後編
目を覚ました少女に、クマはいきなり攻撃された。
なにか光る玉みたいなのが少女の手からぽわっとでて、ぱしっとクマの額に当たったのだ。
蚊が刺したほどの痛みもない。
光る玉は飛び散って、きらきらと、星屑が舞うような光景が生み出される。
(まあ、きれい)
クマの使う力と源は同じなのだろうけれど、恐ろしいほどの無害さ。
これでは狼に追い詰められるのも無理はない。
少女の寄生虫はよわよわなんだろう。クマと違って会話みたいなのをしている様子でもない。
まったくこんな貧弱さでどうして森に入ったのか。親御さんの顔を見てみたい。
と、思わずまだ見ぬネグレイト疑惑に腹が立ち、喉の奥が鳴る。
クマのその静かな怒りに気付いたのか少女はまたびくっとなって絶望顔。
繰り返されるディスコミュニケーション。
どうにか誤解を解きたいところだが。円滑なコミュニケーション手段がない。
キーくんができたりしないかしら、と聞いてみたが、言語を解読するのに時間がかかるという返答。
使っているのがクマの脳だから仕方がないか。
なるべく少女には適当に喋ってもらいサンプルを回収したいところである。
というわけで、まずはその汚れた衣服をどうにかしてもらおう。
クマの鼻にも届くツンとしたアンモニア臭。
爪でつつい、と少女の問題部分を指定すると、察したのか顔を真っ赤にしてうずくまる。
(うんうん。おねしょで慣れてるから私は気にしないわよ。…なんとかしてあげたいけど、そんな便利な力はないのよねえ、川で洗えるかしら?)
クマが近くの川に顎を向け、少女を誘導する。
疑惑の視線を向けながら、少女はおそるおそる立ち上がると、そのまま川縁に向かった。
川幅が広めのそれほど深くはない河原だけれど、何かあっても困るので傍で見守るクマ。
ある日、森の中でクマさんに出会った少女さながらに、背中から強烈な威圧感を感じながら少女は川にそのまま下半身を沈めるのだった。
(まあ、脱がないわよね。普通)
しかし、分厚い脂肪と毛皮に守られたクマと違い、つついたらすぐ破けそうな皮膚の少女が川に身を浸すのはたいそう冷たいことだろう。
季節は冬という感じではないが、暑いわけではない。春か秋か、季節の変遷を迎えるちょうどその間の少し寒々しい様相だった。
じゃぶじゃぶと、少女は入念に衣服を手でこすったり、絞ったりしている。
その慣れた手つきから、そういうお手伝いをよくする子なのかしら、とクマは思った。
色合いの質素な、足首まで隠れるキュロット。縫製に手作り感をみたクマはどことなく村娘さんなのかなと予想する。
栗色の髪は大きく三つ編みにして腰のあたりまで、自身の状況を受け入れられず、しかしどうすることもできない悔しさがにじみ出る表情。
少しつり上がり気味の青い目は、いつもだったら気の強さを見せていたかもしれない。
(かわいいわねえ)
クマの母性がくすぐられる。健気な様子がなお、いい。
甘やかして、食べちゃいたいくらいだった。
…おっといけない。油断すると野生が目を覚ましてしまう。とクマは人間性を取り戻す。
じゃばっと、川から立ち上がった少女は、クマをじっと見つめている。
これからどうするのかと、訴えているようだった。
いい展開だ。クマと意思の疎通ができるかもと思ってくれている様子。
なのでクマも、ちょちょい、と爪で場所を指定する。
少女は先程よりかはいくらかスムーズに歩を進めた。
明らかに食べる様子はない、と察してくれただろうか。
クマの目の前、少女にしたら数歩分の距離に立たせて、しっかりとイメージする。
下手をしたら少女の丸焼きになってしまう。
(あれよ、あれあれ。ドライヤーのイメージ。風と、炎をいい感じに混ぜて…)
かくしてまずは違う方向を向いて試したところ、ぼふっと、軽く火がでてから、ぶおおお、と温かい風が出始めた。いい感じ。
それを少女に向ける。
クマの口からでる温風が少女を温める。
ちょっとした風速実験みたいな光景だが。
この実感として確かにあるぬくもりで、その冷え切った体を温めてもらいたい。
そしてその頑なな心をクマに開くのだ。
という、人間の邪悪な面が押し出されたクマは、そこでようやく少女の様子がおかしいことに気づいた。
鼻をつまんでいる。
どうみても悪臭に耐える姿にしか見えなかった。
(…えっ、待ってまって。…もしかして、私って口臭キツイ?)
