11.さようならをいいましょう(おもいのこすことはありませんか)
地球で迎える六日目のこと。
相も変わらず失言と行動で、女に叩き伏せられる勇者と魔王の姿があった。
「そもそも、あんたら本当に勇者と魔王なの……?」
嫌そうに顔を顰め、煙草を銜えた女はフローリングの床に這い蹲った勇者と魔王を睥睨していた。このようになった事態はなんてことはない、テレビリモコンの奪い合いだ。
某国民向けアニメが見たい勇者と、某子供向け教育番組が見たい魔王の間で引っ張られるリモコン。みしっと嫌な音を立てた瞬間、女の踵落しが勇者の後頭部に叩き込まれ、返す足で回し蹴りを喰らって魔王が吹っ飛んだ。因みに今はテレビにはニュース番組が映っている。
「な、にをいまさら……」
勇者は後頭部とフローリングに叩き付けられて酷く痛む顔面を押さえて呻いた。その内脳みそがぐしゃぐしゃになりそうだと痛烈に実感している。
「われ、らが、うそを言っているというのかっ」
鳩尾に足を叩き込まれ、壁際で引っ繰り返ったままげほげほと咽る魔王。女の足跡はくっきりと痣になり、その内青紫に変わるだろう。
「映画とか本で知る限り、勇者と魔王ってもっと頭がいいはずなんだけど」
「俺が馬鹿だというのか!」
「聞き捨てならないぞっ」
「だって、言動がまるっきり子供レベルよ」
呆れたという女の一言に反論しようとしたところ、ふと、勇者と魔王はこちらに来てからの自分達の振る舞いを思い返した。
突然現れ、半裸状態の女と出くわした直後、一撃を喰らって昏倒。
出て行け出て行かないの押し問答の末、やはり拳で叩きのめされた。
役に立たない、鈍らだと罵られ、自分の意志とは関係ない部分が役に立ち。
異世界産昆虫に度肝を抜かれ。
鍋を振舞われて胃袋を掴まれ、かと思えば酒に勝てず撃沈。
怒りを思い知れと襲った結果返り討ちにあい、その上男の沽券は木っ端微塵に打ち砕かれた。
トイレで攻防、風呂場で格闘、飯時は戦争、外に出れば危険は一杯。
まあ、食事も美味しいし、ペンギンも可愛いし、人の優しさにも触れた。
そこまで思って気が付いた。
「……はっ!?」
「っ!! そういわれてみれば……」
「なんだかんだ言いつつ、結構この生活も満喫してるみたいだし」
ちろりと女が目線を向けた先には、涙と汗を流し手に入れた二つのペンギンが仲良く、男二人の寝床近くの壁に寄りかかっている。通行人から貰った菓子も大切に食べようと、大事に紙袋に収められている。
事実に気が付いた二人は愕然とし、信じられぬと呟いた。
「なんだこれ、気が付かなかった……」
おかしい、何処で道を間違えたのか。
自分はヴァルガード国の後継者であり、人類の救い手たる勇者のはず。
それが如何したことか。一般人の女に手も足も出ず、口では言い負かされっぱなし。王子の尊厳を損ねるような振る舞いを甘んじて受け入れざるを得ず、何をするにも女の拳を喰らう羽目に遭う。
おかしい。
それをいつの間にか当たり前のこととして受けれていた自分に、違和感すら感じていなかった。
「こっちに来ると、幼児退行するの?」
「違う! 危うく騙され、洗脳されるところだった……」
「してないってば。異世界云々考慮しても、あんたたちが常識知らずなの」
「ああ、危なかった。これがいわゆる平和ボケというやつか……なんということだ」
多くの人間を恐怖に落としいれ、屠ってきた魔王が何という様か。
強力な魔力を持たない人間の女に扱き使われ、自分の世界征服という目的を失うところだった。散々コケにされ、嘲笑われ、果てや自分の恐ろしいまでの美貌も鼻で笑われた。
そして微妙に開きかかった新たな世界。あれはまぁ、痛かったが、今思えばちょっと気持ち良かったかもしれないが。
そこまで考えぶんぶんと頭を振るう魔王。
「ぬぉぉぉおおお! おかしい、おかしすぎるぞ!!」
「早く帰らねばっ、いつも俺ではないっ!!」
「試練……恐ろしすぎるっ!」
「っていうか明日で七日目だけど、あんたら本当に帰れんの?」
この世界にやってきたときも、前触れなど一切なかった。最終決戦の真っ只中突然辺りが光に包まれ、次の瞬間にはこの部屋に落ちてきた。いまだ魔力も変わらず、自分の身のうちに宿る微かなものしか感じられない。
「確かやってきたのは宵の内だ。時間の流れが向こうと同じなら、あと数時間後のはず」
「いよいよこの世界ともお別れか……」
「流れが一緒ならね。どうする? もし向こうの世界じゃまだ、一日しか経ってなかったら」
もし時間の流れが二倍違うとすると、こんな日々があと七日続く。
『…………』
