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第44話:聖女の絶唱、作家の自爆

2026年11月某日。都内の大手スタジオ。


 オーディション会場の空気は、張り詰めた弦のように鋭い緊張感に満ちていた。


 俺――銀凪綴は、壁の隅っこで存在感を消していた。

 今日、俺は原作者という立場を忘れ、ただの「一人のオタク」としてここにいる。


 「――次の方、花守さん。お願いします」


 扉が開き、彼女が入ってきた。

 その瞬間、スタジオの照明が少しだけ明るくなった気がした。清廉、という言葉を擬人化したような立ち居振る舞い。俺が何年も、配信の合間や執筆の疲れを癒やすために聴き続けてきた、あの声の主。


 花守さんが俺の座る審査員席の方へ礼をする。俺は条件反射で椅子から飛び上がり、深々と、腰が折れるほどの角度で頭を下げた。


 「……お、お疲れ様です! 本日は、あ、あの、ご多忙の中、その……お越しいただき、本当に、あ、ありがとうございます!!」


 声が裏返った。

 自分のことながら、情けない。だが、目の前には本物がいる。


 花守さんは少し驚いたように目を丸くし、それからふわりと微笑んだ。


 「銀凪先生ですね。いつも素敵な作品をありがとうございます。今日という日を楽しみにしておりました」


 「ひっ……!! あ、あ、あ、あの! こ、こちらこそ……ッ!!」


 顔が熱い。頭の中が真っ白だ。

 尊い。尊すぎる。語彙力が消失し、ただ敬語を並べることしかできない俺の姿を、隣で見ていた一条さんが、呆れと微かな笑いを混ぜた声でこう言った。


 「……先生。……先ほどまでの、冷徹な作家の面影はどこへ消えたのかしら? ……お見事ですわね、完全なるガチオタですね」


 「……っ!? い、一条さん……! 声、声がでかい!」


 顔から火が出るどころか、脳が蒸発しそうだった。

 一条は楽しそうに、そして少し意地悪な瞳で俺を眺めている。そんな俺たちのやり取りを、花守さんは「仲が良いんですね」と朗らかに笑って受け流してくれた。


 それからのオーディションは地獄と天国だった。

 彼女がマイクに立ち、聖女の台詞を紡ぐ。


『――あはは! まだそんなことを言っているの? この汚らわしい豚が。死になさい、無価値なゴミクズのように!』


 耳から入る清らかな音色と、頭に突き刺さる罵倒の言葉。

 その絶妙なコントラストに、俺は一人で悶絶していた。


 あまりの幸福に息が止まりそうになる俺を見て、一条が「……先生、過呼吸ですわ」と呆れ顔でペットボトルの水を差し出してくれるのが、この日のデフォルトだった。


 その夜。

 

 俺は敗北感と高揚感が入り混じったまま、配信のスイッチを入れた。


 「……よぉ。……今日は、もう、何も聞くな」


 俺がそう切り出した瞬間、待ってましたと言わんばかりに一条のアカウントがコメント欄を制圧した。


【コメント欄】

:[親衛隊長]:みなさま、お疲れ様です。……今日、スタジオで先生が「花守様」の前で見せた、あの直立不動かつ支離滅裂な敬語の嵐を、ぜひ皆さまにも共有したくてですね。……あんなにピュアなガチオタ綴さん、私も初めて見ましたわ。

::綴さんガチオタだったのかww

::想像できるwww 綴さんの敬語とかw

::[Niki_from_USA]:Tsuzuru is a fanboy? I love it! (綴もオタクか? 最高だ!)

:[ルナ]:[解析完了] senseiの脳内ドーパミン量、現在通常時の300%です。……完全に推しにやられています。

::綴さん、何か言えよwww


 「……お前ら、一条さんを煽るな! ……それに、あれは敬意だ! 聖女役への対面なんだから、礼儀作法は必須だろ!」


 俺が真っ赤になって怒鳴ると、コメント欄はさらに加速した。


【コメント欄】

::礼儀作法ww

::綴さん、推しの前でデレデレじゃねーか!!

:[ござる]:「綴殿、花守殿の罵倒を聴いて悦に入っていたと聞いたでござるよ! 拙者も聴きたかったでござる!!」


 「……もういい! お前ら、聖女の話は終わりだ! ……それより、重大な発表がある。……話題作りのために、俺がアルベルトの役を吹き込むことになったんだ」


 一瞬、空気が止まる。


【コメント欄】

::は?

::綴さん、自分を過大評価してないか?

:[軍師]:……綴、正気か? お前、演技の経験はゼロだぞ。

:[親衛隊長]:……皆様、言いにくいのですが……今日、スタジオでそれを録ったんです。……聴かれますか?


 一条さんが、いたずらっぽく送信ボタンを押す。

 スピーカーから、俺の「渾身のアルベルト」が流れた。


 『――よう……こそ。神の……いない、自分……勝手な愛……だけの、せ、世界へ……』


 ……流れた。俺の、棒読みすぎる声が。

 あまりの破壊力に、スタジオの時が止まったあの時間が、そのまま全国配信されている。


【コメント欄】

::wwwwwwwwwwwwwwww

::綴さんwwwwwwww

::棒読みすぎて草

:[France_Niki]:Is this a joke? Alberto sounds like a sleepy robot! (冗談か? アルベルトが眠そうなロボットみたいだ!)

::綴さん、ペン以外持たないでマジでwwwwwww

:[親衛隊長]:ちなみに、直後に私が「先生、流石になしです」と申し上げたら、先生はそのまま椅子から崩れ落ちて冬眠に入りました。


 「……ああああぁぁぁぁぁぁっ!! 消せ!! 今すぐその音声を消せ!! ……お前ら、笑うな! 必死だったんだよ!!」


【コメント欄】

::綴さん、逆ギレwwwww

::歴史的大爆死w

::綴さんの大根演技、逆にアニメの伝説になりそうwww

:[クロエ]:……綴、あんたのアルベルトの絵は私が描くから、声はプロに任せなさい。……今のを聞いて、私は逆に安心したわ。あんたも人間だったのね。


 「……くそっ! ……プロレスか! お前ら全員プロレスしてるだけだろ! ……見てろよ、アフレコはダメだったかもしれないが、俺の『物語』は、ここからが本番だ! ……アルベルトの声はプロに任せるが、あいつの魂は、この俺が……この大根役者が、最高の呪いにしてやるからな!!」


 コメント欄を埋め尽くす「草」と「W」の嵐。

 俺は顔を真っ赤にしながら、それでも、この暖かくて、そして容赦のないリスナーたちとのやり取りが、たまらなく愛おしかった。


 「……よし、お前ら。……笑うだけ笑ったら、明日はアニメの音響ハックの準備だ。……綴さんの無様な姿、しっかり目に焼き付けておけよ。……ここからが、本当の『ざまぁ』の始まりだ!」


 その日の夜は、俺の屈辱とリスナーの爆笑、そして一条さんの冷徹な笑い声と共に、深々と更けていった。



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