クマに生まれ変わってから、爪をまさに爪楊枝のようにして歯間を掃除はしていたが、クマは獣。その口内が香しい匂いがするはずがなかった。
(……。)
乾くまで我慢してね、とショックを隠せないクマは、なるべく早く乾くよう風量をあげたのだった。
◇
「#########!」
少女は何かを喋りながら、クマに行く先を指示していた。
首を回して、その方向を確認する。
少女を背に乗せたクマはしっかりとした足取りでそこへと向かう。
クマの口臭に耐え、体を乾かした少女はどうやら目の前の獣の安全性を悟り、ついに右手を差し出して握手の仕草をした。
クマは心の中でガッツポーズをした。
言葉がなくても心は通じるのだ。
そしてクマも右熊手の爪を一本、前に出し、少女の小さな手がその爪を握ったのだ。
なんと感動的な光景だろう。これぞ文化的交流の足掛かり。
お互いの視線を通じ、意思疎通をはかる。
わかったような、わからないような。
だが、ひとりと一匹は、同じタイミングで頷いて、わかったような気になったのだ。
雰囲気は大事だ。
そして少女は両の手を合わせ、その掌から淡い光が生まれた。
片手を自分の胸に、そうしてもう片方をクマの額に向けて近づけた。
少女の力はさして強くないことをわかっているクマは、なんぞこれ、と思いつつもそのままにした。
危険性はないだろうと野生が判断している。
そしてぴたりと合わさり、舞い散る粉雪のような光の粒が現れる。
(まあ、きれい)
さきほども同じようなことを思った気もするが、少女の力はなにやら見た目重視のような気がした。
きれいなだけで、それだけっぽい。
でもいい。こういう無駄なものと感じるものにこそ人間の創造性が宿るというもの。何かを美しいと感じることに野生はまったく通用しないのだ。
そして満足気に少女はにっこりと微笑み、クマに向かって方向を指示したのだ。
「###########?!」
クマに乗った少女は自信満々に誘導する。
きっといま向かう先に、少女の村があるのだろう。
ここまで仲良くなったクマを、まさか集団で襲って熊鍋にすることはあるまい。
その時は全力で逃げるつもりだが、なるべく仲良くなりたいものだ。
この世界の人間のコミュニティはどういう形式なのか。
不思議な力を使う少女は普遍的な存在で、もっと強い人間がいるのかどうか。
謎は深まるばかりだった。
しかしてその進む先は次第に森が深まり、明らかに空気が淀んできた。
あんまりいい環境に住んでないのね。とクマは物悲しい気分になった。
この世界の人間は、こういう場所で息をひそめて生きているのか、と。
だが、ここにきて突然、だんまりだったキーくんが口をだしてきた。
『まずい。気配を隠していたのか。…逃げろ!』
未だかつてないキーくんからの警鐘に、クマは驚いた。
今までどんな相手にもこんな風になったことがなかったからだ。
(なになに、なにがあるの? キーくん?!)
判断の遅れたクマは、その背後からの急襲に気づかなかった。
不意にクマと少女を覆う影。
熊としては巨体の部類であるクマを、そのまま飲み込みそうなほどの顎。
その姿を確認した時にはもう遅きに失していた。
ばくん、と一気に飲み込まれる。
クマはすぐさま背の少女を包み込み、丸まった。
一瞬で暗転した世界で、少女だけは淡く光っていたからだ。
だがその途端に、ぎちぎちとクマの体に圧力がかかる。
圧し潰される。
その力を少しでも内側の少女に伝えたら、やわらかい体がバラバラになってしまう。
(耐えて、私のクマ筋んんんんんんんんん!!!)
ずるずると、引き込まれていく感覚。
このままでは圧死よりも窒息死しそうだ。
まずいまずいまずい。クマは焦った。
力を使おうにも、火も、電気も、吸収も、どれも少女と接触していて使えない。土は近くにないと使えない。
残った選択肢は風だ。
いけるか?
だが、やるしかない!
(なんなら内側から破裂しちゃいなさい!)
クマはあらん限りの力で風を吐いた。
内側の少女が身じろぎする。
ーー臭いのは我慢して!
