10.おでかけしましょう(そとはきけんがいっぱいです)
魔王が朝日と共にぱちりと目を覚まし、寝汚い勇者がカボチャに一撃を喰らって迎えたその翌日。
女が化けていた。
「今日、仕事だから」
そういう女はここ数日で見慣れた顔とは異なっていた。
素でも十分整った顔立ちだったが、化粧を施したその顔は美人というより、美女といったほうが似合う。朝の日差しが差し込む中でも十分輝いているが、夜の帳が下り薄暗い中で出会っていたら、あまりの妖艶さに誰もが振り向くだろう。
整えずとも綺麗に弧を描く眉。見事なグラデーションのアイシャドウとアイラインで彩られた瞼。はっきりとした二重に、付け睫をしているのではないかと思うほどの長い睫。薄っすらと叩いたファンデーションに顔を細く見せるチーク。口紅を塗られた唇はぷるんと瑞々しく、だが下品にならないよう赤みも押さえた美しい色。白く細い首筋をあらわにし、着込んだ白いシャツに黒いスーツ。服の上からでも分かる均整の取れた豊満な体つき。櫛で梳かれた艶やかな髪。綺麗に整えた、ベージュ色のネイルを施した爪を閃かせ、細い手首に腕時計をはめる。
その光景をぽかんと口を開けたまま見つめていた勇者と魔王は、女の言葉を鸚鵡返しするので精一杯だった。
『今日仕事?』
「そう、帰ってくるの夕方だから」
『帰ってくるの夕方?』
「もう、連休だって言うのに出勤だなんて」
『出勤だなんて?』
「そうよ、そろそろ行かなくちゃ」
『行かなくちゃ?』
「時間ないの。ほらほら」
『ほらほら?』
「はい出て出て。っていうか、あんたら話聞いてる?」
ぐいぐいと押される背中に、玄関先で漸く二人は我に返る。
「何故出そうとする」
「だから今日仕事だってば」
「何故我らを出すのだ」
「だってあたしいないもん」
「我らも行くのか?」
「まさか! 連れて行くわけないでしょう」
「だったら何故俺たちを出そうとする」
「だから、あたしいないの。あんた達も一日出てなさい」
「理由がわからん」
「あんたら二人残しといたら、部屋が滅茶苦茶になるでしょうが」
「しない。部屋で大人しくしているぞ」
「我らは子供ではないのだから」
「そういって、昨日お風呂で大暴れしたのは何処の誰よ」
どっちが先に髪を洗うかで大喧嘩し、真っ裸で取っ組み合いをしていた二人に女は業を煮やし、風呂場の電気を消し、扉の前に棚を置いて出られなくした。
窓もなく、明かりを落とされた真っ暗な浴室。
どれだけ叫んでも開けてもらえず、素っ裸で何時間も狭い空間にほったらかしにされたため、精神的苦痛は極限を超えた。あれも一種の拷問だ。
『………………』
「小遣いあげるから、夕方まで帰ってこないで」
ぽんと勇者の掌に握らされたのは野口さん。
「コンビニでご飯でも買いなさい。ついでに、街の様子を見て社会勉強するといいわ」
「……どうする」
パンプスを履き、颯爽と駅に向かって歩いてく女の後姿が消えるが、取り残された勇者と魔王は成すすべもなく、マンション前の道路に立ち尽くしたままだった。
本日も真夏日。
殺気が込み上げてくるほど晴れ晴れとした空と暑い太陽に照らされ、じわじわと温度を上げるアスファルト。暑さで空気が揺らめき、街並みが歪んでいる。立ち尽くしているだけでも汗が噴出し、背中を不快感と共に滑り落ちていく。
さすがに勇者といえども屋外でエアコン体質を遺憾なく発揮することが出来ず、だらだらと汗をかいている。
「一般人、我らを見捨てていったぞ……」
迷子になった子供のように途方にくれた魔王の声。
別に女とて、見知らぬ外に放り出したつもりはない。この世界にやってきて二日目、すでに勇者と魔王は部屋の外に出ているのだ。といっても、近くのスーパーだが。
鍋の材料を調達しに、似合わぬ服を着た勇者と魔王を引き連れ、スーパーにやってきた女。黙って何にもしないでついて来いと拳と共に肝に銘じ、踏み込んだ店内。タイムサービスに群がる主婦達に、押し合い圧し合いで早々と撤退を余儀なくなされた男二人。所要時間三十分にも満たない外出だった。
「……このまま此処にいても暑いだけだぞ」
「茹る……」