「置いてあげるのは一週間っていう約束だからね」
「わ、わかっている」
「忘れてはいないぞ」
言うこと聞かないなら紐なしバンジーだと最初に宣言されている。バンジーとやらが分からなかったが、今ではしっかり分かる。そして近所のビルは思いのほか非常に高い。
右も左も分からない異世界で、一般常識も分からず、衣食住すら碌に保障されず、路頭に迷う勇者と魔王。
惨めだ。
「ま。もし帰れなかったとしても、少しなら置いてあげてもいいわよ」
続く女の言葉は思いもよらぬ助け舟だった。
「ほ、本当か……っ!?」
「このまま放り出しても警察にお世話になるのが精一杯でしょ。大人しくしてるなら考えてあげる」
「い、一般人っ」
「助かるっ!」
キラキラとした目で女を拝む。
「もちろんお礼に上乗せはさせてもらうけど」
『…………』
やはり女は何処までいっても変わらなかった。
「でもさ、このままこの世界にいたいとか思わないの?」
女のそれは純粋な質問だった。
向こうの世界では日々争い、血を流し、命を落としている。こちらの世界も何処へ行っても安全というわけではないが、少なくとも魔族といった存在はいないのだから。
見たことのない機械、味わったことのない食事、初めて見る風景、会ったことのない人々。
全てを知ったわけではない。しかし、明らかにこちらの世界のほうが恵まれているのではないだろうか。
勇者であれとただ切望され、剣を振るってきた人生。
魔王と奉られ、生まれながらに血で染まった椅子に座らされた生。
もしかしたら違う生き方を選べるかもしれない。
突然飛ばされたこの世界。
試練とは、神にいままでの生き方を問われ、これからをどう生きるか選択しろと言われたのか。
「……この世界はいい。血で血を洗うような、生臭い殺伐とした雰囲気もない」
「ここで暮らすのも、悪くはないかもしれない」
「しかし、しかし……」
「ああ……」
そこで苦悶の表情を浮かべる勇者と魔王。
「なんなの」
女は訝しげに眉根を寄せる。
『一般人、お前がいる』
「…………」
「何度死ぬかと思ったことか。俺はあんな屈辱を受けたことなどない。もう嫌だ」
「我もだ。衣食住を保障してもらったが……」
「そもそも一般人、お前は本当に女なのか? 普通女とは刺繍やら歌やら花を好み、煌びやかに着飾るのが好きなはずだ」
「かたや、お前は煙管を吹かし、酒を好み、半裸で歩き回る……恥じらいとかいったものはどこにある?」
「なるほど、男旱が続いていたのか? だから暴力に訴えると」
「も、もしや我らを襲ったのも鬱憤晴らしかっ!」
「魔王、そのことは言うなっ! 記憶の奥底に閉じ込めたものを、思い出してしまうではないか!」
「ああ、すまない……」
「ぐすっ、いいさ……余程もてないのだな、一般人は」
「我が余りにも美しすぎて、嫉妬したのだな」
「憐れだな。男に負けるとは」
「ありさ殿ならきっと我らの境遇を理解し、助けれくれたはず」
「ありさは可愛いからな。俺より年下だろうに……なかなかしっかりしているし」
「そうだ、何故一般人とありさ殿が友人関係なのだ? どうみても釣り合わないではないか」
「脅したのか、可哀想に」
「あんな可憐で心優しい少女を手にかけるとは……」
「きっとありさをドレスで着飾ったら、美しくなるだろう……色は白だな」
「何を言う、ありさ殿には黒だろう。そして我の隣に立つのだ」
「戯言を。勇者たる俺の傍に立つのが一番に決まってる」
「ああ、ありさ殿……なんとか連れて帰りたい」
「名残惜しいはありさだな、もう一度会いたかった」
「寂しくなるな……」
「あたしもよ。サンドバックがなくなって寂しいわ……」
その冷たい声を耳にした瞬間、ぶわわわっと体中の毛穴が開いた。だらだらと冷や汗を流しながら、壊れかけた人形のようにがくがくと震えながら頭をその声の主に向ける。
女は笑っていなかった。しかし顔を真っ赤にして怒っているわけでもない。極寒の冷たさを称えた青い怒りの炎が、瞳の中で業火と化している。
「ぅ、ま、待て」
「言い過ぎた、拳を下ろせ!」
何故自分たちには学習能力というものがないのか。
もうすぐ帰れるかもしれないという気の緩みからか、思わず胸のうちに仕舞っていた思いまで吐露してしまった。口に出してしまったことはもう胸に戻らず。
「身から出た錆、恩を仇で返す。日本語っていい言葉ね……」
「四の五の言わず、さっさと帰れ!!」
女の怒声と共に、脱兎の勢いで逃げ出す勇者と魔王。
だがこの部屋に留まるしか道はなく、日が暮れての大乱闘は、一日目と同じように幕を閉じたのだった。
六日目終了。




