72話 師匠の優しさ
気持ちが落ち着くまで、私はもちろん師匠も何も言葉を発さなかった。風によって揺れる木の葉の音、遠くで鳥が鳴く声、パールの気持ち良さそうな「きゅう〜」という声を聞いている内に落ち着き、そっと顔を上げる。目が合うと師匠は優しく目を細めた。私も釣られて笑う。
やりたいことをやってるつもりだったけど、何処かで努力しなきゃいけないという思いもあった。
そっか。頑張らなくても師匠は受け入れてくれるんだね。
なんだか肩の力が抜けた気がする。
「師匠もですよ」
「ん?」
「師匠もいてくれるだけで、私は安心感に包まれて、心が穏やかになります」
気恥ずかしくてちょっと顔が熱いと感じながら言うと、師匠も顔を赤らめた。そして戸惑うように視線を外し、「そ、そうか」と言った。口元は笑みの形だったので、照れているのだろう。その顔を見ているとなんだか私もソワソワしてきた。
な、なんか恥ずかしい。何か話題……
そんな事を思っていたら、満足したのかパールが土から出て私の元へ駆けて来た。
「きゅ〜」
「パール、もういいの?」
「きゅ!」
「洗うのはちょっと待ってね」
「きゅう……」
抱っこされたかったのか、ちょっと待ってと言うとパールは悲しそうな顔になった。とりあえず撫でてあげようと思い、服のポケットから折り畳んでいた水の魔術陣を出してテーブルの上に置いた。私が描いた初級魔術陣だ。土まみれのパールを撫でた後に自分の手を洗うために準備しておく。
私は椅子から降りるとしゃがんでパールの頭を撫でる。パールは嬉しそうに目を細めて「きゅ〜」と鳴いた。私がパールに構っている間、師匠は紙と魔術ペンを取り出し、何やら描いていた。
しばらくしてパールの気が済んだので手を洗おうと思い立ち上がり、テーブルに置いておいた水の魔術陣に手を伸ばそうとしたら、師匠に「待て」と言われた。
「これを使ってくれ」
「何ですか?」
「湯が出る」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
もう秋の3の月なのでしっかり防寒をしていないと庭でお茶をするのも寒いのだ。水で手を洗うのは寒いけど、しょんぼりしてるパールが可哀想だったからまあしょうがないかって思ってたのに、師匠ってば本当に優しい!
私は師匠の心配りをありがたく使わせていただく。師匠は魔術陣を描いてくれただけではなく、魔力を注いで発動し、私が手を洗いやすいように魔術陣を持ってくれた。ハンカチで手を拭っている間に魔術陣は消えていった。
私、複数の属性が一緒になってる魔術陣はまだ描けないんだよね。
にわかに師匠の仕事が手伝えるのか不安になってきた。国一番の魔術師である師匠に来ている仕事だ。初級とは言っても中級に近いものかもしれない。
「……師匠のお仕事の中に、私でも描ける魔術陣はありますか?」
「数はそんなにないが、あるぞ」
師匠の返答に安堵した。
よかった。ちょっとは手伝えそう。
いくら何もしなくてもいいと師匠が言ってくれても、私は師匠のために何かしたい。私がしたいのだ。
それは何か役に立たないと捨てられるとか、申し訳ないとか、見返りが欲しいとかそういう感情からじゃなくて、ただただ純粋に師匠のために何かしたい。
「期日もゆとりがあるし、自分のペースで大丈夫だからな」
「助かります。……それにしてもそんなに初級魔術陣って需要あるんですか?魔術師はみんな描けますよね?」
「初級魔術陣は意外と戦の時に使えるんだ。俺の仕事は国から回ってきているものだから、いざという時のために蓄えているんだ」
「えっ初級魔術陣って戦の時に使えるんですか!?」
私の戦のイメージは、私では描けない上級の凄まじい威力の魔術が飛び交う場所だった。初級魔術陣はお呼びじゃないと思っていた。
「例えば生け取りしたい時とか、長期戦で魔力を消耗したくない時に間断なく発動させて敵の数を減らしたりとか要は使い所次第だな」
なるほど。初級魔術陣を描けるだけでも私の安全性はぐっと上がるようだ。そこではたと思い出す。
「師匠……?じゃあ町に行く時に攻撃力が高そうな魔石いらないんじゃ……?」
襲撃者は生け取りの方が背後を探りやすいだろうし、町や人に被害が出にくいはずだ。
「襲撃者を捕らえて黒幕を潰すのも大事だが、下手に生かして捕縛中にメルに危害を加えられる恐れがあるくらいなら最初から消す」
……いや、捕まえた方がいいのでは?根本を叩いた方が狙われないと思うんだけど……あ〜でも叩きにくい相手だと立派な証拠がいるよね。襲撃者の証言だけじゃ弱いね。
過激だけどそれだけ師匠が私を大切に思ってくれていると思うと素直に嬉しいので、この件はもう深く突っ込むのはやめよう。そうしよう。
うんうんと内心自分を納得させていると、突然館の扉が勢いよく開き、中から何かがつんのめるようにしながら飛び出して地面に転がった。それはなんとヴァレリーさんだった。
え!?何事!?
館の扉の取っ手を握ったままマリーベルが珍しく顔を赤くするほど怒り狂っていた。
「お帰りください!あなたとお話することなんてありません!!」




