第三話
少しだけ俯いた顔をあげ、再び食事を始める。テフザはエリオスが少し渋い顔をしていることに気付いた。エリオスの過去は、温かい昼食の味を、少しだけ薄くさせた。
「なぁエリオス。イデオなんか無くったっていいじゃねぇか。んなモン無くてもお前の目指そうとしてるモンには、きっとなれる。まあ努力次第だがな。」
そう言い残し、昼食を早く食べ終えたテフザは、皿を下げた後、両腕を高くあげ大きく背伸びをすると、受付へ戻っていった。入れ替わるように従業員が用事を済ませて戻ってきた。お腹を鳴らしながら椅子へ座ると、用意された料理を、早速食べ始めた。
「いやテフザさん、また料理の腕あげましたね!この肉の味付けどうやってるんだろう?」
「それ親父に直接言ってやって。すんげぇ喜ぶと思うから。あははは。」
「ふはは。そうですね。あ、そういえばエリオスさん。さっき凄く賢そうな人が落としていった本があるんですが。神話が載ってる本なんですけど。この世界の神話知ってます?」
そう言って従業員が懐から一冊の本を出してきた。きっとこの世界なら、誰もが一度は見たことのあるであろう灰色の本だった。本の淵は擦れて白くなり、掠れたタイトルには『フォティーゾ』と書かれていた。
「いや知ってるけど、それよりもその人に返さないといけないな。もう出て行っちゃったの?」
「そうなんですよ。すぐに後を追ったつもりだったんですが、すぐにいなくなっちゃって。旅人に紛れて見つけられませんでした。」
「見た目はどんな感じだった?食後の運動がてらに少し探してみるよ。」
「えーっと。背はテフザさんと同じくらいで、身なりが良くて、黒いコートを着てました。金縁の眼鏡を掛けていて、黒髪がツンツンって立ってましたね。」
エリオスは昼食を食べ終え、その本を持ってガリニを飛び出す。身なりがいいということから、王都の人間だと推測し、ハドルフ王国の王都の方へ進んだ。
王都の入口付近に、それらしき男が立っていた。見るからに落ち込んでいる様子で、酷く俯き、肩を落としている。その男の周りは明らかに空気が沈んでいた。
「あの、すんません!さっきガリニで本落としていきませんでした?」
男がこちらを振り返り、明らかにテンションが上がって、足早にこちらへ向かってくる。
「うわぁ、ありがとう!恩に着るよ!最初の授業で使う予定だったんだ。さっき鞄を漁った時に無くてさ、もう終わったと思ったよ!」
「そりゃ良かったっすね!その本届けに来ただけなんで、これで失礼します。」
去ってゆくエリオスの背中を見て、男は王都へ向かう。王都の門兵が男を見るやいなや、深く頭を下げ歓迎した。
エリオスは本を渡し終え、ガリニに向かって帰っていた。途中で木陰に入り休憩した。山道には相変わらず爽やかな風が吹く。エリオスは涼しさを感じながら、不意に先ほどの本『フォティーゾ』に書かれた神話を思い出していた。
(たしかあれって、神々や人々の戦争かなんかに巻き込まれた善良な人々を、導いて救ったとかいう神だったよな。全然争い無くなってねぇじゃん。また出て来て救ってくれよ。)
エリオスは立ち上がり、またガリニへと歩き始めた。
山道を下り、もうすぐ到着という時に、カメロ村の手前で盗賊らしき男が旅人を襲っているのが見えた。剣を片手に持ち、腰を抜かした旅人の首元へ差し向けている。どうやらすでに何箇所か斬られ、腕や脚が赤く滲んでいるのが見て分かった。
この平和な場所で初めてそんな光景を目にしたエリオスはどうすればよいか分からず、硬直していた。そして視線を感じたのか、盗賊らしき男の顔がエリオスの方を向く。持っていた剣で旅人の脚を一度刺した後、エリオスの方へゆっくりと近づいてくる。
「おい、そこの青年よぉ。見ちまったからにはしょうがねぇよなぁ?お前さんも金品を差し出しな。」
身体が言うことを聞かず、うまく声を出せなかった。さらに距離を縮めてくる男にエリオスは思考を高速で巡らせる。周囲の反応は鈍く、いつもより遥かに時の流れが遅く感じる。葉は舞い、木は煙のように揺れる。
(まずい。まずいまずいまずい。身体が硬直しちまってうまく動かせねぇ。あの剣の長さは、大体肩から指先までの腕一本分。間合いはまだ。身体が言うことを聞いてくれりゃ逃げられるっつーのに!なんなんだよ!俺死ぬのか?ふざけんなよ、まだ十七だぜ俺は!
ってあれ?本当に遅くなってない?なんだこれ。恐怖とか不安で遅く感じてる訳じゃないのか。これあれか?ゾーンってやつか!俺の体の動きも遅くなってる!って事は…)
思考を大量に巡らせる中、間合いに入った盗賊が剣を振り下ろす。エリオスはその振り下ろされた剣をゆっくりと避ける。相手の動きで次はどこから剣を振ってくるのかが容易に想像できた。
どれだけ剣を振っても当たらないエリオスに、少し恐怖を感じた盗賊はカメロ村の中へ逃げていく。気付いたら元の速さの世界に戻っていた。エリオスは倒れた旅人を背負い、すぐにガリニへ向かった。
ガリニの前にはたくさんの人が集まっていた。人混みをかき分け進むと、ガリニの入口の前で、片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で先ほどの男の頭を鷲掴みにするテフザの姿があった。宙にぶら下がった盗賊の顔は酷く腫れており、頭や鼻、口には赤黒い血がベッタリとついていた。
「おせぇぞエリオス。本はちゃんと届けたのか?」
「あ、あぁ。それより、大丈夫?そいつ。」
「知らん。王都へ連行してくる。お前もその旅人さんを手当てして、直ぐ王都の医者んとこに連れてってやれ。」
テフザはポケットから手を出し、男が手に持っている剣を取ると、そのまま肩に男を担いで、王都の方へ歩いて行った。そしてエリオスは旅人の手当てを始めた。傷口はパックリと裂けて、刺された方の脚からは、まだ血が流れ続けていた。宿屋の中にある包帯で止血し、従業員とエリオスが両脇に肩を貸し王都へ連れて行った。
盗賊と怪我人をそれぞれ引き渡し、エリオス達とテフザは王都で合流した。従業員はまだ用事があると先にガリニへと帰っていく。その後二人は少し王都を歩いた。
「なぁ、親父。実はさっき、あの盗賊に襲われてさ、襲われた時になんか、周囲がこう、ぐわーって遅くなった感じがあって。いやもちろん俺もその遅い中の一部なんだけど、意識だけはその遅くなった世界を認識してた。みたいな感覚になってさ。」
「お前、それまさかイデオか?」
「いや、でも親父のイデオと違うじゃん。イデオは遺伝で決まるし。だから多分違うと思うんだけど。」
テフザはその言葉に少しため息を吐き、空を見上げた。なぜかその横顔は少し寂しそうで、しかし嬉しそうでもあった。そして二人は、夕日で木の影が伸びる山道を下り、ガリニへと向かった。




