2-14 聞いて下さいまし!
ネモフィラは、どこか不満げな表情で――それでも優雅さは失わぬ足取りで局内を行く。
目指す先は、彼女の婚約者である第二王位継承者のクレマチスの執務室だ。
既に退勤時間ではあるが、おそらくまだ残っているだろうと踏んでの事だった。
赤い絨毯を踏み、まだ仕事をしていた警備員の横をすり抜け、どんどん奥へと進む。
やがて目的の部屋の前まで来ると、コンコンとノックする。
ドアはまるでネモフィラが来る事を既に知っていたかのように、ひとりでに開いた。いや、ひとりでに、ではない。
ドアを開けたのは、クレマチスの従者である、モルセラだった。
従者であると同時に優秀な管理官でもある彼は、就職管理局の制服に身を包み、肩には十二枚の管理官の階級章がついている。
少し長い茶色の前髪の隙間から覗く、鋭く赤い瞳がネモフィラを冷たく見ていた。
「クレス、聞いて下さいまし!」
けれども臆する事なく、ネモフィラはドアを開けたモルセラを無視し、その先の大きな机の前に座ったクレマチスの元へと駆け寄る。
今はすっきりしている机の上も、ほんの少し前までは大量の書類が積み上がっていたのだが、彼女にそれを知る術はなく、故に婚約者の疲れた顔などお構いなしだ。
「ジギタリスさんったら、酷いんですのよ」
「……モル、フィラに椅子を」
「お言葉ながら」
語りだしたネモフィラを前に、クレマチスは彼女が座る為の椅子を頼む、ところが、従者であるはずのモルセラは、扉を閉める以外では動く様子を見せない。
「彼女を招きはしましたが、クレマチス様はたった今仕事を終えられ、お疲れです。それを婚約者と言えども、疲れを増長させる者をここに長居させる様な措置は如何なものかと」
「モル、フィラに椅子を」
「……はい、承知致しました」
椅子を差し出さない理由は、結局全て無視されてしまった。だが、モルセラは表情一つ変えずに椅子を用意し、ネモフィラの元へと置く。
そして自身はクレマチスの斜め後ろに姿勢よく立った。
ネモフィラは椅子に腰かけると、「お疲れですの?」と、今更ながらクレマチスに尋ねる。
言いたい事がある、が彼女の中の優先順位の中で一番にきていたせいで気付かなかった。だが、少し冷静になり、クレマチスの疲労感には気付けたようだ。
「気にしなくてもいいよ。それで、ジギタリス君がどうしたんだい?」
「あの方、とっても怒りますの!」
「……怒る、か」
今まさに怒っているのはネモフィラの方なのだが、と、クレマチスは小さく息を吐きだしてから彼女を見つめた。
優しげな表情を浮かべてはいるが、内心では、滅多に怒りをあらわにする事の無いジギタリスをどうやって怒らせたのか、という事を考えている。
「というか、今日行った何でも屋アルベルトというお店は酷かったんですのよ」
「何が酷かったんだい?」
聞き返されれば、待っていましたとばかりにネモフィラは口を開いた。
行った瞬間から、だらしのない所長が約束の日を忘れていた。13枚の大魔法使いだが調書を取りたくなかったから、10枚の大魔法使いに話を聞こうとしたが、何故かずっと叱られた。軽薄な仲間の13枚は、ずっと1枚の魔法使いとベタベタしていた。などなど、一日あった事をひたすらに喋る。
「フィラ、その大魔法使いや魔法使いの名前は?」
「……覚えていませんわ。関係ありませんもの」
「それじゃあ、俺にはフィラが悪かったようにしか思えないな」
「まぁ! クレスまで!」
憤慨するネモフィラに、クレマチスはゆっくりと語る事にした。
その前に、と、モルセラに「お茶を出してくれ」と頼んだ。
「しかし、クレマチス様。貴方様の疲労もありますし、こんな所でこんな方の訳の分からない話に時間を割く必要はないと思いますが」
「モル、お茶を」
「……承知致しました」
モルセラは、またしても苦言を呈したが、あえなく沈没。仕方がなくお茶を淹れる為にほんの少しだけ部屋を離れていく。
