおり凛々しく見える。
一方のリネアといえば、つい普段よりも飲みすぎて酔ってしまった自覚があった。
「……リネア様、大丈夫ですか? すみません、リネア様がお酒に弱いことを知らず……」
「いえ、ベネディクトのせいではありません。とても楽しいパーティーだったので、自分でも気づかないうちに飲みすぎてしまったようです」
料理は豪華でどれも美味しく、シベリウス兄妹とのおしゃべりも楽しくて、本当に最高の夜だった。
「こんなに笑ったのは、ずいぶん久しぶりな気がします。ベネディクトとフレドリカのおかげです。ありがとうございます」
満ち足りた気分でお礼を伝えると、ベネディクトが感慨深そうな表情でリネアを見つめた。
「リネア様、半年後に結婚式を挙げましょう」
「えっ、急にどうしたのですか? しかも半年後なんて早すぎでは……」
「いえ、半年でも遅いくらいです。あなたが愛おしすぎて、早く妻と呼びたくて仕方ありません」
「なっ、妻……!?」
「それに……」
ベネディクトが少し切なそうに視線を逸らす。
「大公殿下にもあなたの幸せな姿を見せて差し上げなくてはと思いまして」
「あ……」
オリヴェルは女神の天秤への願いの対価として、自身の寿命のほとんどを差し出した。残りの寿命は1年を切っているが、半年後ならまだ間に合うはずだ。
「……そうですね。小規模で構いませんから、温かくて幸せな式を挙げたいです」
「分かりました。そうしましょう」
ベネディクトがリネアの手に触れ、そっと握りしめる。
「あなたを一生大切にします。私を選んでくださったことを後悔させません。あなたが毎日笑顔でいられるよう精一杯努力します」
ベネディクトの言葉はいつだって誠実で、嘘偽りない。だから心から信じられる。
「ベネディクトと一緒なら、あなたが愛してくれるのなら、私はずっと笑顔でいられるはずです」
「……可愛いことを言ってくださるのですね。あなたを愛さない瞬間はありません」
ベネディクトがリネアに触れ、その唇にゆっくりと口づけた。
優しくて柔らかくて、心が満たされるような口づけに、リネアは幸せな未来を確信した。
「愛しています、ベネディクト」
その言葉に応えるかのようにベネディクトが熱い眼差しを返す。アイスブルーの瞳に灯った熱にくらりと軽い目眩を覚えながら、リネアはもう一度、彼の甘い口づけに身を委ねた。




