3.
それからのキャシー・ワルツァーの変わりようといったらなかった。
翌日の誕生日パーティーは、前日までのはしゃぎようはなんだったのかと思うほどしおらしく、謙虚に来賓たちへ礼を尽くして回る。
お披露目に緊張する義弟をハラハラと心配げに見つめては、無事に迎えられて戻ってきた義弟を「よく頑張ったわ、偉いわ」と目を潤ませて褒めそやす。
普段の彼女を知る両親やその縁者は、下の兄弟を得た子どもはこんなにも急に成長してみせるのかと驚きを隠せなかった。
これまで息をするようにしていた駄々は鳴りを潜め、使用人にもこれまでの非礼を詫びて回る。
クソガキ☆キャシーちゃんは、名実ともに優秀なキャシーちゃんへと成長していた。
日が経つうちに、初対面では緊張していた義弟デイビッドも、家の中で一番年が近く、積極的に仲良くしようしてくるキャシーに徐々に懐いていった。
これには良い子になったキャシーもやぶさかではないどころか大歓迎である。
これまでは毎日を教師からの勉強を受ける以外は、屋敷の中で自由奔放に振る舞って過ごしていた彼女は、相変わらずの暇に任せてデイビッドと彼の乳母を庭や屋敷中に連れ回し、やがてデイビッドが本へ興味を持つと分かると、自身が読み聞かせてもらっていた絵本や図鑑を自室でデイビッドへ見せてやることに注力した。
「ねぇね、これは?」
「これはネズミさんよ」
「これは?」
「これは虎さん、ネズミさんより大きくて強いわ」
「ねぇねすごいね」
「す、すごいなんてそんな、ああ、笑顔がまぶしい……」
二人は今日も仲良く食事をし、庭を元気に散歩したあとは部屋へこもって仲良く遊んでいる。
これには使用人一同ニッコリだ。
義弟であるデイビッドの登場によって、傍若無人なキャシーの振る舞いが鳴りを潜めた時は皆が疑った目を向けてしまっていたが、やがてキャシーが心を改めたと分かるとそれまでの反動のように使用人たちは子ども二人を慈しんだ。
新しい環境に慣れようと健気に日々を暮らす幼子のデイビッド。
持ち前の優秀さに加え、義弟を労り愛でる心を持ち合わせた幼い令嬢キャシー。
二人が揃ってやることを、ワルツァー侯爵家の者みなが心温かく見守る毎日が続いた。
デイビッドがワルツァー侯爵家へやって来て半年ほどが経った。
デイビッドがやってきたのは秋も深まった頃のことだったが、年も越し、近頃はポカポカと随分春らしい陽気だ。
デイビッドはワルツァー家へ馴染み、可愛がってくれるキャシーにすっかり懐いた。
先日二歳の誕生日を迎えたデイビッドには、これまで寝起きしていた間に合わせの客間に代わり、自室が与えられた。
それでもキャシーの部屋で彼女と過ごしたいのだとキャシーに付いて回る様はなんとも愛らしく、また、キャシーが大喜びで招き入れるものだから二人はいつも一緒だった。
今日は週に一度の教師の来ない日だ。
二人仲良く朝食をとったワルツァー家の姉弟は、「ねぇねとごほんがよみたい」と言う弟の鶴の一声で現在はポカポカと日の当たる父親の書斎を借りて絵本を広げているところだった。
義弟がやってきてから、前にもまして勉強に集中するようになった姉のキャシーはまだ五歳だというのに、弟へ絵本を読み聞かせてやるくらい造作もなくやってのける。
父親に合わせたサイズで誂えたこの部屋の椅子やソファーは二人には大きく、二人は窓辺に敷かれた毛足の長いふわふわのラグの上へ絵本を広げ、覗き込むように座ってそれを読んでいた。
「『虎さんはそうしてネズミさんを守りきると、わるい魔法つかいにつかまったウサギさんを助けるため、いたむ体にむちうって走りだしたのです』」
「とらさん……。がんばえ……」
「『虎さんがむねのほうじゅのネックレスをつかむと、まぶしいほどの光がこぼれます。そこにあらわれたのは虎のお母さんのすがたでした』」
「おかあさん……? しんだはずじゃ……?」
「『いとしいわが子、今こそしんの力を見せるのです。虎のお母さんがそう言うと、虎さんの体が光につつまれ、虎さんはスーパートラヤ人になっていました』」
「う、うわあ……! とらさん……!」
そこまで読むとキャシーは本を閉じ、「今日はここまでよ」とデイビッドの頭を撫でる。
デイビッドは少し残念そうなのは隠さなかったが、明日も読んでもらえると分かっているのだろう、「うん」と笑顔を返した。
キャシーは残念そうな義弟の様子に可哀そうになり、「少しくらい続きのお話を教えてあげようかしら、アニメの次回予告みたいに」と思った。
そしてハタと動きを止めた。
「あ、私、前世の記憶あるわ」と。
前世の関西人女子大学生の記憶と人格を思い出したキャシー。
なのでもちろん「記憶あるわ」は関西弁の発音である。
呆然としたのたのも束の間、しかし目の前の天使に心配をかけるという選択肢はキャシー・ワルツァーにはない。
内心で、自身の優秀さや義弟と出会ってからの変化の原因が転生のせいかと符号しながらも、その動揺をおくびにも出さずに幼い義弟と手を繋ぎ自室へと戻った。
自室に戻ってお茶とお菓子を用意してくれたメイドにお礼を言う。
キャシー・ワルツァーが態度を改めてからというもの、使用人のキャシーへの尽くし方にも変化が現れていた。
以前であればキャシーが希望を出し、その内容によらず使用人たちはその通りに動いていたが、今ではキャシーたちの次の行動を読んで今のように予めティーセットを用意してくれたりしている。
今日は少し温かいから、とハーブティーは冷まされ、お菓子も多少塩気の効いたものが用意されている。
いたれりつくせりだ。
「ねぇね、がまんだめ」
「大丈夫よ、ほら、デビー笑ってちょうだい」
顔には出していないはずなのにと、デイビッドを心配させていることに焦る。
デイビッドの乳母もなんだか心配したようにキャシーを見ている。
キャシーは仕方がないと思い直し、「お姉ちゃん少しお昼寝がしたかったの、分かっちゃった? 恥ずかしいわ」と誤魔化した。
「でびーがいっしょに……、ううん、ねぇね、おきたらまたあそぼーね」
いつもは一緒にお昼寝したがるデイビッドは、何か姉の普段と違う様子を感じ取っていたのか、今日は一度自身の部屋へ戻ると自ら告げた。
その健気な様子に、キャシーもそばで控えていたメイドもたまらない気持ちになったが、乳母は胸打たれたように震えると「坊っちゃんご立派でございます」と自身の口元をハンカチで押さえながら彼と共にそそと部屋から下がっていく。
廊下へ出て部屋の扉を閉めながら彼女もキャシーへ労るような視線を向け、軽く会釈をしていった。
デイビッドにしろ、彼の乳母にしろ、一日のほとんどを共に過ごしているからだろうか、随分機微に敏いものだと感心しながら、キャシーはメイドが用意してくれた部屋着に着替えて横になった。
メイドもデイビッドや乳母の様子になにか察したのか、気遣わしげにしていたが「何かあればお呼びください」と告げて部屋を後にした。
さて、一人になって考えなければならない。
この前世の記憶についてだ。