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第30話:100万部突破記念。6万人の公開懺悔

「……一条さん。本当に、やるんだな」


 2026年4月30日、午後19時50分。

 いつもの自室。俺は、一条さんから送り込まれた特殊なコンタクトレンズ型デバイスを両目に装着していた。

 これは俺の網膜が捉える映像を、0.01秒の遅延もなくデジタル信号へ変換し、軍師が構築した「ジャック・サーバー」へと転送する特注品だ。


 「ええ、先生。準備はすべて整いましたわ。……新宿、渋谷、道頓堀、名古屋、福岡……。全国主要都市、合計108か所の大型ビジョン。そして、現在ミーチュで待機している50万人の視聴者。……すべての準備は、貴方の『眼』を待っていますの」


 一条の声は、震えていた。それは恐怖ではなく、歴史が動く瞬間に立ち会う興奮だ。


 「……よし。……軍師、回線を開け」

 「……了解。カウントダウンを開始する。……3、2、1。……コネクト。」


 視界の端に、青い文字が点滅した。


 【SYSTEM: ALL VISIONS SYNCED / AUDIENCE: 521,402】


 その瞬間、日本中の大都市が「静止」した。

 新宿のアルタ前、渋谷のスクランブル交差点。そこにある巨大なモニターたちが、一斉にノイズを吐き出し、そして――一人の男が見ている、「ありのままの風景」を映し出したのだ。

 ビジョンに映し出されたのは、豪華なスタジオでも、着飾ったVのアバターでもなかった。

 それは、どこにでもある、少し散らかった地方の独身男の部屋。

 使い古されたキーボード、飲みかけのエナジードリンク、そして、足元で眠そうにこちらを見上げている一匹の犬の姿。


【コメント欄】

::……え? これ、マジで綴の視点なの?

::犬、めちゃくちゃ可愛いんだが……。

::なんか、普通すぎて逆に怖い。この部屋から、あの地獄が生まれてたのか……。

:[軍師]:……フッ。これこそが、世界が初めて目にする『毒の源泉』だ。


 俺は立ち上がり、窓の外へ視線を向けた。

 ビジョンには、夕闇に沈む綺麗な空が、どこまでも穏やかに映し出される。


「……日本中のみんな。……聞こえるか。……銀凪綴だ」


 俺の声が、日本中のビジョンから、地響きのように街へ降り注ぐ。

 歩きスマホをしていた若者も、家路を急ぐサラリーマンも、全員が足を止め、空を見上げた。


「今、俺が見ているこの景色は、お前たちが『退屈』だと切り捨ててきた日常だ。

 ……平和で、穏やかで、何の変哲もない。

 ……だが、俺はこの景色を見ながら、アルベルトが聖女を憎悪するシーンを書き、お前たちが顔を背けるような絶望を練り上げてきた。

 

 ……なぜか分かるか?

 

 この平和の裏側に、お前らが隠している『毒』が、俺には全部見えているからだ!!」


 俺は視線を再びモニターに戻した。

 そこには、軍師がリアルタイムで集計している、あるハッシュタグの集計結果が映し出されていた。


 【#日本一汚い公開懺悔】


「お前ら。……書籍100万部、アニメ化、そんなもん俺にはどうでもいい!!

 ……今夜、俺が欲しいのはお前らの『本当の言葉』だ!!

 

 聖女リリカルのように、綺麗な笑顔で隠しているその裏側で、お前らが何を憎み、誰の死を願い、どんな罪を犯してきたか……。

 ……今、このビジョンに、お前らの絶望を書き込め!!

 

 この国を、一晩だけでいい……世界で一番正直な『地獄』にしてやろうじゃないか!!」


 その瞬間、爆発が起きた。

 一条が用意した特設サーバーに、日本中から「匿名」の告白が濁流のように流れ込んだ。

 そして、軍師のプログラムによって、その告白たちが全国のビジョンに、綴の視覚映像を背景にして次々と刻まれていく。


『不倫相手の子供を、呪い殺したいと毎日思っている』

『会社を倒産させたのは、社長の俺のギャンブルが原因だ。社員には黙って夜逃げする』

『いじめを見て見ぬふりをした。あの子が飛び降りた時、心のどこかで「せいせいした」と思った』

『大好きだったはずの母の介護が苦しくて、枕を押し当てようとしたことがある』


 新宿の、渋谷の、道頓堀の空に、おぞましい文字の群れが躍る。

 見上げている人々から、悲鳴が、啜り泣きが、そして異常な熱狂の混じった笑いが漏れ始めた。


【コメント欄】

:[剣呑]:……おい、マジかよ。これ、街中で流してんのか?

:[剣呑]:日本中が、アルベルトの脳内になっちまったみたいだぜ……。

:[ござる]:「ぬおおおお!! 拙者の胸の奥のモヤモヤも、今ここで吐き出すでござる!! 拙者、本当は……本当は……!!」

「……いいぞ!! もっと出せ!! もっと吐き出せ!!」


 俺は、ビジョンに映し出される膨大な「絶望」の文字を、自分の網膜に焼き付けた。

 その一つ一つが、俺の魔力(文字)の糧になる。

 

 「……これだ。……これが、俺が見たかった『景色』だ!!」


【コメント欄】

:[親衛隊]:……先生。

:[親衛隊]:……見ていらっしゃいますか? 警察も、自治体も、あまりの事態に動揺して手が出せていませんわ。

:[親衛隊]:今夜、日本中の『聖女(建前)』が死に絶えました。……残ったのは、貴方が愛する、美しき絶望のともたちだけですわ。


 ビジョンの前で、見ず知らずの人間たちが、互いの絶望を共有し、抱き合って泣き始めていた。

 それは、一種の宗教的熱狂だった。

 『せいまも』という物語を媒介に、隠し続けてきた自分の闇を肯定された人間たちの、魂の咆哮。


「……お前ら、よくやった。……よく吐き出した。

 ……お前らは、もう一人じゃない。

 ……この絶望を抱えたまま、明日からもクソみたいな日常を生きていけ。

 

 俺が、その続きを書いてやる。

 

 アルベルトは、お前らだ。

 そして、お前らを救わないのは、俺だ!!

 ……救われないからこそ、俺たちは自由になれるんだよ!!」


 配信開始から1時間。

 日本中のトレンド、そして世界のニュースは、この「ビジョン・ジャック」一色に染まった。

 『銀凪綴』という名前は、単なるWeb小説家を超え、時代を象徴する、あるいは破壊する「象徴」へと進化した。

 俺は、網膜のデバイスをゆっくりと外した。

 視界が急に暗くなる。

 

 「……終わったな」

 「いいえ、先生。……始まったのですわ」

 一条の声が、暗闇の中で響く。

 

 「100万部の重み。6万人の懺悔。そして、日本中を震撼させたこの『事件』。

 ……これらすべてを燃料にして、先生、貴方に書き上げていただきますの。

 ……明日。……この狂乱の果てに待つ、『せいまも』第1部の完結。

 【第30話:女王の葬列】を!!」


 俺は、震える手でキーボードに指を置いた。

 脳内には、今、日本中の街で見せられた、数十万通の「本物の絶望」が渦巻いている。

 

 (……書ける。……今なら、神崎三郎にも、世界中の誰にも書けない、究極の『毒』が書ける……!!)

 窓の外、空に美しい月の光が差そうとしていた。

 だが、その光は、もう誰にも届かない。

 俺が書き上げる絶望の闇が、この世界を永久に塗り替えてしまうから



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