クマたちを圧し潰そうとする筋力と空気の圧力の勝負。
この相手が上手く口から空気を逃がさない限り、可能性はある。
ブレス、ブレス、ブレス。
思いっきりブレス!!
しかしこれ、出ているのは二酸化炭素なんだろうか。それだとこのままでは別の理由で窒息死まったなしだ。こころなしか少女がぐったりしだした様に感じる。
まずいいいいいい、とクマが必死になっていたところ、ぐぷっと、妙な音がしたと思ったら、ものすごい勢いで逆方向に移動し始めた。
クマと少女がべっと、吐き出される。
飲み込んだ相手の体液でべたべただ。体を震わせて、それを散らす。
少女はぐったりしているが、生きている。
ほっとしたのもつかの間、クマはようやく飲み込んだ相手を見ることができた。
蛇だ。白い鱗の巨大な蛇。
静かに、クマたちを見ている。それが余計に不気味だった。
飲み込んだものを吐き出されて、機嫌が悪いのかどうかも、よくわからない。
爬虫類は感情が哺乳類よりも分かりづらい。
しかし、どうみても捕食は諦めていなそうだった。
(…キーくん、こいつってやっぱり強いんだよね?)
「何匹も捕食して成長している。完全に上位個体だ。負ける。逃げても追いつかれる。ここまでだ』
キーくんは事実しか言わない。希望的観測なんて知らない。
だから、いま話したことは本当のことなのだろう。
しかしそれは、クマがただの熊だった場合の話だ。
キーくんは知らない。
何かを守ろうとする母親の底力を。
飲み込まれたとき、きっとクマだけだったらそこで終わっていた。
諦めていた。しょうがないわね、と。
だが自分よりもか弱い少女が、同じ目に合うことは、断じて許容できなかった。
だからこそ、あそこから生き延びたのだ。
さっき出会ったばかりの赤の他人。
けれど、クマに残る人間性が、助けよと囁いている。
野生の諦めよりも、声高にクマを奮い立たせる。
どうしてだか知らないが。
異世界の熊に生まれ変わり、かつて人間で、母親だった記憶をもつ、一匹と一人が合わさったクマ。
その野生と人間性の混合が、絶対的な不利に立ち向かおうとしていた。
◇
ごろごろと、横ではなく縦に、まるで車のタイヤのようにクマは転がっている。
体の縦軸に石をはりつけて、速度と重さと回転力で立ふさがる木々をなぎ倒して進んでいく。
あの場で大蛇との交戦は、なしだと直感した。
巨大な体躯で音もなく忍び寄る隠密性。
強靭で柔軟性の高いしなやかさで、するりと移動する早さ。
それらを十分に生かす木々が密集した環境ではクマにとって圧倒的不利。
一目散に戦術的撤退を行動した。
しかし、これは目が回る。
内側に抱いた少女も気を失ったままだ。あまり遠心力をつけすぎるのもまずいかもしれない。
だが、これ以上遅くすると後ろから近づく大蛇に追いつかれてしまう。
もしかしたら見逃してくれないかと淡く期待したが、やはりそんなことはなかった。
異様な執着を見せている。
ただ食べるだけなら好き好んでクマを狙う必要はない。
寄生虫に憑りつかれると、みんなこうなるのかしら。とクマはちらと考える。
しかし、そんなことを考えるのは生き残ってからだ、と切り替える。
(どこか、もう少しでも、開けた場所にでられれば)
下りていけば、いつかはそこに出ると信じていた。
川幅の広い、あの河原に。
どしゃ、と飛んで跳ねて砂利を吹き上げながらクマは回転を止めた。
頭がぐらぐらする。かぶりをふって、素早く立て直し。
内側に抱えていた少女をそっと下す。
大きめの岩の後ろに隠し、クマは大蛇が出てくるのを待ち構えた。
ずるりと、その全体を見せた大蛇は、想像以上に大きかった。
15、いや20mはあるかもしれない。
アレに巻きつかれたら、あっという間に体中の骨を砕かれてしまうことを容易に想像できた。
今まで戦ってきた獣たちは、フィジカルにおいてクマを上回るものはいなかった。
しかしこれはどう考えても向こうの方が上だ。
体が大きいということはすなわち筋肉の量が多いということ。
エナジーを使ってもこれを覆せるかどうか。
なにせあの大蛇も寄生されているようだし、同じように使ったなら見たまま圧し潰される。
場所を変えて仕切り直したが、あまり状況は変わらなかった。
ただその厳然たる脅威が、まざまざと確認できただけ。
しかしそれでも、クマに諦めるという選択肢はなかった。
普通の獣なら多少の痛みで退散することもあるだろうが、寄生された獣は相手を殺しつくすまで止めない。追い払うなんて期待できない。蛇はクマと少女を諦めない。
純粋な野生とは違う、なにか別の狂気を感じる。
それはクマの中にもあるものなのか。
絶対的な不利をみても立ち向かうその姿勢が、狂気だといわれるならばそうなのだろう。
(母親ってのは、正気じゃやってらんないのよ!!)