「……とりあえず、涼しいところに行くぞ」
「死ぬ……」
やってきたのはお馴染みコンビニエンスストア。最低限のものは揃っているという女の言葉を思い出し、スーパーへの道の途中で見かけていた店内に足を踏み入れる。
「涼しい……」
「……ああ」
エアコンがガンガンと効いた店内で安堵の表情を浮かべる。
扉の真正面で立ち尽くす男二人に迷惑そうに顔を顰めた女性店員は、その風体に目を奪われた。
人工的に作られた色とはあまりにも異なる、太陽の光を反射し光り輝く金髪。海のように青く色を称える瞳。美しく整った顔に、茹だるような暑さに汗ばむ首筋。引き締まったしなやかな肉体。
闇を切り取ったように黒く艶やかな髪。明け行く夜から朝へと移り変わる空のような紫の瞳。女性とも見間違えるほどの造形ながら、肉食動物のようにしなやかな力強さを持ち合わせる肉体。
そして何より、その魅力を見事なまでに木っ端微塵にする服。
一人は『焼肉定食』、もう一人は『忍者』と書かれた白いTシャツを着ている。
だがどちらもサイズは全く合っていない。子供用か女性用なのかと思ってしまうほどサイズは小さく、汗ばむ引き締まった腹筋と二の腕が露になっている。
ズボンもどこかの学校の運動着なのだろう。薄汚れた緑色と紫色で、サイドに白い線が入っている。裾は捲り上げられ、踵がはみ出たパステルカラーのゴム製サンダルを履いている。
はっきり言って、残念すぎる。
見目麗しい美丈夫二人が揃ってその服のため痛々しいことこの上ない。
あまりの居た堪れなさに、店員のみならず店内にいた客が目をそらした。
飲料水コーナーで立ち止まったまま俺はジュースが飲みたいんだ、我はコーヒーが飲みたいと額を突き合わせ、見かねた店員が間を取って水にしましょうと選んでくれた天然水ペットボトルを携えてコンビニを後にした。
野口さんが崩され、一本のみの天然水ボトルを二人で飲み交わす。
「おい、魔王」
女が指定した夕方までまだまだ充分時間が合ったため、水分補給をした勇者と魔王は再び街を歩き出した。
横断歩道を赤で渡り、怒声と共に盛大にクラクションを鳴らされて脱兎の勢いで逃げ、人ごみを歩けば肩をぶつけ、体をぶつけ、機や尻餅をついて盛大に舌打ちをされ、駅前で旗と襷をかけた大勢にチラシとポケットティッシュを大量に渡され、手が一杯と見るやジャージのポケットに突っ込まれ、飲食店前で勧誘と思しき男に声をかけられ、妙なビルに連れ込まれそうになり鋒鋩の体で逃げ出し、どんよりとした疲れきった体で足を止めたのはゲームセンターの前だった。
「……なんだ勇者」
「見てみろ」
勇者が指差す先にあるのはクレーンゲーム。そのケースの中にぎゅっとつまった景品の正体に気が付くと、勇者と魔王はそのアクリル板に張り付いた。
「ペンギンだ……」
「ああ、ペンギンだ」
「ふわふわしてる」
「もこもこだ」
先日テレビで見てから、すっかりその魅力に取り付かれた。短い手足でぱたぱたと歩き回り、一生懸命に生きる彼らの姿に心を打たれたらしい。愛らしい仕草に胸はきゅんきゅんと高鳴りっぱなしである。そのペンギンを模したぬいぐるみがぎゅうぎゅうとケースに詰まっているのだ。黒々した大きな瞳が二人に訴えている。連れて行ってと。
言葉を交わさずとも、お互い何を考えているか分かるほどには親交を深めていた二人は、徐にケースを開けようとべとべとと触りだす。しかし開くはずもなく。
「どうやって開けるのだ?」
「割るのか?」
ぎゅっと握った拳を振り上げる。
「おいおい、お二人さん。クレーンゲームを知らないのか?」
背後からかけられた声に、はたと振り向くと、呆れた顔でこちらを見ている見知らぬ中年の男が立っていた。
「くれーん?」
「おおっと、なんだ外人さんか」
金髪に染めた若者かと思っていた男だが、振り返った顔が日本人離れした彫りの深さと、青と紫という瞳の色から、観光でやってきた外国人かと気が付いた。外国人とみるや言葉が通じないと思い身構えかけたが、先ほど聞こえていた会話はきちんと日本語であり、きょとんとした顔ながら自分の言葉も理解しているようだと気付き、相好を崩した。