「相手を一人の人として接していかなければ、きっと君はこのままだ」
「わたくしがこのままではいけませんの?」
「お仕事をしていく上では、駄目だね」
ネモフィラは不機嫌そうに眉を顰めた。
「でも、わたくしはちゃんと良い子でお話を聞いてきましたわ」
「誰のお話かな?」
「……皆さんですわ」
「皆さん、ね」と、クレマチスは口の中で転がしたが、ネモフィラは気にする事なく続ける。
「学校でもちゃんとお話を聞いてきましたもの」
ここまでくれば、彼女が一体何の話をしているのか、合点がいった。
それなりの地位に居ながらも、残念ながら素直すぎるほどに素直な彼女は、幼い頃に周りの言動に振り回されてしまっていたのだ。
クレマチスは勿論、公には出てこないカサブランカ、更にはネモフィラの姉であるアネモネは上手く立ち回る事に成功していたのだが……。如何せん、幼い頃のネモフィラは素直すぎて、『良い様に使う』為の王族にされてしまったのだ。
「精術師より、1枚より、13枚が偉いのでしょう?」
「……それ、は」
「わたくし、ずっとそう言われて来ましたわ」
真っ向から否定する事も出来ずに、クレマチスは口ごもる。
「精霊なんて居ないのですわ。皆そう言ってましたもの。わたくしも居ないって言ったら、皆喜んでいましたもの」
どう反応したものかとたじろいでいる内に、ネモフィラは続けた。
「わたくしは、他の皆よりも立場が上なのでしょう? ずっとそう言われていましたもの」
しかしこのままでいい筈も無い。意を決して、クレマチスは口を開く。
「……それじゃあフィラは、俺よりもブランが偉いと思うかい?」
「そんな、まさか!」
「どうして?」
ゆっくりと尋ねると、二人の前に淹れたての紅茶が置かれた。モルセラだ。
彼は紅茶を置くと、またクレマチスの後ろに佇んだ。
「フィラが皆よりも偉いのなら、第二王位継承者である俺は、第四王位継承者であるフィラよりも偉いんだろう?」
「……そうですわね」
「それじゃあ、第一王位継承者であるブランは、俺よりも偉い事になってしまう」
情報をゆっくりと言い聞かせるようにするも、彼女は不満げに紅茶に口をつける。
「……納得がいきませんわ」
「今のフィラの、納得のいかない気持ちを、何でも屋の方々に味わわせてきてしまったんじゃないのかい?」
彼女がカップを置いた事で、茶器が小さな音を立てた。
「でも、精術なんて……」
俯いた彼女の顔は、今にも泣きだしそうだった。
「精術と言えば!」
「え、あ、う、うん」
このまま泣いてしまうか、と、不安げに見ていたクレマチスだったが、突然顔を上げられてビクリと肩を揺らす。
「ジギタリスさんが、手品っていう魔法を使いましたの!」
「それは魔法じゃないね」
一体彼女の頭の中で、何がどう繋がったのか。動揺を隠す為に彼もまた紅茶を一口すすった。
「……精術ですの?」
「手品だよ」
呆れた様に返せば、彼女はきょとんと首を傾げる。
「手品って、何ですの?」
「種も仕掛けもあるエンターテイメントかな」
「……?」
どうにも理解出来ていないらしい。
「魔法でも精術でもない、何かですの?」
「う、うん、まぁ」
他にどう説明したらいいかも分からず、クレマチスは頷く。
「……お茶を飲んだら、帰りますわ」
「帰るときは送るよ」
「ええ!」
今までの会話からは想像もつかない程、ネモフィラは明るく振る舞った。そこでクレマチスは気が付いた。
これは空元気であると。
「しかしクレマチス様」
「モル、婚約者を家に送り届けるくらいの甲斐性を、俺から奪うつもりなのかい?」
「……申し訳ありません。出過ぎた真似を」
たまに暴走しそうになる従者を止めるのも、クレマチスの役目だ。
ネモフィラは寮生活をしていない。彼女は生家である、管理局にほど近い大きな屋敷に住んでいるのだ。
ゆっくりとお茶を飲んでから、モルセラ付きで彼女を屋敷に送り届けたのだった。