クマは吠える。
自身を奮い立たせるその根本を胸に秘め、猛る。
突進する。特に何をするかは考えていなかったが、とにかく頭だ。どれだけ大きくても頭をつぶせば死ぬはずだ。
しかしクマのその狙いを察したのか、大蛇は巧妙に頭を動かす。
引くとその反動で尾がでてくる。鞭のようにしなって襲い掛かるそれを、何とか避ける。
あたればクマの体でも一発でおだぶつだ。
さきほどの呑みこみから脱したことを警戒しているのか。
嚙みつきなどをしてこない。
(蛇のくせに、アタマ良すぎじゃない??)
クマのようなものと戦い、勝ち残ってきた経験がそうさせるのか。巨体だけではないその老獪さも、見えていなかった強さだった。
だが見せていないのはクマも同じだ。
大蛇が川に体を浸して、十分に濡れるのを待っていた。
(サンダーボルト!【漏電】)
クマの体に纏わせた紫電が、水を伝って大蛇に襲い掛かる。
思わぬ攻撃を受けた大蛇は身をよじらせる。
だが表面が濡れた程度ではその鱗を多少傷める程度。もっと直接、ぶち込まなけば命に届かない。
クマは、のたうつ蛇にそのまま突進した。
その脳天めがけて、熊張手と電撃を全力で喰らわせる。
やれる。と思って頭に血が上っていた。
だからその変化に気づかなかった。
クマが力をつかえるように、大蛇も力を使える。
その危険性を一瞬、忘れてしまっていた。
このまま殺しきれるかもと、思ってしまった。
大蛇の頭に手が届くかというところで、クマの足が止まった。
固まっている。水の中で。
冷たい。呼吸が白くなって気温が下がったことを証明している。
凍っているのだ。クマの突進を止めるほどの氷結。
パキパキと音を立てながら、大蛇を中心に川の水が凍っていく。
(…変温動物で、冷やすとかどうなの?!)
クマは悔しさのあまり、そうツッコミを入れた。
異世界の生物だ。前の世界とは理が違うのかもしれない。
蛇に見えるだけで全く違う生き物なのかも。そもそも大きすぎるし。
そして、もうそんなことを考えている余裕もない。
四つ足が凍って動けない。
毛皮と脂肪のおかげで凍死には至らないが、しかしこのままではまずいことになる。
火をだすか。
だがここでその手札を見せることは難しい。
クマのエナジーが先程の電撃でかなり消耗してしまっていた。
予想以上に電気が散ってしまい、大雑把に流れ出た力はその使用量に対して、大蛇の表面を軽く焼いただけで、大した効果をあげなかった。
キーくんではないが、費用対効果が釣り合わなかったのだ。
仕留めるならば、全力の一発。
至近から急所への炎を喰らわせなければならない。
それをこの慎重な蛇が、果たして油断するのか。
クマの演技力にかかっていた。
弱弱しく、力尽きたように、もう駄目だという雰囲気をだす。
死んだふりは、子供との遊びで慣れている。
その後の死体蹴りも慣れている。
ここは怒りを溜める時。
しかし現実は本当に死にそうになっている。
動けなくなったクマを大蛇はゆっくりとその体で巻き付けていく。
何重にも巻いてクマは首だけ出ている状態になった。入念すぎる。
そして遠慮なく、締め付けが増す。
(ちょ、き、きつ…)
冗談じゃなく、骨どころか内臓が口から飛び出そうだった。
抵抗らしい抵抗は、嘘くさいだろうか。
反射で力がでるのは仕方ないだろう。
けれどこのままでは本当に我慢の限界を超えてしまう。
頼むから怪しまないで。クマはいまマジで死にかけてるから。
いや、だめだめ、死んじゃう死んじゃう。これはほんとにーー
…う。
……。
…………。
ぼき、と絶命の音を立てて、クマは力なくうなだれる。
その様子に満足したのか、大蛇はちろちろと舌を出しながら、クマに近づいていく。
その死骸を、尾を緩ませ、吞み込むために。
がぱりと開いた大顎は、攻撃の態勢。食事の姿勢。
しかし、野生でもっとも油断している瞬間。
それをクマは待っていた。
『……起きろ、クマ!』
その声に、クマの両眼が開く。
頭に響いた言葉で目を覚ます。
叩き起こしたのは、あの寄生虫。
負けると、もう駄目だと、当然のように諦めていたキーくんだった。
これはクマの脳が勝手に感じていることなのか。
そんなことはどうでもいい。
難しいことはどうでもいいのだ。
ただ、ありのまま。見たままを言うならば。
(…キーくん、力を貸して!!)
