1-20 黒点
「大丈夫?」
「ゲホゲホゲホゲホ――」
駆け寄りかけると、サイアは片手を後ろに突き出して拒絶の印をみせてきた。
その手が顔に当たりそうになり、慌ててイルヴァは足を止める。
すぐに、離れていたリクハルドが走り寄ってくる。
そちらを見て安堵しながら。
イルヴァは、当惑してしまった。
――何、これ?
今の弾みで、思わず気配察知を発動してしまったらしい。
周囲にいる人数分の位置を表す点が、頭の中に浮かぶ。
それはいいのだが。
同時に、すぐ傍にいるサイアの体内に妙な黒い点が見え出したのだ。
胸の付近だろうか。小さな黒い点が不気味に震え、鼓動するように伸縮をくり返している。
――何これ、気持ち悪い。
思うと。これもまた思わず、そんなもの消えてほしいという意識が働いたみたいだ。
無意識のまま、イルヴァはそれへ向けて収納を念じていた。
何の気なしというか、本気で実行できるつもりはなかったのだが。
――できて、しまった。
小さな黒い点が、サイアの体内から収納空間に移動している。
地面に取り出して確かめると、幼児の指先より小さい黒い石のように見える。
さっき感じた不気味さはなく、微動もせずただ転がっているだけだ。
「ゲホゲホゲホゲホ――」
「大丈夫か、サイア、落ち着け」
横では、リクハルドが少年の背を摩っている。
何度も摩られ、次第に咳き込みは収まってきたようだ。
「ゲホゲホ――」
「もう大丈夫だ、ゆっくり息をしろ」
落ち着いてきている傍の様子と裏腹に、イルヴァはたいへんなことをしてしまったと顔色をなくしていた。
人の身体の中にあったものを、勝手に取り出してしまった。どんな重大なことが起きるか、分かったものじゃない。
だいたいこんなこと、本来ならできるはずもないのだ。
収納は、その対象の一部でも見えていないと実行できない。今の場合気配察知で見つけただけで、まったく実際には見えていなかったはずだ。
――もしかして魔力を感知して、見たのと同じことになった?
気配察知は魔力を見つける作用のはずだ。
今さっき黒い点を見つけたのも、それが魔力を持っているせいと思われる。
こんな動物以外の魔力を見つけたのは初めての経験だが、何かそれが想像しない結果になったということか。
とにかくそんなことより今の最善を考えよう、とイルヴァは頭をフル回転させた。
誰もこちらを見ていないのを確かめ、地面の黒い石を収納取り出しでサイアのすぐ傍に寄せる。
子どもの咳き込みがほぼ収まって、リクハルドは安堵の様子になっている。
「師匠」
「ん、何だ」
「そこの、それ」
振り返った青年に、地面の黒石を指してみせる。
大柄な男は、眉を寄せて地面を見つめた。
周囲の土の色などとは違う、明らかな異物だ。
「何だ、これは」
「さっきサイアが咳き込んで、口から出てきたんだと思う」
「何だって?」
屈み込んで一点を凝視するその顔が、ますます顰められてくる。
しばらく考え、懐から布を取り出してその石を包むように摘まみ上げた。
「これは――何かの魔核――欠片か?」
「魔核って?」
「魔獣が体内に持つもので、魔道具や薬剤などに使われる――んだが……。いや、調べてみなけりゃ何とも言えん」
「そう」
あまり不用意な口を利きたくないようで、リクハルドは言葉を切っていた。
イルヴァも無理にその先を尋ねようとしない。
とにかくも魔核だとしたら、魔獣の体内にあるもので人間が宿しているはずはないということになるのだろう。
そうするともしかして、何者かが目的を持って密かにサイアに飲ませたという可能性も出てくることになるのか。
そのサイアは地面に座り込んだまま、すっかり息遣いも落ち着いたようだ。
布に包んだ石を懐に入れ、リクハルドは腰を上げていた。
「とにかくニーロ、教えてくれてありがとうな。サイア、気分はどうだ」
「何か……胸の辺りのつっかえ、なくなった感じ、する」
「てことは、苦しいのが消えているのか?」
「かも……よく、分かんない」
「そうか。とにかくまず、家の中で休め」
「……うん」
抱きかかえるようにして、村長の家に入っていく。
しばらく遠巻きに様子を見ていた子どもたちは、やや安堵の様子で顔を見合わせている。
首を傾げながら、ヤルモが尋ねてきた。
「結局、何があったんだ?」
「よく、分かんない。サイアが咳き込んで、その後少しよくなったみたい」
「そうなんか」
年長少年は、しきりと首を捻っている。
子どもたちにさっきの黒い石はよく見えていなかっただろうから、サイアが少しよくなったという顛末は理解できていないだろう。
それでもそれ以上説明もできず、イルヴァも一緒に首を捻るしかない。
この日も遊びに移る気になれず、そのまま村を去ることになった。
翌日稽古場に赴くと、子どもたちはいつもの走り込みをしているところだった。
見ると変わらず遅れ気味ながらもサイアは、他の子たちに何とか食らいついているようだ。
「こんにちは、師匠」
「おうよく来た、ニーロ」
「サイアは体調、大丈夫なの?」
「ああ。昨日のあの後からは、咳も出ていない。何だかずっと胸の辺りにあった嫌なものが消えて、息もしやすく身体を動かしやすくなったみたいだ」
「それは、よかった」
「ああ。それにしてもニーロ、昨日の魔核みたいなものについては誰にも言わないでもらいたい。あれがこれまでの不調の原因なのかどうかはっきり分からない、今のところ調べようもないんでな」
「分かった」
少しして、指導者は稽古開始の呼集をした。
走り込みを終えた一同が集まり、一斉に素振りを始める。
「九十八、九十九、百!」
「やったーー!」
女児二人とイルヴァは昨日達成した回数を再現し、納得の頷きを交わす。
横でサイアも、三人には及ばないものの今までより回数を伸ばしているようだ。見るからにいつもより顔色もよく、健康的な汗を浮かべている。
一通りの素振りを終えて、ヤルモがサイアの背を叩いていた。
「やったじゃないかサイア、自己記録更新」
「ああ、何とか」
「このまま、伸ばしていこうぜ」
「おう」
その後の足運び稽古も、みんな揃ってこなすことができた。
稽古が終わった後の摺り足鬼ごっこにもサイアは加わって、全員で賑やかに笑い合うことになった。