「なんだこれは?」
「金を払って、このクレーンを動かして掴み取るんだ。割っちゃあ醍醐味がなくなるぜ」
金はあるのかと男に促され、ポケットから残金を出してみる。
残り八百五十円。
一回三百円だから二回しかできない。おまけに昼ご飯も食べていない。
しかし二人はこのペンギンを連れて帰ることのほうが大切だった。
ジワジワと直射日光を浴び、汗ばむ体。勇者は指先まで汗をかき、しかし滑ってなるものかと全身全霊をこめボタンを操作する。
クレーンゲームの達人だと名乗る中年の男が一度手本を見せてくれた。余りの手際のよさにこれなら取れると豪語した魔王が呆気なく失敗し、残すチャンスは一回のみ。
ボタンを操作する勇者は、唐揚げ争奪時以来の高い集中力を発揮していた。
傍らではらはらとクレーンの行方を見守る魔王。
「もうちょっと……っ、くっ」
「あああ、ゆ、ゆうしゃぁっ……」
「ぬ、こ、う…………あっ」
クレーンで顔を掴まれていたペンギンはつるんと滑り、ぽすりとペンギン仲間の中に落ちた。
「…………っぎゃあぁぁあああああ――っ!! 落ちたあああぁぁぁぁぁああああ!!!」
「なんでだぁあああぁぁぁあああ!!!」
頭を抱え大絶叫する二人。
その姿を物珍しそうに好奇の目で見つめる通行人。いつしかクレーンゲームの前に人だかりが出来ていた。頭を抱えて空を仰いで絶叫し、地団駄を踏む勇者と魔王の姿を、ある者は笑い、ある者は写真を撮り、ある者は可哀想な目で見ていた。
動物園の珍獣並みの目で見られていたが、勇者と魔王にとって何処吹く風。それより何よりふわふわもこもこきゅんきゅんの愛らしいペンギンを、連れて帰ることが出来ないほうが重要なのだ。
地面に突っ伏して上げる慟哭と余りの悲嘆振りに、野次馬から「ボタン操作が遅い」だの「顔じゃなくて首辺りを掴め」だの「店員に言って取りやすいように配置を変えてもらえ」といった声が飛び出す。
「お前さんたち、そんなに欲しいのか? どれ、俺が代わりに取ってやろうか?」
達人の中年男が申し出た。
その男の顔をじっと見つめた勇者と魔王は、ふるりと頭を振った。
「いや、これは自分で取る。欲しいものは、努力して自分で手に入れることが重要なのだ」
「ああ、誰かに恵んでもらったものでは、その価値も分からない」
「如何なる試練にも正々堂々と立ち向かうべきなのだ」
「我らがいかに胡坐を掻いていたのか……この世界で思い知った」
勇者と魔王はこの世界で気が付いた。
自分たちがどれだけ力を誇示し、振舞っても得られぬものがある。それを手に入れるため、あらゆる努力も惜しまず、精一杯生きなければならないと。
他人に取ってもらうのは簡単だ。しかし恵まれて手にしたところで、どんな価値があるというのだろう。恐らく其処には達成感や充実感などない。自分の手で勝ち取らねば、喜びさえ分からずに終わってしまうのだから。
二人は邪念など一切ない純粋な瞳でクレーンゲームを見つめる。
しかし野次馬が気になったのは、地面にしゃがみ込んでいるおかげで露になった、引き締まった勇者と魔王の臀部だった。
通行人から恵まれた小銭によって二十回目にして漸く一つのペンギンを手にし、気付いたときは夕日が沈む時間帯。面白いものを見せてもらったと、中年男が手本として取ってくれたペンギンを貰った。嬉しさの余り誰もを魅了する満面の笑みを浮かべた残念すぎる美丈夫達は盛大に腹の虫を鳴らし、通行人からこれも喰え、あれも喰えと、菓子やらジュースを渡される。
どうやらかなり可哀想な男二人に見えたらしい。
貰った菓子と、大量に押し付けられたチラシとティッシュを紙袋パンパンに詰め、ペンギンを抱えてほくほく顔で帰宅する途中、勇者と魔王は子猫を拾う。
円らな瞳で見つめられ、にゃあと鳴かれては胸はずっきゅんと撃たれるしかない。
女の部屋に帰宅し、先に帰っていた女が抱えられた子猫を見るや、
「元いた場所に返して来なさい」
と玄関を指差す。
自分たちで面倒を見るからと懇願する二人に、ニートがでかい口叩くなと蹴りと共に外に放り出された五日目終了。