『まかせろ』
今ようやく、クマと寄生虫は力を合わせたのだった。
キーくんがエナジーを送ってくれる。
すかさず接触吸収で、折れた両腕を治す。
クマの前に広がった大蛇の口を、その爪でえぐり掴む。
もう絶対に離さない。ここが最後の勝負所だ。
異変を感じ取った大蛇が、緩めていた尾に力を込めなおす。
あっさりと、クマの胴体がへしゃげていく。
血を吐きそうになるけれど、吐くのは血ではない。
火だ!
(ドレイン! プラスっ……ファイア・ブレス【強火風】!!)
クマは大蛇の口めがけて最大火力で火を吹いた。
大蛇の締め付けでつぶれる体を、吸収で無理やり治しながら。
激痛が、頭と心も折りにくるけれど、ここからは我慢比べだ。
向こうも氷で防いでいるが、十分ではない。
火が、突破できれば勝てる。
子持ちの女は、多少の痛みにはへこたれない。
クマが死ぬのが先か、蛇が死ぬのが先か。
恨みっこなしの、真剣勝負。
クマは正真の野生を解放した。
(こんのあほんだらあああああああああああああ!!!!!)
クマは全身全霊を賭けている。
火は、風を併用して過去最高の火力を出せている。
その赤い炎が温度を上げ、大蛇の氷を溶かし、その口内を炙っている。
だが、足りない。まだ足りない。
押し切れない。
もう少しなのに。
そう、クマが思った瞬間。
クマの額から光が溢れた。
「#######ーーーーー!!!!!!」
いつの間にか少女が目を覚まし、立ち上がっていた。
叫んでいる。何を言っているのか相変わらずわからないが。
それでもその胸に輝く光を精一杯に広げている。
何かを必死に叫ぶその姿をクマは知っている。
その子供の姿を記憶のかなたに憶えている。
負けないで、と言っている。
その瞬間、クマの母性が爆発した。
(ーーーファイアブレス【おかわり】!!!)
おそらくは少女からもたらされた追加のエナジー。
それをお茶碗いっぱいに、とどめに費やす。
赤の炎が温度を上げ切って、青く変色する。
しらず、電気で指向性をもたらされた炎は、その火力を集約させる。
一直線に、一瞬で、氷を蒸発させて。
大蛇の頭蓋を貫いた。
クマの口から放たれた、炎とは呼べぬ、超火力の光線。
あれほど強大だった大蛇の頭を消し飛ばすに、十分な破壊力。
頭をまるまる失った大蛇の骸は、そのまま地響きを起こして横たわった。
その一瞬の死に、体の硬直がとれない大蛇の尾は、クマを巻き付けたまま離れない。
(…ちょ、くるし、…死んでもしつこいっ。蛇ってほんとイヤね!)
悪態をつける程度には回復したクマは、隙間をつくろうと身をよじる。
遠くから少女が駆けてくる。その姿にほっとする。
最後、手伝ってもらった感じではあったが、守れて良かった。
『まさか、本当に倒せるとはな』
単純な感嘆の意がクマに伝わってくる。
たとえクマの脳を経由していても、これはキーくんの心の声なのだ。そう、思うことにした。
難しいことは知らない。だってクマだから。
(…どーよ。母親は守るときに、強くなるんだから)
『憶えておく』
それっきり、キーくんは黙った。
クマと寄生虫の距離感なんてこんなものだ。
だが、前よりもずっと、分かり合えた気がする。
たとえそれが気のせいでも。
この異世界で獣に生まれ変わり、最初に得た相棒であることには違いないのだから。
クマのままでも母親のままでいられる。
それなら、まあ悪くはないクマ生になるかもしれない。
◇
マチルダは、氷結大蛇をむさぼっている魔獣を川縁で眺めていた。
ものすごい食欲だ。もうすでに己の体積以上を食べている。
(…まさか全部食べないよね?)
それはとても困る。
なにせ証拠となるものを持ち帰らなければ討伐証明にならないからだ。
ここまで、死にそうな目に合いながらやってきた意味がなくなってしまう。
マチルダはギルドに登録したばかりの獣使いだ。
まだなんの実績もなく、従魔となる獣も持っていなかった。
だが、なんという幸運か。あの豪傑大熊がマチルダの従魔となったのだ。
マチルダは歓喜にふるえた。
実際、ちびってしまってもいた。
低級の一角兎にも逃げられていた自分が、まさか超格上の魔獣と契約できるとは。
通常の、倒して服従させる手順ではなかったが、たしかに契約紋は結ばれた。
術者の精霊力を融通する代わりに、盾となり剣となる獣。
調子に乗って、いけるんじゃないかと氷結大蛇がでるという縄張りまで行ったのは少しやりすぎだったと後悔している。
危うく命を落とすところだった。
暗くなったと思ったら、雑巾みたいに絞られて、臭くてベトベトになってぐるぐる回ってポイされたのだ。
マチルダは自分がゴミにでもなったのかと思った。
あんな目にあうのはもうゴメンだ。
反省しなければならない。
様子見のはずが、いきなり魔獣大決戦になってしまったし。
せっかく手に入れた従魔も死んでしまうところだったし。
しかしマチルダの助勢で、あの破壊的な力を現し、見事に討伐せしめた。
これはマチルダの手柄と言っても差し支えないはずだ。
思わず「ブッ殺せ」と叫んだのが良かったのかもしれない。
従魔と心を通わすのも優れた魔獣使いの資質である。
(でもあれ、なんの魔法だったんだろう。最初は炎みたいだったけど)
マチルダは少し疑問に思った。
彼女の常識では、この世界で魔法は一個体につき一種類と決まっているからだ。
それは体内に宿る精霊の性質によるものだという。
たとえばマチルダは光の精霊を宿しているから、光魔法が使える。
マチルダの精霊はまだ全然弱いけれど、今回この大物を倒したから、きっとレベルが上がっているはず。
なんてウハウハなんだろう。
これでマチルダのことをバカにしていた連中に一泡も二泡も吹かせられるというものだ。
くくく、とマチルダに自然と黒い笑みがもれる。
気の強そうな目つきをしている通り、マチルダはなかなかいい性格をしていた。
精霊が転じて妖精となり、その凶暴性は獣を魔獣にする。という。
本来はそれを光の魔法で調伏して制御するはずだった。
しかし、この大熊は最初からやけに理性的だった。
個体差もあるらしいから、この熊の個性なのかもしれない。妙におばあちゃんくさいところがある。
恥ずかしいところをジッと見てくるデリカシーのなさとか、口が臭いとことかがそれっぽい。獣に言っても仕方ないけれど。
あの激臭の温風は拷問かと思ったくらいだ。
しかし、あれを見ると、この熊は炎の妖精を宿しているのだろう。
それもかなり強い。普通の大熊だけでもギルドの上級が何人も討伐に必要になるのに。さらに妖精持ちだなんて、ラッキーすぎる。
相性も良かったのだろうけど、下手をすると騎士団が相手にするほどの氷結大蛇をほぼ一対一で倒してしまった。
いったいどれほどの報酬になるのだろう。
昨日まで貧乏にあえいでいた自分とはおさらばできると、大笑いしそうなほどである。
これからはあの熊を使って、がっぽがっぽと稼ぐのだ。
「くっくっく、くはーっはっはっはっはっはっは!!」
まるで悪の親玉のような笑い声をあげながら、マチルダはバラ色の将来を夢想した。
しかし、これからクマの想像以上の経費(食費)に死にそうになるマチルダを、クマのママみでなんとか乗り越え冒険していくことになるとは、今の彼女はまだ知る由もなかった。
END
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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